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渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1984年3月号に「沢田研二のよいではないかコーナー〈番外篇〉」として掲載された沢田研二さんの徹底追跡コーナーです。ジュリー(沢田研二さん)の今月の標語は「必見!研ちゃんのツアーの始まり!始まり!」でした。テレビ東京「レッツGOアイドル」の収録と、その後の六本木での新曲のレコーディングの一日を追った内容になっています。
昭和の歌謡史で多種多様な「シンガーソングライター」を1番多く起用したアイドルといえば「松田聖子」だろう財津和夫に始まり大瀧詠一•松任谷由実•細野晴臣•尾崎亜美•来生たかお•原田真二•南佳孝•甲斐よしひろ…と彼女の楽曲には豪華な作曲陣が並ぶこれは呉田軽穂がユーミンであるほど認知されてないかもしれないが「ハートのイアリング」では作曲に″HollandRose″と言うペンネームであの佐野元春までもが参加している僕はこの様にシンガーソングライターを抜擢し続けたことで色んな音楽のエッセンスが詰ま
これまで私は、早見優さんのデビュー曲から4枚目までのシングルについて、その英語の使われ方に注目して考察を重ねてきました。制作側が「英語の得意な帰国子女・早見優」という個性をどう打ち出すか。そしてそれを受け取るファン側が、どう感じ、どう受け入れていったのか――。その間には、少しだけ“ズレ”があったのではないか、という視点で見てきたわけです。そしていよいよ迎えた転機。それが1983年4月1日にリリースされた5枚目のシングル、「夏色のナンシー」でした。本人出演のコカ・コーラCMソングとして起用
肩先揺れるなぁ~~がい髪にポップなlovefeelingちょっと春風沢田富美子1981年テレビ朝日歌謡ドッキリ大放送!!久々にアイドルを語ろうかのう...また爺さん出てきましたな。今度はどないしましたか。春が近づくと色々ピンク色に見えてのう...いや実際、ピンクの服着てますがな。今回、曲じゃなくて単に好みで選んでまへんか?何を言っとる。曲に決まっとるじゃろうが。「肩先揺れるなぁ~~がい髪」がええんや。でも1981年やないですか。曲だとしても松