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豆雪です。昨年より神経系の勉強をしだして、身体(筋肉、筋膜、骨格、内臓)のこととココロのことまでがますます繋がりだして面白いのだけどぶっちゃけ沼すぎて勉強せんかったらよかった♪神経のこと知らん顔しとこうかな♪と思うこともしばしば。。ですが。ここだけは、やっぱりシェアしとかないとマズいと思ったのは三叉神経と蝶形骨(脳を支える骨)のこと。前から見るとちょうちょのカタチー♪ちょっとマニアックな人が「天才の骨」とか「才能開花の骨」とか言っててはっきりい
豆雪です。背骨のクラスで前鋸筋をいれましたがそのつづきは。。首!ストレートネックの改善クラスなどでかなーり頭の位置を変えてきた、変わってきた🎵とは思うのですがまた戻ったり、なんかもうちょっと、という場合、首のインナーマッスルが使えてない問題があります。これはドライマウス、だ液の問題にも関係するのでここが使えないと消化にも影響します。ですが首のインナーマッスルを入れるのは、なかなかに難しくて繊細な作業でもあります。が、やりましょう。
朝7時に病院からの着信。もしかして、造影剤CT検査で何かあったのかと心臓バクバクで電話に出ました。担当医から入院前にもう1つ検査を追加したいんだけど。腫瘍が聴覚神経に近いので、今の聴こえの状態を調べておきたい。との事。耳鼻科へ行って、聴こえの検査をしました。いつも耳が悪いと夫から言われていたけど、検査結果は20代レベル(ただし、モスキート音は聞こえず)とりあえず、一安心。入院1週間前だったので、PCR検査も実施。入院前、最後の脳神経外科の診察は夫が付き添いました。
東京医科歯科大学で三叉神経が圧迫してるか検査した結果圧迫してないという診断でしたデグレトールやカルバマゼピンを服薬しても効かないわけだよね笑初めて、3D画像を作成してもらいより詳しく見ることができました。いゃ〜3Dってすごいわ〜私も子供も納得できました大変だったけど検査できた事に感謝ですこれだけ、いろんな病院の先生に診てもらってるので、やっぱり骨髄炎の後遺症だなって思いました今後も頑張っていこう
ソース:「メディカルミディアムヒーリングエッセンシャル」よりhttps://www.medicalmedium.com/三叉神経の炎症MedicalMediumHealingEssentialTrigeminalNerveInflammation三叉神経は顔にある脳神経で、有毒な重金属や化学物質を餌とする帯状疱疹や単純ヘルペスなどのバグによって炎症を起こす可能性があります。これにより、次のような問題が発生する可能性があります。顎関節症顎の痛み
2022年4月26日とうとう手術の日を迎えました。手術開始時間は8:50。病棟を8:40に出発です。食べ物は前日の18:00まで、飲み物は前日の21:00まででした。朝の歯磨きは膝上丈の手術着、下は下着と自分のパジャマのズボン、弾性ストッキング(ハイソックス)を身につけます。看護師さんと2人で歩きながら手術室へ向かいました。手指室の入り口で少し待ちましたが、その時に看護師さんから貴重品BOXの鍵は預けましたか?と聞かれました。前日、別の看護師さんからは鍵は預かれ
2022年4月25日入院。夫と一緒に病院へ向かいました🚘入退院受付にはお守りを送ってくれた義妹も来てくれて、頑張らなくちゃと言う想いでいっぱいだったなぁ受付で、部屋が決まります。入院は慣れてるから大部屋希望だったけど、GW直前だったので、大部屋は満室。第2希望の2人部屋になりました。差額の部屋代は1日¥11000(消費税込み)。前回の入院の時もコロナだったので、院内のコンビニには行けないと思って、大量の荷物。入院手続きの時も院内のコンビニには行けないと言われてた。私
脳神経内科から紹介をされて脳神経外科の診察を受けました。担当してくれた先生は若い女性の先生でした。頭の中が脳腫瘍と言う言葉でいっぱいで、先生の話をきちんと聞けなかったかな。1人で行ったけど、家族や親友など信頼できる人と話を聞く方が良いかもしれません。先生の話によると、間違いなく脳腫瘍である。場所的に良性の可能性が高い。腫瘍自体はそれほど大きくはないけど、すでに痺れと言う症状が出ているので、手術かガンマナイフと言う放射線治療をした方が良い。腫瘍が小さいので、経過観察も
やっと、無事卒業式が終わってホットしましたぁ〜去年は本当に卒業式出れるか不安だったけど出席して本人も喜んでますさて、新たにもう一度脳外科を受診しようと前から決めてたので、予約をとり相模原にある脳外科に行ってきましたぁ〜去年から脳外科の名医である福島孝徳先生のYouTubeを拝見していて、、、、、、相模原に脳外科クリニックがあるを知り、すがる思いで予約をしました。3件の画像を持って、今までの経緯を書いて福島先生の弟子である先生に診てもらい三叉神経である事が分かりました。今までの病院で
