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実は…今日5月5日は私の1回目の夫との結婚記念日でした朝から…あの世に行ってしまった夫にずっと話しかけていました彼は一世風靡をしたDCブランドパーソンズの創設者でした彼は間違いなく天才でしたニューヨーク・パリ・東京の街をこよなく愛した人でしたこちらは彼が60歳で亡くなった時に作られたプチコーヒーカップですニューヨークパリ東京が描かれています彼と私は映画のような出来事が重なって…結婚しましたもともと彼は私の大ファンでしたまわりの方々に「必ず僕の
田舎から出てきた松にインテリアを教えてくれたのは天才くんこと1回目の夫です松にシャネルのオートクチュールのドレスを着させてくれた彼ですセンスの塊のような人でした日本人には探せないセンス感を身に付けていましただから、彼はDCブランド・パーソンズで日本制覇が出来たわけですショップはニューヨーク・ロサンゼルスパリ・香港にもありました彼のセンスには脱帽でした彼は松にたくさんのことを教えてくれました特に、インテリアについてはさまざまな物を見せてくれましたその、彼が
元夫は私の大ファンでしたテレビの私を観て…結婚することを決めていたようでしたそんな私達は青山会館でのパーティーで運命の出会いをしたのですその後、私が29歳元夫が30歳で結婚しました元夫はDCブランド・パーソンズの若き創設者でしたまさにパーソンズは飛ぶ鳥落とす勢いがある時でした私達は夫婦になったのでした私が…32歳の時に息子を授かりました隆…元夫の一文字一…私の一文字愛しい我が子に名付けた名前は隆一でした息子が誕生したというのに元夫の女遊びは止みませんでし
パーソンズとは別に元夫と私が副社長を務める会社がひとつありました社名はスタジオ312312…これは元夫の誕生日でした3月12日が彼の誕生日でした誕生日を会社名にしたわけですその会社名義でな、な、なんとパーソンズの本社近くに豪華な部屋を借りていることに妻であり副社長である私は気がついたわけです松居探偵事務所はついに突き止めましたよ…🤣アトピッ子の息子を連れて…張り込みを繰り返していましたまさに、探偵物語でしたよ🤣元夫はその部屋にタチの悪いホステスを囲って
新年早々かなり、、、大変なことになりましたどなたからも頼まれてはいませんのに…「お正月に振り返る自分史亅なんぞに首を突っ込んでしまった松ですこの作業は実に大変です簡単にバンバンとアップなんぞ出来ませんかなり、構成を考え文章を練らなければなりませんしかし、お約束をしましたので先に進ませていただきますさて、二十代女優の仕事は順調でしたマルサの女しかしながら…命懸けで参りますレベルの情熱はなかったですどうしたら…大都会でひと旗あげられるのかとア
お見せついでにもう一丁!!ご覧くださいよ(笑)本当に笑っちゃいますからね(笑)別居後最初のクリスマスに…🎄抱えて持ってきたものはこちらでした💁♀️かなりのお値段ですよ手渡された…あたしゃ…唖然としましたよだって…考えてくださいよーっ1億7500万円の借金を押し付けようとしている人からですよ!!メリークリスマス🎅っと言われても「な、な、なにがメリークリスマスよ!!亅って…なりますよーっあたしゃ、アトピッ子の例の無いほどのやんちゃな息子を抱えているわけです
松はお話をしているように…世間で天才だと言われたセンスの塊のような男性が松の一回目の夫でしたパーソンズの創業者です彼は早くから日本を離れて…10代の時からパリで暮らしていました素晴らしい世界を松にはたくさんたくさん見せてくれました彼は松をテレビで観た時から必ず自分の妻にすると決めていたんですよ周りの方々にもその決意は宣言していたそうですだから、松とパーティで出会った瞬間から彼のアプローチには凄いものがありました一世風靡をした飛ぶ鳥落とす勢いのあるパーソンズ
