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都内のとある場所にある小さな会社。クレーンなどの重機が所狭しと並べられた敷地の奥に、プレハブで建てられた質素な事務所があった。20坪ほどの室内には、学校にある机のような四角いテーブルが二列に並べられ、そこに20人程の男たちが向き合うようにして肩を並べて座っている。そして、正面にはこの会社の社長と思わしき中年の男がシワシワになってくたびれた作業服を着て座っていた。社長はうなだれるようにして肩を落とし、神妙な表情でうつむいている。そして、その横には弁護士と思われる小奇麗なスーツを纏った中年男性
月曜日いつかのご飯(朝、昼、夜とわず)火曜日ノウハウ系など小説以外の本水曜日いつかのご飯(朝昼夜とわず)木曜日映画金曜日映画土曜日連続ドラマ日曜日おうちカフェと小説昨日に引き続き金曜日も映画アメリカ制作舞台は日本です。しかもヤクザ映画方言は関西ですが北九州っぽい街並みですよね。⭐︎アウトサイダー⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎非常に面白かったです。〜〜〜2018年
時は昭和、ミナミでは暴走族取り締まりの為に土曜日深夜から日曜日朝まで主な幹線道路は全て250cc以上のバイクは通行止めというわけのわからん規制がされていて、ミナミの繁華街を横切る千日前には可動式丸太棒が設置されて暴走族を皆殺しにしようとする警察がいたのである。そこで少年たちは考えた。単車とかシャコタンでイキって繁華街を走るのって女にモテたいからやん?オレらはすぐにやらせてくれるアホの女の子と知り合いたいだけやん?上顎の前歯4本ないポン中のヤクザに勧誘されるとかクソだるいし、暴走族同士の
今夜は札幌も一段と寒く感じる夜です。ブログを書いているとS君は元気でいるのか?心配になってきました。何回目の逮捕になるでしょうか私は数えていないならわかりませんが。S君は今、旭川刑務所に収監されています。話によると網走刑務所に移管されるかもとは聞いています。出会ってから何回か逮捕されそのたびに警察署から私に連絡が来ました。その頃はヤクザではありませんでした。大型の運転免許証を持っているのでトラックのドライバーをしていました。山口組茶谷政一家の頭と仲がよく、何年か前から組
あいつがシャブを覚えてしまった。どうしようもなくなった。夜の街で長年上手く立ち回りをして生活をしてきた。色んなことに恵まれてた。それを全て捨てた。シャブボケ、落ちぶれ、ポン中末路のどん詰まり。あいつはK会の腐れシャブ極道が用意した飛田新地の中あたり、当時あったトビタシネマ向かい辺りのクソみたいなマンスリーマンションに住み始めた。一階にあるコインランドリーの洗濯機がある日全てトラックに積み込まれ盗まれていく現場をオレが目撃したような無法地帯みたいな場所。ポン中腐れ糖尿極道はあいつを
都市農業公園(東京都足立区)で撮影したつるバラの風景です。これらの写真ものちほどメルカリで販売します。2日前のブログで「ザ・ファブル」の話を書きましたが、わたし自身、そんな裏社会に興味があるからファブルのようなアニメをおもしろいと感じるのでしょうか?『ザ・ファブル&前世夢』実に、おもしろいコミック大好き奥さんおススメの『ザ・ファブル』がテレビアニメ化されていますが、実際に観てみると「実に、おもしろい!」アニメでした(原作:南勝…ameblo.j
おいおいおい、どの時代のことだよ?もちろんギャグで言ってんだよな?『瓜田純士、素手の喧嘩に“釘バット”を持ち込んだグループに苦言「その時点で負けじゃん」』その前にテメーの大親友の木村兄弟に言ってやんねぇと。不意討ち、騙し討ちで自分の地元の先輩であった金村剛弘君のことを寄ってたかって金属バットで殴打して撲殺してんだからよ。『金村剛弘氏を殺害したのは…』『音信不通の兄貴が…』いや、その前に木村が自分の地元のガキの頃に
