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今の顯進様を見ているかのような若き日のお父様2008.9.2『勇敢に前進すべき時』(千葉中央修練所)BGMAlexanderGadjievplayBach-BusoniChaconneindminor-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.comイエスと再臨主(アダム的人物)による段階的復活肉身が復活すれば、信仰生活によって、生
『わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。』(ホセア書/06章06節)主よ、私はこの御言葉は、イエス様と歩むうえで最も重要な御言葉であると思っています。特に熱心な信者には、この御言葉が必要であると考えています。主は言われる、愛する息子よ、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』(マタイによる福音書/
聖マグダラのマリア(MariaMagdalena)マグダラのマリアは紀元後1世紀に実在したといわれる女性で、聖書に登場しイエス・キリストに従った聖人の一人です。カトリック教会では記念日は7月22日とされ、改悛した娼婦、罪を悔いる人、身体に障害のある子供、葡萄酒醸造業者、造園業者、織物業者、美容師を守護します。しかし、聖書や福音書の中には確かな情報がほとんどありません。したがって、彼女についての情報は推測や憶測によってこれまでの歴史の中で何度も書き換えられています。
東京はほぼ晴れ。午後3時23℃。体感温度は、風速の影響で21°C。日の入り午後6時24分。画像の花は、百合、白とくすんだ濃淡のピンクのラナンキュラス??、淡い紫のカンパニュラ??さて、今日は、「おやっ!?:家系図が吹っ飛んだ?[付録:信仰の家系]」を書きとめます。母は、99歳と3ヶ月。つまり、数え年100歳。今朝、高齢者ホームにいるそんな母から電話母「E君は、誰の子供だっけ?」私「B君とDさんの子供よ。」母「Fちゃんは、誰の子供だっけ?」私「B君
こんにちは。だいぶ久しぶりになってしまいました。今年は色々と良くないことが続いています。精神的にも、ブログを書く気持ちになれませんでした。色々と気を付けなくては…と思っていました。そんな矢先…スーパーの駐輪場に止めておいた自転車のカゴの荷物を持っていかれてしまいました。ほんの10分にも満たない時間、ほんの少しだから大丈夫だと思ってしまたのがいけなかったです。金目のものは何もなくて、むしろゴミとかも入っていたので、被害はそれほどでもなかったのですが、なんか気持ち悪かったで
私は子供の頃から心配性でした父も母も歳をとっていたので両親ともに早く亡くなってしまうような気がして小さな頃からそれが怖くて怖くてたまりませんでしたそうやって私の心配性の性分は確立されたのだと思っています父は私が中1の時に89歳で亡くなりましたが母は今年の8月94歳で亡くなりました私は子供の頃まだクリスチャンではなかったので初詣に行くといつもお宮さんで「お父さんとお母さんが長生きしますように」と祈願していました天の父なる神様はその時の私の祈りも知ってお
また、仕事がはじまるまた、思いわずらう自分に出会う悶々とする時この御言葉を読んで寝るといい「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイによる福音書6:34)平安がありますようにおやすみなさい
拙著、復活したイエスが描かれていたダ・ヴィンチ「最後の晩餐」について、少し書いておきたい。復活したイエスが描かれていたダ・ヴィンチ『最後の晩餐』Amazon(アマゾン)1,980円レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」についての謎解きをしていく中で、説明の一部に誤解を招く表現があったため、今回補足する次第である。レオナルドが題材にした新約聖書の「最後の晩餐」について書かれてある箇所は、それぞれ4つの福音書、すなわちマルコ、マタイ、ルカの共観福音書とヨハネ福音書にある。
令和7年1月20日月曜日、晴れ。今日の再掲は東京カテドラル聖マリア大聖堂。まさかこのカテに居る人は教会で結婚式を挙げた人は居ないだろうけど?何度かキリスト教会やイスラム教のモスクも紹介したが…神社仏閣と違って教会やモスクは「明るくて」綺麗で素敵な音楽も響く「映える」空間だ。僕は仏教徒である前に、祖父のために父と靖国神社へ参拝する氏子である前に、一番最初はプロテスタント,ルター派で洗礼を受けた使徒、いや堕天使である。神社仏閣とはまったく別の厳かで凛とした教会で聴く聖歌隊の讃美歌、ゴス
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督が1964年に撮った『奇跡の丘(IlVangelosecondoMatteo)』は、「マタイによる福音書」に書かれた処女懐胎、イエスの誕生、イエスの洗礼、悪魔の誘惑、イエスの奇跡、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、ゴルゴダの丘、復活のエピソードを映像化したイタリア・フランス合作映画になります。この映画は、ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、国際カトリック映画事務局賞も受賞しております。ローマ帝国時代。ヘロデ王の治世下のべツレヘムの大工マルチェロ
妻が先に記事を書いています、よろしくお願いします。『ヨハネによる福音書第1章①反芻』この道は始めは辛いのですが楽な道です、骨を折らなくても素直にさえしてその日その日の仕事をしていてください、心配要らない道なのです、手柄を立てようと思わないでく…ameblo.jp下のリンクより、マタイの福音書19章が、読めます。2024年10月30日:イエス様の言葉を理解するイエス様の言葉を繰り返し読んで理解しますblog.livedoor.jpマタイによる福音書第19章
妻が先に記事を書いています、よろしくお願いします。『ルカによる福音書第23章④反芻(富田由華里)』カミの大事な肝腎の所が違った事になっているので、その肝腎要(かんじんかなめ)の所を元に戻さなければ、どんなに人間が学や知恵でやってもどうにもならないのです、元…ameblo.jp下のリンクより、マタイの福音書18章が、読めます。2024年10月29日:イエス様の言葉を理解するイエス様の言葉を繰り返し読んで理解しますblog.livedoor.jpマタイによる福音
本日もさとこのブログにお越し下さいましてありがとうございますマタイによる福音書11章28〜30節「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。わたしは柔和で謙遜な者だから、あなたがたは魂に安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い。」くびきはイエスさまだけが引いておられるのでは、ありません。わたしたちも自分が困難を乗り越えてきた方法を誰かに指し示す時後に生き