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今日も『気づきのお便り』で、ステキな気づきのお便りをご紹介しましたけど、一方で、「いろいろていねいに教わっているのに、授業についていけない」「みなさんのように実感がわきません、自分は落ちこぼれです」といったお便りもいただいています。あなただけじゃありませんよあのね、そうじゃないんです。「実感がわかない」と気づいていることが、気づきなんですよ。「自分は落ちこぼれ」という思考が湧いていることに気づいていることが、気づきなんですよ。みーん
世界中の誰もが皆本当は『今ここ』にあるもの起きてる事を求めているのに・・・殆どの人は求めている事がそれ↑↑だと言う事に気付いていない・・・だから『これがイヤ』『あれがイヤ』『これ以上のものが欲しい』と・・・【これ以外】を求めるからそこから探求が始まる【これ以上】【これ以外】が起きる事はないし・・・それを個人がコントロールする事は出来ないなぜ人間は【これ以上】【これ以外】を求めるのか??それは・・・分離分離していると言う勘違いから何時でも足りな
Bonjour昨日はNahoYoga4thの3回目のクラスでした。はーーーーーーー。気持ちよかった。ヨガをやった後は、いつもスッキリそして、毎回すぐにみんなから嬉しいメッセージが届いてきゅん菜穂ちゃんシリルいつもありがとう♪今日のparisは日が差してて気持ちよさそうでしたね♪建物にピントがあってるから?今日も臨場感ありました私もヨガ歴
僕は『幸せ』は2種類あるとかんじています。一つは、ありのままの幸せ。もう一つは、行動する幸せ。幸せはいまここにあって、ありのままですでに幸せではあるのですが、人間としての自分はそれだけでは物足りなさを感じるようにできています。全体は個人というフィルターを通してこの世界を体験していてなにかしらの感情体験をしたがるんです。体験を得るためには行動することが必要で、全体は「何かをしたい!」というような衝動を個人に送っています。そのため、ありのままで幸せなんだからなにもなくて
ナチュラルスピリットさんのウェブマガジン「スターピープル・オンライン」での連載金森将の『生きる世界が変わるノンデュアリティ入門』第3回目の記事がアップされましたよん今回は、お勉強で間違えやすい点「あなたは大丈夫?」です。お勉強をしていくなかで大事な点はたくさんありますが、重要な三つを書かせていただきましたぞぜひ参考にしてくださいませ。→こちられんらくボード気づきのお便り、新しいお便りあり。一番上の🍓のマークのついたお便りね。補習ク
ベッドで横になっているとき、あなたの世界に床はありません。起き上がって、床に足がついたときにはじめて床が現れます。目が覚める前、目覚まし時計はあなたの世界に存在していませんでした。音が鳴り響いたとき、はじめて目覚まし時計が現れました。そして、目で見て、目覚まし時計がたしかにあると確認しました。音を止めるために、ボタンを押したとき、手の感触を通して、目覚まし時計の存在がよりたしかなものになりました。すべて、あなたの〝感覚〟で
JUNCOROオンラインギャザリングVol.10(11月)と、Vol.11(12月)に、参加してくださった方からいただいた、ギャザリングのご感想を、いくつかご紹介させていただきます。^^文中で時々、「座る」という言葉が使われているため、あたかもJUNCOROが坐禅でも教えているかのような誤解を与えてしまうといけないな、と思うのですが(笑)(坐禅だと「坐る」になるのでしょうけれど)JUNCOROは、坐禅も瞑想もしたことがありませんので(笑)もし、こちらを読まれていらっしゃる方で、坐禅や瞑想
年末年始は、いつもなら大阪の実家で過ごしているのだが、今年はコロナの影響で帰省できず、東京の自宅で過ごした。東京で過ごした大半の時間は読書にあて、非二元(ノンデュアリティ)に関する仏教とヴェーダーンタ哲学の本を10冊以上、読破できた。私はここ数年、日本語ではなく、英語で書かれた本しか読まなくなったのだが、仏教の中でも特に禅の精神について深く知るには、漢文を読みこなせる必要があるように思え、今回の年末年始は、漢文の引用が多い、日本の古典をたくさん読むことにした。そして、本を読んでいる間に、
bonjourdeParis今朝自然と笑顔になってしまうメールが届いた。菜穂さんシリルさんおはようございます。いま、まだ朝の四時半なのですが、私に起きていることをお伝えしたくなってしまってメッセージしています。菜穂さんラジオの明るさ、キュートさ、気楽さをほんとに今のタイミングで欲しているみたいで、ずっと聞いています。見えてきたなにかを忘れないように、触れ続けることで、思い出し続けることができるからかもしれません。この数日でと
何かがふと思い浮かびます。「よし、決めた!前から思っていたアレをやろう!」とか。さて、これはいったいどこから浮かんだんでしょうね?探ってみる?たどってみる?無理だと思います。気がついたら現れてしまっているんです。勝手に現れているんです。完璧にその条件がそろって、それしかない考えが、それしかないタイミングで現れたんです。あらゆることがそのように起きていくんです。芸術家が一枚の絵を描くとき、その発想は
二元性のマインドは、物事を「快適か/不快か」の二つに分け、片側の「不快」を排除することに成功すれば、それ以降、日々、快適な人生を過ごせるようになるはずだと信じ込んでいる。だから、不快感をもたらすような思考や感情を嫌い、それが出てこないように締め出そうとする。心の扉を固く閉ざし、安全と思える自分の部屋(エゴ)の中に閉じこもってしまえば、「快適」な日々を過ごせるようになると勘違いして。しかし、片側を締め出し、もう片側だけを得ようとする、このような試みを実行すればするほど、二元性の思考はますます
学問の世界などでは、「今」というのを口にしたときには、その「今」はもうない、なんていう理屈があったりしますね。今というのは見つからないと。なるほど、たしかに。でも、このお勉強に関しては、「今」は「今」でいいでしょ。「考え」であれこれ、こねくり回さないことです。蛇口をひねって、出てくる水に触れてみてください。よかったら飲んでみてください。どんな感じがしますか?それが「今」なんです。それが「事実」なんです。
ひさしぶりに、ヘルメス・J・シャンブさん(日本人)のメッセージ(動画)が入ってきた。ナチュラルスピリット社さんの運営するサイトである。流れに乗る生き方“夢を叶える”ということ|ヘルメス・J・シャンブhttps://www.youtube.com/watch?v=3T3s381NPCUこの動画主の著書「“それ”は在る」と読んだ時、とても感銘を受け「その通りであります!」という感想を持ったものだ。それは在る―ある御方と探求者の対話(覚醒ブックス)https://www.amazon.
