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ちゃんと観てはいませんが、大河ドラマ『どうする家康』についておそらく初のコメントします。三河方言とか駿河方言とかその時代に生きていた人はいないのだから、時代考証とて無理にその時代の言葉そのままであるべきとまでは言わない。ただ以前の『黒田官兵衛』で見てしまった時のようにスタジオの照明が強いのか、杖にフォーカスを当てたときに明らかにプラスチックとわかってしまうような絵でガッカリした。また、少し前の話になるが、織田家に預けられていた元康と、信長の妹お市との乱稽古。そういうのが史実としてあったのか?
丸岡城のある坂井市で有名なのが一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ本多成重が丸岡城主になる前に家族に送ったもの要をおさえた短い手紙にちなみ日本一短い手紙の館がある毎年募集されていて丸岡城への坂道にもお父さんへ「結婚式のパパへのスピーチ考えるだけで涙があふれるまだ結婚決まってもないのにね」お母さんへ「お母さんの子だから大丈夫という根拠のない言葉に何度も励まされましたよ」「なんもないところやでぇほんま海と山しかないねん」一実はちょっと自慢どれもわかる
4/19に退院して来ました。左脇の針生検跡の治療をするために入院でしたが、体調自体はとても悪くて、退院を喜べるどころではなかったけれど…でも、家に着いたらホッとしました。嬉しいことに風景印付きの絵葉書が2通も届いていました。(4/18頃届いていたと思います。今頃のご紹介でごめんなさい🙇♀️)ステキな風景印😍ものすごく嬉しいです🤗「一筆啓上日本一短い手紙の館」知っていたので、いつかは行ってみたいと思っていた所です。今回の退院にあたって、旅行好きの私は聞いてみました。「旅行
2020年7月6日丸岡城に来ています。天守閣の登り口にあったのは、「お静の供養碑」と「祠」です。人柱お静の伝説丸岡城を築城していたときに天守閣の石垣が幾度となく崩れたため、初代城主・柴田勝豊は丸岡城の築城に苦戦を強いられていました。そのため、天守閣に人柱を入れることになるのです。子どもを抱えて貧しい生活をしていた「お静」が、息子を侍に取り立ててもらう約束をして、人柱となって埋められました。お静が犠牲になったあと、丸岡城は無事に完成したのです。しかし、柴田勝豊が
福井に行ってきました旦那の実家に一泊させてもらおうと思っていたのに、義母はいいよということだったけど、義父が来るなとほろよい加減で言ってきたので泊まれなくなり、日帰りになりました(泊まれるなら琵琶湖にいく予定だったのだけど)朝早くから、名阪国道→名神→北陸道で行きました旦那は少し前にやっていた石原良純さんのでていた番組の話をして、二の舞い(閉館時間に間にあわない愚行)はしないようにしようと言ってたのだけれど、前日聞いていたプランでは結構不安がありました(どうせ名城スタンプの場所とか把握して