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漫画トリオ。横山ノックをリーダーに、横山フック、パンチのトリオ。フックは2人いた。初代フックは漫画トリオをクビになり、その後は勤め人になったらしい。2代目は現在の青芝フックである。トリオ漫才の走りで、一つの時代を築いた。横山ノックは、秋田O介K介、横山ノックアウトという2組の漫才を経ている。いずれも喧嘩別れであり、背水の陣で選んだ相方が18歳の上岡龍太郎、横山パンチ。ただ、ノックに対してパンチは弱すぎた。慌ててツッコミ2名のトリオに舵を切る。バンドマンであったフックを加え
ひろゆきファンが多いのは、それなりに正論を言うからでしょう。ひろゆき氏、沖縄基地反対派の座り込みに私見「『効果がないことを辞めて、効果のあることをしよう』と、言い出す人が叩かれるのが日本しぐさ」ネット掲示板「2ちゃんねる」開設者で実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏(45)が10日に自身のツイッターを更新。「※辺野古基地※炎上ツイートの真意はコレです。article.yahoo.co.jpただそのやりかたが問題だということはひろゆきは気づいていないのです。たぶん死ぬまで気づかないで
ちょっと興味をそそられたので、爆笑問題の太田光とぜんじろうの関係性について調べてみた。プロフィールによれば、ぜんじろうは吉本興業の芸人養成学校NSCの5期生(1986年入学)ということになっているが、実際は上岡龍太郎に弟子入りしたのが1986年ということらしい。この弟子入りを彼の芸人デビューとは捉えないにしても、翌1987年7月には関西ローカルのTV番組『気分はジャマイカ2』にレギュラーとして出演しているので、ぜんじろうが遅くともこの年には芸人としてデビューしていることは間違いない。
「ガキ帝国」(1981)大阪の不良の青春群像劇をU-NEXTで観ました。初見。監督は井筒和幸。予告編はコチラ。昭和40年代の大阪。少年院を出所したばかりのリュウ(島田紳助)が仲間のケン(趙方豪)とチャボ(松本竜介)と久々の再会。リュウは少年院で仲良くなった高(升毅)を連れてきています。喫茶店でキタを牛耳る北神同盟とミナミを牛耳るホープ会の勢力争いの話を聞いて、さっそく首を突っ込もうとする血の気が多いリュウ。ここでリュウ達に別れを告げた高は、しばらくして北神同盟入りを果たしま
NHKでやっていたのを録画して見ました。2000年の3月に収録・放映なので引退の1ヶ月前ということになります。昔のトーク番組の再放送かと思っていたのですが、日本の話芸というシリーズ(?)で"上岡流講談"と銘打たれたタイトルは「浜辺にて」書見台とスツールが中央に置かれた壇上にダンディな装いの上岡さんがひとり現れ、やおら話し始めました。「えー、今日は映画の話をします。」講談と言われても、夏になるとテレビで見かけたりする稲川淳二くらいしか知らないですが、ネタの特殊性はマユツバものながら怖
きょうは、元INFINITEのHOYAの事です、もうずっと元INFINITEだし(笑)それだけINFINITEのグループ名は、浸透してるって事よね。ま、立て続けにHOYA記事が続いちゃってますがたまたまです!たまたま!先日、関西お笑い界の重鎮上岡龍太郎さんが、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。←それとHOYAの何が関わってるの?!って言われちゃいそう…(笑)そして、わたし思い出したのが、HOYAの26歳のお誕生日の時の記事なんです。