レインブーツ+XGUレインブーツGUレインスニーカーGUレインスニーカー+XGU6/12〜8/1JTBC(水木)20:50〜全16話『遊んであげる女』or『遊んでくれる女』どっち⁉️(놀아주는여자)MySweetMobster★WEBサイト★脚本:ナ・ギョン演出:キム・ヨンファン制作:SLL、ベースストーリー<キャスト>ソ・ジファン(オム・テグ)、コ・ウナ(ハン・ソンファ)、チャン・ヒョヌ(クォン・ユル)、チュ・イルヨン(キム・ヒョンジン)、
俺の2回目の人生は、江原との戦いの日々だったと言っても過言ではないだろう。小さないざこざから始まった因縁はどんどん規模が大きくなって行き、それに伴い沢山の人たちを巻き込んでしまう。俺たちがお互いを憎み合い、譲らずにいたおかげで一体どれだけの人がその人生を狂わされ、その命を落としたのだろう。俺は最愛のカオリを江原自らの手によって殺されている。カオリは俺との間に出来た子供をお腹に宿し、これから結婚して幸せな家庭を築こうとした矢先にだ。俺は身を引き裂かれるように悶え苦しみ、止めどなく溢れる憎
ごめんやっしゃーε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘大阪帰って来て、今やっと一段楽ついた感じやしとりあえず何か更新しときましょか🤳まず前刑出た時より復活のスピードが速い。経験済みやから復活の呪文を上手に唱えれたのか、はたまた経験則が役立ったのか、人に恵まれているのか、あるいはそれら全てなのか、日々の出来事に感謝しながら生きてます。まあーこれで懲役終わる気せえへんけどな🧎♀️wwただ使用所持で懲役に行くことだけは避けたい。アホらしすぎるし小刻みに短いのん何遍も行ってたらもうロング行ってん
こなさん、みんばんわ!レビューと言う看板を掲げて「ネタバレ祭りのあらすじ紹介」をする雨爺さんです。あー、面白かった!私は今週末で一旦Disney+の1ヵ月契約が切れるので、23日(水曜日)に配信された第10話の「怪物」と、第11話の「ロマンチスト」で一旦ドラマの鑑賞は中断。描かれるのは第1話で「『死んでも新鮮なフレッシュチキン』の店主」として登場したチャン・ジュウォンの過去です。それも、1話で知らされた「国家情報院の安全企画部要員」よりもさらに前の過去で、愛娘ヒスの母親になる女
横浜市中区繁華街の刺殺事件死亡は42歳の男性神奈川県警横浜市の繁華街で男性を刃物のようなもので刺し殺害したとして、タイ国籍の男が逮捕された事件。死亡したのは42歳の男性と判明しました。この事件は11月2日、横浜市中区若葉町の路上で男性が刃物のようなもので刺され死亡したもので、神奈川県警は横浜市中区曙町に住む飲食店従業員で、タイ国籍のクワンキサロート・ルンロー容疑者を殺人の疑いで逮捕していました。その後の調べで死亡した男性が、鍵聖久さん42歳と分かりました。鍵さん
死刑囚になったヒットマン(文藝春秋)で削除を余儀なくされた私の言葉。私の言葉(文章)なので文藝春秋としても、絶対残したい私の言葉であったが、著者である死刑囚の小日向が、これを消さなければ、出版させないと、私にも出版社にも譲らなかったので、折れることにした。私としては、死刑囚になったヒットマンという本は出版する、出版しないもどちらでも良いことであった。しかし、彼の本を作ると決めて、動き始めた多くの出版社の方々の苦労が水の泡になることだけは避けたかった。それだけである。社会人として、当然のことだ
素面で12時間ぶっ通しでSEXなんてまずあり得ないであろう。。。時間の感覚のズレ時間にルーズになる人が多くなります。気合い入れないと動き出すのもなかなか大変な人もいます。ポン中あるある的なwwwそんな感じで時間にビックリはしたが疲れたってゆう感覚も鈍っていた私はこんなに簡単に快感を得られるモノを手に入れた満足感に酔ってしまった。そしてズブズブと深い深い闇にドップリになるのである。キメセクを覚えたこの日から初めて覚醒剤を買った売人とほぼ毎日会ってSEXに溺れた。猿だ