お裁縫ですが…以前にもお話をしましたが学校時代の家庭科まったくダメお話になりませんでした最悪でしたから…すべて…母の作品でした(笑)母は、刺繍の先生でした母のおとうさんつまり、松居のおじいさんは墨絵に刺繍をしてアメリカ🇺🇸の軍人さん達に売っていたんですよ墨絵も、おじいさんが書いていたんですよそんなことから…母はあたしになりすまして作品を作るにはレベルが高すぎました(笑)なーにも出来なかった松居でしたが…一回目の夫息子の父ですお腹に、息子が
松居物語の続きを参りましょうか…日曜日ですからね20歳の松居です松居が19歳で上京してきたのは大都会東京でひと旗上げることでしたモデル時代19歳の松居ですたまたま…芸能界に身はおきましたがそれは、元手無しに体ひとつで勝負できるからでした今年で、16歳からの…モデル時代も入れると芸能生活は47年になりますがめずらしいとは思いますが芸能界の友達はひとりもいらっしゃいません(笑)顔を見たら…お話をする方はもちろんいらっしゃいますよしかし、個人的
Ryu1(松居一代の息子)『渋谷で最も訪れて欲しい場所』どうも、こんにちはRyu1でございます。イライラ指数が向上し過ぎたり、心が曇った時、必ず訪れる場所があります。Ryu1さんが新卒時に努めたGMOインター…ameblo.jp息子が渋谷のプラネタリウムについて綴っていました✍️疎遠の母が申すのもなんですが彼の知識の深さは彼の父と大変似ています息子は父が亡くなる前日に最初で最後の食事を2人で楽しみ…シャンパンで乾杯をしたそうですその翌日に息子の父、つまり私の一回目
お家に持って帰って、、、さっそく布地を合わせてみました今あるテーブルセンターの再利用する部分を合わせてみるとグランプリの布地はバツグンに合いましたねみなさーーーんいかがでしょうかしら…チープですが黒のシルク部分を少しだけ残したらアクセントにもなります布地屋さんではミニマムが1ヤードですかなり余りますので余った布地はキラキラのスカートにする計画ですさぁ、ここからは松がデザイン画を描いていきます縫子のおばちゃんの縫う腕前は確かですがお直しだけで生きてこられ
松居一代が元夫とのウエディング写真公開有名ブランド創業者「センスの塊のような人」(東スポWEB)-Yahoo!ニュースタレントで投資家の松居一代が10日、自身のブログで最初の夫とのウエディング写真を公開した。松居はファッションブランド「パーソンズ」の創業者・岩崎隆弥さん(享年60)と1986年に結婚。89年news.yahoo.co.jpみなさーーーんおはようございます昨日、お話をしました田舎から出てきた松に…インテリヤ・センスや絵画を教えてくれたのは紛れもなく一回目の夫
悲しいときはうーんと泣いたらいいじゃないですか…あたし2年半泣きましたからね毎日…毎日床にひれ伏して…声をあげて…もがくように泣き続けました自分でももう…ダメだと思いました「死んじゃうなぁって…亅死さえ、予感しましたでも、あたし…いま、ひとりで海を渡って…世界一の都市、ニューヨークその中でもビリオネアストリートのマンハッタンで日の丸を掲げていますからね人生の勝負をするためにダンボール箱を抱えてやって…来ましたよ泣いて…泣いて…泣いたか
今日で、マンハッタンに来てから21日目となりましたこれまで日本から離れた最長は10日間でした28才の時でした一回目の結婚をする一年前のことでした息子の父とパリイタリアを旅をした時が10日間でしたその旅は、いまも忘れられない思い出がありますムッシュ岩崎はエルメス借り切りでしたからね笑っちゃいますよ(笑)空港までお迎えに来てくださったのもエルメスのマネジャーさんでしたからね(笑)マンハッタンは19時半で、やっと暮れてきますし
息子に対する英才教育はなかなか…ユニークでしたが厳しいものでしたなぜならば、戦う相手は甘く、弱い、日本人ではないからです(笑)底知れぬパワーを持ち合わせているアメリカ人の皆さんです抜かりのない、ユダヤの方々そして、規格外の中国人達ですからねその方々と同じ土俵で戦うことになるだろうと踏みましたので…息子には、鋭さ、抜かりの無い目配り等を教え込みましたお話しましたように…母に似ることがなく…お顔ちゃんは…ブサイクなんですが…(笑)肝の座った風格