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※最初にお断りしておきます今回の記事は、万人に向けて書いたものではありません。妻・聖子(きよこ)を亡くしてから私自身が実際に感じたこと、SNSでの言葉や善意、遺族との距離感について、かなり率直に書いています。読む方によっては「そこまで言わなくても」「考え方が違う」と感じたり、気分を害されたりする内容もあると思います。それで構いません。人それぞれ考え方は違います。ただ、読んで不快になりそうだと感じる方は、今回はここで閉じていただくことをおすすめします。誰かに考え方を押し
2026年6月15日、妻・聖子(きよこ)が交通事故で亡くなりました。亡くなってから約1か月。銀行や保険、年金など様々な手続きを進めてきましたが、最近になって一つ見落としていたことがありました。それが、妻名義になっていた2台の車です。・トヨタノア・1971年式VolkswagenType2ウェストファリア・キャンパー(通称ワーゲンバス)「車検証の名義を自分に変えれば終わりだろう」もともと、ハーレーダビッドソンのディーラー勤めで、その後バルコムモータースでBMWや国産外
令和8年6月15日午前4時25分頃、妻であり「3丁目のたこボール」オーナー店長の西本聖子(きよこ)が、広島市西区の西広島バイパスにおいて普通乗用車に追突される交通事故に遭い、救急搬送先の病院にて死亡が確認されました。6月16日に通夜を、6月17日に葬儀・告別式を執り行い、いずれも滞りなく終了いたしましたこと、また献花台の設置などについては昨日まではSNSやホームページを通して投稿いたしました。西本聖子西本聖子-「いいね!」5,280件·12,722人が話題にしています-移
「5月22日午後3時10分ごろ、三重県名張市薦生の県道で、長野県〇〇のイラストレーターの女性(ーー)が乗る小型バイクがガードレールに接触、道路脇に転落。女性は全身を強く打って病院に搬送されたが、約5時間後に死亡した。名張署によると、現場は薦原簡易郵便局から西に約600メートルの場所で、道路は片側1車線の緩やかなカーブになっている。女性は東へ向かって走行中に、何らかの理由でガードレールに接触したとみられ、通行車両から110番通報があった。同署では単独事故とみて、詳しい原因を調査中。」(
大切な人を失ったあと、世の中にはたくさんの優しい言葉が届く。「あの人はみんなに愛されていた」「自分も支えられていた」「忘れない」「力になりたかった」「元気ですか」「大丈夫ですか」そのどれもが、言った人にとっては偽りのない気持ちなのだと思う。誰かを傷つけようとして口にした言葉ではないことも、きっと多い。いや、そうに違いない。けれど、遺された側には、言葉をそのまま受け取れない日がある。たとえば公開の場で、「あなたこそが、あの人をいちばん支えていた」と、家族以外の誰か
本日も激務に耐えていた私です15時の会議中に一通のメールヘッダだけ見ると、大阪マラソン事務局からの社内募集枠抽選結果あっ、今日が結果発表だった!ドキドキしながら、ポチっとなまさかの当選!オオォォォ(゚ロ゚*)(゚ロ゚*)ありがとうございます、ありがとうございます😭200名応募かぁ、いつもより応募少ない気がするけどまぁいいか4回連続当選となると、その確率はどうだったかのかと言うと当選確率1.4%約71人に1人!我ながら、凄まじい確率を引き当てたものです。運を使い果たしてしま
令和8年5月15日5月も既に折り返しでございます。あっという間です。歯の痛みはほぼ無くなりましたが、奥の歯と歯の間がちょうど一つ分隙間ができて、違和感が付きまとっております。ちょうど外見上見える部分ではないので、そこは幸運で、笑うと歯抜けの間抜け面とならないのが良かったです。最近、道路上でよくバイク事故のニュースを聞きますが、転倒したバイクに乗っていたライダーの年齢層が比較的高い場合が多く若い世代にバイク離れがあるらしいという話を聞きかじりましたが、その傾向はややあるようで
私たちの人生は、目に見えない「守護霊」の手によって導かれているのでしょうか。1990年8月17日。TBS『たけしの頭の良くなるテレビ』のスタジオで、昭和最大の霊能者・宜保愛子が放った衝撃の言葉――「お酒とタバコをやめさせないと命までなくなります」。それは、かつて娘義太夫の花形スターだった祖母・北野うしからの、時空を超えた必死の警告でした。本動画では、その4年後に起きた1994年のバイク事故、そして2021年の襲撃事件。二度の絶体絶命の危機を潜り抜けたビートたけしの「九死に一生」の裏側に迫
今朝、事故を起こしたご本人が、ご両親とともに私の自宅を訪ねて来られました。私は最初から、「許す・許さない」の話をするつもりではありませんでした。私が知りたかったのは、あの日、妻聖子(きよこ)に何が起きたのかという事実です。聖子が最後に何か語っていなかったのかという事。事故から今日まで、多くの方から「実際はどうだったのですか」と聞かれました。しかし、一番知りたいはずの遺族である私自身が、その答えを持っていませんでした。壊れたバイクもまだ戻ってきていない。遺品もまだ手元にない。