黒塗りのセダンの窓を閉めながら、その動作をピタっと止めて、刑事さんが思い出したかのように話を付け足す。あんたの股のあいだからいい香りがしたんや。・・・。太ももの内側に香水つける癖がある。以前、無理やりあたまを突っ込まれたときに香ったのか。あれ、何の香りや。高い香水やろ。シャネルの5番だ。・・言わない。あんたの〇〇〇〇から匂ってるんとちゃうか。・・・相変わらず、関西弁で猥褻な言葉ばかり吐くなよ。もう少しレデイに気を廻せ
「3-4x10月」「3-4x10月」プレビュー1990年9月15日公開。北野武監督第2作。日本国外配給に当たっての英語タイトルは"BoilingPoint"。キャッチコピーは「軍団、野放し!」受賞歴・順位:トリノ国際映画祭・特別賞日本映画監督協会新人賞・奨励賞第64回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第7位第12回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第4位監督・脚本:北野武キャスト:雅樹(イーグルス)-小野昌彦サヤカ-石田ゆり子
「私があの子と知り合ったのは警備員してた19の時の職場。あの子は田舎から出て神戸で働いて次に大阪に来た。私?そうや、ハーフやで。そんなん気になんの?オカンがちょっとだけ付き合ったつもりの白人男と出来た子供が私。そやから私には父親はおらん。あの子の話やろ?私がその頃乗ってた250の単車の後ろにあの子乗せたりもしてたな。あの子が大阪に来てからの代々の彼氏のことは全部知ってる。最初は東大出の超がつく金持ちのボンボンやった。大阪で有名な財閥の御曹司や。こいつに金用意してもろたら良かったのになあ。でもあ
刑事さんは、あたしのまえではいつもデレデレしているが。ふいに見せる、あの、鋭い睨みが嫌いだ。いつもながら、邪魔な位置にマジェスタを停車しているので、なかで寝ていた刑事さんを起こそうと窓をノックした。そのときの、間だよ。その、、ヤツがあたしと解るまでの一瞬の間の目つきが怖いのだ。警察官の挙動不審者を見る目だ。まず、睨む。疑う。構える。その間、数秒。で、あたしと解った瞬間に、『なん
仲良しだった友達な一般人の障害者のバツイチ子持ちの男性と結婚したい!とのわしの被害妄想をジャニーズ事務所やジャニーズたちや親戚らが間に受けてみんな勘違いして大騒ぎされ反対と阻止をされた笑🤣ウケた!警官らにまでヤクザと交際したらダメと押しかけられ大騒ぎになった超ウケた!死ぬほど馬鹿笑いした
ゴムっ。実に興味深いゴムマスクpic.twitter.com/nOAeZ8cBxV—TOM🕶️(@tomtomtom0121)January7,2024確かに、そういう技術があるのは知ってるし。騙されるぐらいに精巧なのも解る。みんな、キッシーはゴムだと言う。じゃ、本物はどこに。もう、いないのか?うちのセンセーは、ゴムではないと思う。ただ、別
世間に「ヤクザの娘」と言われない様に私には礼儀作法や所作、言葉遣いを厳しく躾け、又、お勉強が出来る環境を作り塾にも通わせてくれたヤクザの父のお陰で小学校5年生から6年生の前半になると、私は成績優秀で通っていた小学校でも賢い子達の分類に入っていました。そんなある日、父から「〇〇はF学園を受験しなさい」と言われました。F学園は中高一貫で校則が東北以北、厳しいと言われた名門校。北海道中や東北からも、お金持ちのお嬢様が通うキリスト系の学校です。我が家では父の意見は絶対ですから「嫌です」な
毛色の違うというか、随分と変わったYouTuberがいたんだなー。『覚せい剤密造で「現役ヤクザYouTuber」が逮捕無法地帯と化すアウトロー系YouTuberたちの“仁義なき闘い”』何者なのかはよく知らないが、ラッパーでヤクザでYouTuber?(笑)しかも過去に山口組の司忍組長のことをラップでディスったらしいが、パブリックな場でそういうことをやるのってどうなのだろうね。例え他団体のトップであっても、同じ稼業でメシ食って
古い写真を見つけましたこちらが写真の裏に貼ってあった刑務所の検閲の茶色の紙を剥がした跡です。私は不思議でしたが何故か?誰にも「これは何?」と聞く子供では無かった様です。検閲写真の表。母と4歳の私です。母は明るい性格でした。私が父が居ない生活でも全く寂しさを感じなく成長出来たのは母が常に守ってくれたからだと思います。母は18歳で父と結婚した時、まさか式の直後に父が札幌市のススキノで拳銃を持ち人を殺めるなど想像もしなかったと思います。父は三笠市から札幌市寄りの岩見沢市の繁華街で良く遊ん
