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筆者は昭和63年4月に大学に入学した。入学後初の公式試合出場は5月14日、講道館において行われた「東京大学柔道体重別選手権大会」であった。(ちなみに結果は86キロ以下級1回戦で早稲田大の選手に敗退。)この大会は全柔連傘下の大柔連主催のものであり、強豪と言える参加校は明治大・拓殖大・早稲田大といったところで、大学の柔道と言えば東海大、あるいは当時3年に後の「平成の三四郎」古賀稔彦選手を擁していた日本体育大学などをイメージしていた筆者は、やや華やかさに欠ける大会だという印象を受けた。何か柔道界
4月13日土曜日のパラエストラ渋谷。いつも通りのスパーリングが行われた後、無事に黒帯が誕生の運びとなりました。これはスパーリングではない!それでも投げられることを拒むあたりに矜持が感じられます。内定後しばらく稽古に現れずもしやと思われていましたが、予定通り谷選手が黒帯に昇格しました。授与式でも表情を変えずに終始怖い顔をしていたのも、また矜持か。それでも、なんだかんだ言って団結力があるのがパラエストラ渋谷。おめでとうございます!そして次戦に期待!
5月に入りゴールデンウイークも後半。公式SNSでもアナウンス済みですが、まだまだスマートフォンの普及率が高いとは言えない世の中、インターネットはコンピューターだけで見るという人も多く、当ブログでの発信も必須なわけです。こちらがゴールデンウイーク後半の稽古予定。祝日前には業務が溜まる高谷だけに、道場の貼り紙だけで御了承いただければ幸甚に存じます。もう一つ、ビッグなアナウンス。スピード出世と言われた茶帯昇格から早1年。‘闘将‘上野選手が今度は黒帯内定となりました。それま
かつて(学生)柔道の世界において、競技を統括する連盟が2つに分裂したことがある。昭和59年10月、柔道の総本山・講道館にて行われた世界大学柔道大会派遣選手の選考試合、観覧席の一団からシュプレヒコールが巻き起こったという。「差別をやめろ!」「自分らも出させろ!」全日本柔道連盟(以下全柔連)から脱退・対立していた全日本学生柔道連盟(以下学柔連)に所属していた学生たちが起こしたものであった。事の発端は昭和58年1月に開かれた「正力松太郎杯第一回国際学生柔道大会」をめぐってのこと。この大会、
2024年の世界選手権からIBJJFの道着基準が変更となります。いくつか軽く見てみると①生地は380gsm〜650gsm、ズボンは6から8oz程度まで。10ozは使用不可。(軽量道着と重すぎる道着に共に規制が入りました)②袖口と裾口は関節からの長さが5センチ→2センチまでとなり袖が短い道着は使用不可に。③袖口、裾口、上着の下端部分の補強は2.5センチまで。④上着とズボンのポリエステル等の使用率に規制がかかり上着は10%、ズボンは45%までに。⑤襟横のラインや小さいタグなど禁止。
ジャスト日本です。有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。今回、のゲストは、「伝説の格闘家」日本ブラジリアン柔術協会会長・中井祐樹さんです。(画像は本人提供です)中井祐樹(なかいゆうき)1970年8月18日生まれ。北海道浜益郡浜益村(現石狩市浜益区)出身。高校時代にレスリング、北海道大学在学中に高専柔道の流れを汲む七帝柔道を