産まれた時は父方の親族、母方の親族、それは皆が総出で喜んでくれたそうです。しかし、それは父親が刑務所に服役中に産まれた可哀想な子だと言う事実と平行しての喜び。そんな事は何一つ知らずにスクスク育つ私でした。当時はテレビの普及も殆ど無く父の事件は多分、新聞に載る様な出来事だったと思います。札幌市中央区の繁華街ススキノの真ん中で当時、父が所属していた会津屋一家と言うヤクザの組織の反対勢力の親分を父は兄弟分と二人、拳銃で撃ち殺したのですから。その時、私は若い母のお腹の中に命を宿していて事件を知るすべも無