当時、一緒にいた女の元カレが某組織の人間で、屋根のない店、マメ屋を数軒してた。ホテル街にあるピンクビラや、スポーツ紙の怪しげな3行広告の例のヤツ。その人の舎弟連中も同じくその類いの店を受け持ってた。その中の1人がGやった。当時、品物が出回らなくなる時期がちょくちょくあった。値段が上がる、上がる内はまだええけど、ほんまになくなる時期がやってくる。どこに行ってもない。ポン中は困り果てる。オレは毎日のようにそれを使用するわけやから、頭を抱える。オレの女の友達である女の一人に引ける人間
昭和40年代の札幌には、ヤクザの縄張りがありました。今でもあるのかは不明ですが、良く聞くのはお店に「ケツ持ち」と呼ばれて揉め事が起こると店側に立ち揉め事を収める立場の人がいるのは知っています。それがヤクザか?どうかは知りません。当時は主に繁華街のススキノが縄張りの場だったと思います。今の様な高さのあるビルは少く碁盤の目に作られている札幌。縦、横で住所が北から南、西から東と、わかりやすく整備されていた町並みです。父はヤクザの世界では若く、頭が良く、弁が立ち、喧嘩が強く、何かあれば最前線
マイコとショーコ、2人の女友達のことをいつも嬉しそうに話してた。「私には仲間がいる、2人には何度も守ってもらった、だから私も守る。」マイは行方不明になった。あいつは共通の知り合いに聞いて回ったけど見つからなかった。ショーコは結婚して子供ができてた。2人がいなくなる前から言われてた。「ムーが止めてくれなければ私もやるかもしれない」そういうことから一番遠い所にいるような女だからと気にも止めてなかった。会わない日が少しあった。あいつがいつもなにをしてるかなんて干渉してなかった。数日
人間のクズひとりで密売人との取り引きができるようになり、私に覚醒剤を教えてくれた友人の存在が日増しに疎ましく思えるようになっていきました。彼と一緒だと、使用する日も自由に決められないし量やタイミングまで彼に決められてしまう。それに帰宅したあとにもメールで連絡をして無事を伝えなくてはなりませんでした。それは、彼なりに私が深みにハマったりするのを防ぎ、逮捕されていないかの確認するのが目的だっだろうけど、その時の私は彼の決めた量では既に物足りず、くすねた薬をこっそり使用
私の父は当時では背が高く色白でした。男性としては珍しく透き通る様な美しい肌でした。母は目が大きくて美人さんでした。母は父からの猛烈なアピールと先手を打たれ母の実家に結婚の申し込みをした父に断る理由も見つからないまま婚儀の日を迎えたのだと思います。二人の結婚式の写真は見つけたら皆様にお披露目したいと思います。私は札幌に家族3人で暮らす様になってからも父に懐かない子供でした。父が家に居る時、私は正座をして、じっとしている子でした。躾には厳しく話し方、所作等、小さい時から徹底的に躾られまし
三笠市弥生町から札幌市中央区北1条、父の兄貴分のアパートに家族3人で引っ越してから間もなく、次の住まいに引っ越しました。場所は父の親分「小高龍湖」の自宅兼事務所、近くの山鼻(やまはな)と言う札幌でも文教地区に指定されている閑静な住宅街です。当初はアパートの一階に住んでいました。勿論、昭和30年代ですから木造の造りです。その時です。母の猛反対を押し切り父は体に入れ墨を彫りました。その頃は中島公園と言う札幌の中心ススキノの端にある公園の側に腕の良い彫師さんが居て父は、そこで体に墨を入れた
不謹慎だと思い、言うのを我慢していたが、、。1日から、ある演歌が浮かんでいる。昔、、そう大昔、怖いおじさんたちの出所祝いか飲み会に参加し、無理やり歌った歌だ。『ここはぁお国の何百里~』『古いヤツだとお思いでしょうが、、』『からじしぼたん~』などの歌声が飛び交うなかで、あたしに歌えと言うのだ。まさか、今風のアイドルの曲など歌えないし、ここはどうしたものかと幼い脳天で考えたところ、、。なぜだか、