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父に召集令状が来たのは昭和20年(1945年)2月の頃だったと思います。入隊の日の朝早く国民服に戦闘帽を被った父は、名前を書いたタスキや、大勢の人が「武運長久」などの言葉を寄せ書きした日章旗(日の丸の旗)を肩からかけ、門の前で見送りに来た近所の人たちに挨拶をした後北野神社へ向かいました。手に手に日の丸の小旗を持った人たちが大きな声で歌いながら後をついて行きます。勝って来るぞと勇ましく誓って故郷(くに)を出たからにゃ手柄たてずにいらりょうか進軍ラッパ聞くたびに
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その64◆「隠岐」の封印が解かれるとき…歴代の天皇は必ず一生に一度、隠岐に行くならわしがあるという。これが近い将来、必ず実行される。ラストエンペラーたる天皇徳仁陛下は、隠岐に「契約の聖櫃アーク」を運び込み、日本を終わらせる最後の神事を行う。かくして、最後の扉が開かれ、隠岐の封印が全て解かれたとき、隠岐は動く。大山鳴動し、日本のみならず、世界が激変に見舞われる。飛鳥昭雄氏は、漢波羅秘密組織「八咫烏」が語った言葉を綴っている。
本日は江南区の春季消防演習でした。私も以前は消防団の一員でしたので演習の大変さはよくわかります。早朝5時とか夜の7時とか仕事の前や仕事の後に練習を繰り返し、本番に臨みます。演習は一斉点検、操法訓練、想定訓練と続きました。消防団の皆さん、炎天下の中お疲れさまでした。私は閉会式で万歳三唱をさせていただきました。その内容を以下に書いておきます。「本日は長時間にわたり大変にお疲れさまでした。ただいまご紹介いただきました宇野でございます。万歳三唱の発声を仰せつかりましたので、高い位置から僭越ではあ