脳神経外科の手術を担当する先生と夫を交えての診察。運が良いことに、ネット検索すると脳神経外科の名医として名前が出てくる先生からお話を聞くことができました。手術方法について、放射線治療のガンマナイフについて、経過観察について、詳しく説明をしてもらい、相談にも乗ってもらいました。私は頭がいっぱいで、メモも取れず、ただただ頷いているだけ。普段、それほど頼りにならない夫😅がメモを取り、分からないことは質問してくれて、本当に心強かった。私は結局、手術を選択しました。理由1
[上眼窩裂]「上目で見殺し」・上目上眼窩裂①見III(動眼神経)②ごV₁(三叉神経の第1枝:眼神経)③ろVI(外転神経)④しIV(滑車神経)[正円孔]「正にV2」・正正円孔・V2V₂(三叉神経の第2枝:上顎神経)[卵円孔]「卵はゴミ」・卵卵円孔・ゴミV₃(三叉神経の第3枝:下顎神経)[棘孔]中硬膜動脈(顎動脈の枝)[視神経管]視神経*****************************************
まずは脳の造影剤を使用したCT検査について。私は腎臓が少し弱いので、造影剤を使った検査が問題に腎機能の数値は造影剤の検査ができないレベル。自分ではそんなことを思ってなかっただけにびっくり‼️とりあえず、造影剤検査の4時間前から検査終了後までので5時間、点滴を受ける事となりました。まずは点滴を刺してもらって、点滴棒を押しながら向かったのは、麻酔科。麻酔科の先生から、手術中に腎機能が悪化したら一時的に透析をするかもと怖い発言良性だろうけど、実際腫瘍を取って生検をしなけれ
2021年9月頃から顔の左側の唇に痺れを感じるようになりました。最初は気にしてなかったけど、顔の片側だけなのがどうしても気になって、かかりつけの先生に相談したけど、様子を見ましょうと言われちゃいました。スマホのアプリで診断をしてみると、ギランバレー症候群もしくは精神的な問題みたいな結果。結局、通っていた大学病院の腎内科の先生に相談したところ、年齢のこともあるし、MRIを撮りましょうと言われました。先生は血管だけを確認したようで、問題なしとなりました。でもどうしても
4月末に妻同伴のもと、これから受ける手術、微小血管減圧術についてのインフォームドコンセントを医師から受けました。左耳の後ろを5センチほど切開、頭蓋骨を100円玉大ほど開頭、その穴から脳幹近くの三叉神経にアクセスして静脈を剥離もしくは減圧するのが手術の概要。私の3DMRI画像、実際に三叉神経と静脈を電気メスで剥離している動画を見せてくれ、丁寧に手術について説明を受けました。インフォームドコンセントの書類には、私の手術成功率や合併症など全てのパーセンテージが細かに記されていました。
2015年2月〜こども病院にて放射線治療をうける。期間は5週間。平日は入院して放射線治療をし、土日は外泊許可をもらって、自宅へ。治療をしない、という選択肢も、あったが、治療をしなかった場合、残り半年...くらいかもしれない。やれるだけのことは、やろう。そう思い、治療を選択。この頃に、訪問看護訪問リハビリを依頼。(自宅へ来てもらえるように)嘔吐がほぼ毎日ある状態が続く。※まだ比較的状態が落ち着いていたので、家族でよくお出かけしていました。2016年1月鶴
今です朝きたらなんと春が来ました術後49日目朝目が正面より外まで動くようになりました。とても嬉しくて嬉しくて手術でも外転神経が切れたかどうかわからないと伝えられ、一生眼球が動かないのかわからない状態で治るまで1年様子見てくださいと伝えられた事毎日不安でした。だって、全く眼球が外向かない。外転神経は外直筋を引っ張る神経。とても細く、解剖学的には三叉神経の周りにはないそうです。
「長い高速を租借」①な内側翼突筋②がい外側翼突筋③高咬筋④速側頭筋・租借咀嚼筋[咀嚼筋の神経支配]三叉神経(V)[作用]下顎骨に対して・挙上・・・咬筋、側頭筋、内側翼突筋・前方移動・・・外側翼突筋・後方移動・・・側頭筋さらに詳しく→柔道整復師のゴロ合わせ
首、肩、体の痛みにさようなら!氣明昇運波動療法の高橋康天です。遠隔整体で、どこにいても施術が受けられます。¥1,500/1回詳細&お申込みはコチラ★運を高める風水・開運鑑定も提供中50代女性からご相談いただきました。10年ほど前から続く非定型歯痛(虫歯や歯周病は無く咬筋等の筋膜性の歯痛)の治療をお願いできますでしょうか?とのご依頼を頂きました。また、鑑定当日首の筋肉の張りと、首の付け根の痛みも辛いとの事です。
ちょっとここの所バタバタしておりまして、少し間が空いてしまいました。なのに、ちょっと宣伝などをさせていただきます。私の母めがまたまた本を執筆して出版したので・・「三叉神経痛が治った日」というまあ闘病記?です。以前にも、「自宅介護で胃ろうをやめた日」という本を執筆して2012年に幻冬舎さんから出版しているのですが、これは私の父の病気との闘いと母のその介護の歴史を執筆したもので、当時は絶対に不可能と言われていた「胃ろう」から