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イムジン河昭和42年(1967年)、京都では大学生によって結成されたフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の人気が高まっていました。アマチュアながら、コンサートは満席になる程です。それでも、「大学を卒業すれば其々の道を進むんだ」と決めていた彼らは、グループの解散記念に300枚のアルバムレコードを自費製作しました。暫くすると、ラジオ局にその中の一曲「帰って来たヨッパライ」のリクエストが殺到します。彼らは1年間限りの約束で、プロの世界に入ります。昭和42年(1967年)1
●世界的な大学紛争と日本の運動60年安保闘争のときは11歳の小学生だったが、なぜかそのときのことは記憶によく残っている。当時は、まだ第二次世界大戦終結から日が浅く、人々の「戦争」に対する拒否感が強かったことや、戦前の東條内閣の閣僚であった岸首相本人への反感があったことも影響し、「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの」として、多くの市民が反対した。アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に迎えの車を包囲されて動けな
日暮しからWikipediaを検索してRCサクセションのリンクを閲覧した。RCサクセションは最初、忌野清志郎、林小和生、破廉恥ケンチの三人がフォークグループとしてプロ活動始めた。その清志郎が最初に組んだバンドの名前がザ・クローバー。ザ・クローバーは高校進学で解散するが、残ったメンバーと先輩の武田清一を加えて、「リメインダー・オブ・ザ・クローバー(RC)」(クローバーの残党)を結成する。そこから発展してRCSUCCESION(RCの継続)となった。以前、清志郎がバンドの由来を「ある日、バン