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巣鴨の地蔵通り商店街散策の続きです『SUGAセンイル前夜だから「メズム東京」とか「巣鴨」とか』여러분안녕하세요明日はBTSSUGAことユンギのセンイルということで、今日はこじつけ🎉前夜祭のユンギにちなんだブログところで、私はSUGA…ameblo.jpJR巣鴨駅から🚃山手線に乗って浜松町駅へ移動します。浜松町駅に到着後、ソウルのバンタン聖地めぐりで大活躍だったmoriナビにまたもや頼り、moriさんのナビに従って竹芝方面へ
ご訪問いただきありがとうございます😊勤続ウン十年の休暇にお誕生日旅をしようと、企画したパリ旅楽しすぎたひとり旅、4日目は…ルーヴル中っ!旅のしおりDAY1羽田⇨シャルル・ド・ゴールDAY2モン・サン・ミシェルツアーDAY3ヴェルサイユ宮殿+マルシェ+パリ散歩DAY4ルーヴル美術館+α☝️イマココ☝️DAY5&6極上モーニング&帰国編(シャルル・ド・ゴール⇨羽田)『華の都パリひとりっぷDAY④-5アンジェリーナでお茶して、フェルメールとか観て。』ご訪問いただきあり
ミロのヴィーナス像の、その「腕がないこと」に「美」があると書いてあった、高校教科書の美術評論。当時のギリシャ文化の中では、「腕がないこと」なんかに意味はないんだと気付き、愕然としました…というところまでが、先日までのお話しです。『(悲報)国語教科書の「ミロのヴィーナス」が間違いだって気づきました』高校の現代文の教科書にあった、清岡卓行さんの「ミロのヴィーナス」という評論、覚えていますか?ミロのヴィーナスが魅惑的であるためには、「両腕を失っていなければ…ameblo.jp『洗脳か
観光できるのは、今日と明日だけ…時間が経つのって早いね今日は美術館巡りでしたまずはピカソ美術館その後ガレットを食しましたそしてお天気はイマイチだったけど凱旋門に登りましたヴィトンが見えましたこんな感じのとこを登ったり降りたりで罰ゲームっぽかったかなぁ次は地下鉄で移動してルーブルの駅で下車さすがルーブル美術館がある駅なので構内の至る所に彫刻がありましたルーブルの前にコンシェルジュリーっていう昔の牢獄に寄りサンタシャペルでステンドグラスを見ました
高校の現代文の教科書にあった、清岡卓行さんの「ミロのヴィーナス」という評論、覚えていますか?ミロのヴィーナスが魅惑的であるためには、「両腕を失っていなければならなかった」。なぜなら、その失われた腕という「無」こそが、(想像力で補うことのできる)完全な美であり、もし復元してしまったら、「限定された有」へと変化してしまうからだ。…というような内容でした。ご存知ない方はすみませんWikipediaより高校時代アメリカに住んでいた私も、現地校がお休みの土曜日に通っていた日本語補修
ミロのヴィーナスは、腕がない「だけ」だった…。『(悲報)国語教科書の「ミロのヴィーナス」が間違いだって気づきました』高校の現代文の教科書にあった、清岡卓行さんの「ミロのヴィーナス」という評論、覚えていますか?ミロのヴィーナスが魅惑的であるためには、「両腕を失っていなければ…ameblo.jp教科書に書いてあるから、そういう見方をするのかと、そこに「美」があると思い込んでしまったが、単純に、「腕がない」、ただ、それだけのことだった。これはたまたま今、哲学に興味を持ち、ギリシャ哲学と
《パルテノンの三女神》紀元前438~432年頃大英博物館、ロンドン洋服の裾の垂れ下がる様子がとても美しいです!顔はわからないけど、絶対美人!この3人!!ぜひ直接見てみたい作品の一つです!まるで本物の布ですね!こちらの作品は古代ギリシャのパルテノンの神殿の東破風を飾っていた3体の女神像。忠実な人体造形、体のラインに沿って流れる衣服の細やかな表現がとても美しいですね。古代ギリシャは理想の人間の美しさを追及した時代でもあります。同じ古代ギリシャ時代でも前期と中期
本質的な「美」の在り方について述べた一級品の読み物として、清岡卓行の随筆集「手の変幻」の冒頭の「失われた両腕」というものがある。「美」に精通してない私のような者でも、何かしら感じるもののあるこの短い話は、誰でも一度は見聞きしたことがある古代ギリシアの彫刻作品「ミロのヴィーナス」像について考察されたものである。勿論、なぜあのヴィーナス像に「両腕」が無いのかと今まで考えてみる由もなく、「そういうもの」である認識となるのが大体のところではないかと思う。しかし、そこから一歩深く入ってみ