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十一月卅日雨、歓談句作、後藤寺町、次郎居(なつかしさいつぱい)果して雨だつた、あんなにうらゝかな日がつゞくものぢやない、主人公と源三郎さんと私と三人で一日話し合ひ笑ひ合つた、気障な言葉だけれど、恵まれた一日だつたことに間違はない。夕方、わかれ/\になつて、私はこゝへきた、そして次郎さんのふところの中で寝せてもらつた、昨夜約束した通りに。飲みつゞけ話しつゞけだ、坐敷へあがると、そこの大机には豆腐と春菊と密柑と煙草とが並べてあつた、酒の事はいふだけ野暮、殊に
先日まで篠栗町の現場で工事を行っておりましたが休憩中に工内で気になる石を多く発見。これは…ここはボタ山だったか?現場の向かい側の山も、…おもいっきりボタ山。向かい側は津波黒地区。津波黒、津波黒…あっ、なるほどね。仕事中に向かう事はできないので休みの日に行く事にした。向かい側の山が気になった理由はユンボが山を削っているので何かしらあるのではないかと思った。現地へ向かうとこのような巨大なコンクリートの物があった。見る限り骨材にはボタ、仕切りが二層三層あった面
今回は飯塚市平恒にあった旧忠隈炭鉱の調査を行う、飯塚市内からこちらへ向かうとボタ山が見えてくる筑豊富士、ここまで完璧な形で残るボタ山があるだろうか?調査は炭鉱住宅から開始します、基礎となるブロックは新しく感じるのだが、ここにも炭鉱関連の建物があったのでは?そこから奥へ歩いて行くと、忠隈炭鉱、第四坑巻上台座。近くで見ると、赤く綺麗なイギリス積みの煉瓦です。周辺は新しい住宅が目立つ住宅街にこのような遺構がポツリ残るのも筑豊地区独特な風景だろう。詳細、庄司
昨年の4月、前職場の飯塚病院より現在の大法山病院に転勤し、早いもので1年が経過しました。福岡県精神科病院協会(福精協)筑豊地区会の学術担当として、平成15年の秋より、継続して筑豊精神科集談会の座長を務め、ずいぶん多くの演者の先生方を招聘しました。演者先生や関係者各位に厚く御礼申し上げます。さて、このブログを立ち上げて、そのタイトル「福岡県筑豊地区の精神科講演会ブログ」~何とも説明くさい名前を付けましたが、福岡県筑豊地区とは何でしょう?(出典:福岡県庁ホームページ)福岡県は
『京都市電ロマンカレンダー』に画像を提供頂いている「京都の市電昭和を歩く」「京都市電が走った街今昔」の著者の福田静二さんの、出版物になっていないものの展示会などで展示されている貴重な蒸気機関車の画像を提供いただき『蒸気機関車カレンダー』を連載します。ボタ山をバックに古豪の蒸機が行く筑豊本線では、まだ石炭列車が走っていた筑豊本線中間(なかま)~筑前垣生(ちくぜんはぶ)簡単にカレンダーが作れるテンプレートはこちらボタ山とは石炭を選炭した時に出る石や質の悪い石炭の