悟りや非二元を探究している人程躓くところは身体が『私』ではない事を感じなくなる様に一生懸命にTRYしている事悟りや一瞥体験・覚醒体験を得たくてそう言う状況や体験を探している・・・でもそれは自由ではないんですね(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾そぅそぅそう言う事が起きる事は副産物でしかないしそれを一生懸命にTRYしてもただの探求になってしまうんですエゴ(自我)の探求のエサでしかありません・・・もし身体が『私』ではないと言う経験が起きたとしても、本来そこが目的ではない
昨日の朝のパリ♡Bonjour昨日は菜穂ラジオでした!今回は一昨日やったアメリカン人の方のおかしいエピソードをみんなにシェアーしてまた笑った。世界中共通のスピリチュアルあるある。幻想の世界はかなりコミカルそして今日はプライベートトークを受けた人たちがどうして
昨日の朝焼け♡この後すぐに雪景色になった。Bonjour一昨日は新しいコミニティについて、NahoRadioで話しました。新しいコンテンツライブシェアーについて熱い思い?を語ったら(かなり軽いけど実は結構熱い)メンバーのYちゃんから感動するメールがきました。菜穂ちゃーん♡今は楽しいペリスコープありがとう💕LIVEshareの説明を聞いてた時、ふと涙が
「非二元(ノンデュアリティ)とは何か?」を説明している文章を読んで、「そういうことか」と納得したなら、それは思考による二元的(概念的)な理解であり、非二元(ノンデュアリティ)ではない。「二元的な理解」とは、「わかる」に対してその反対の「わからない」がある言語領域(次元)の理解のこと。他にも例を挙げると、「良い/悪い」「好き/嫌い」「多い/少ない」「ある/ない」といった正反対の二つがある次元の「理解」のことを指している。たとえば、非二元について語っている人の中に「私はいない」と伝えてい
ノンデュアリティについて書かれた本がたくさんあります。ネット上でもたくさんのスピーカーさんがノンデュアリティをそれぞれの思いや考えで語っていらっしゃいます。それでも、ノンデュアリティはやっぱりわかりにくい。心を少しだけ楽にしたいと思って飛び込んでくる方々が、その難解さに打ちのめされ、〝わけわからん感〟に戸惑っておられます。むずかしい言葉を使わず、できるだけわかりやすく、と思って私が書きはじめたブログも、はじめたばかりの頃の記事は、やはりわかりにくかっ
僕たちの世界は、自分の中に映ったものだけでできています。何かを見なければ、僕たちはそれを知り得ません。何かを聞かなければ、僕たちはそれを知り得ません。においも、味も、感触も、そして、思考も含めて、自分の中に浮かびあがったものだけが、僕たちの世界なんです。赤ん坊のころ、マッターホルンという山は、あなたの中に存在しませんでした。実際にそれがスイスとイタリアの国境にあったとしても、小さいあなたには、何の関係もないこと。だって、あなたには、存
迷ったり、悩んでいて、答えが出ず、「これからどうしたらいいかわからない」ということがありますね。でもね、「どうしよう」、「困った」という思いが湧いたまんまものごとって、ちゃんと自動ですすんでいるんです。「いろいろ問題があって前にすすめない」と言いながら、そんな考えに踊らされたまんま、「どうしよう、どうしよう」という思いが湧いたまんま、ものごとはちゃんと起きることが起きていくんです。どんな思いが浮かぼうと、それが
どうしてこうなったんだろう。なんでこんなことになっちゃったんだろう。何がいけなかったんだろう――。何か困ったことや自分に都合のよくないことが起きると、私たちは、ついこんなふうに考えますよね。しかも、それが「自分に」起きた、と考えるんです。うれしいことが起きたときは、「自分に起きた」なんて思わなくて、ただ、「うれしいー!」「おいしいー!」っていう感覚がただあるだけなのに、都合が悪いときだけ、「自分」みたいなものをつくりだして、「自分に起
こちらから読んでいらして下さい桐嶋に起こったストーリー上の話ですが・・・実は私も解放や悟り等を目指してそういう経験に至った訳ではなく(本来それを経験する誰かがいたりそういうのに至る何かがある訳ではありません。それに解放や悟りとかそんなもの必要ありません。)色々な世界を勉強してその過程を歩んだのちに訪れた現象??だった毒親持ち機能不全家族育ち・・・幼少期から肉体的虐待は勿論!!精神的虐待も受けて育ちました・・・かなり酷い両親でカウンセリングを受けるとカウンセラ
僕は、毎朝、暗いうちに仕事場に向かうんですけど、星がまったく同じ場所にあったことなんてないんですよ。毎日、はじめて見る星なんです。ずっと何年も同じ道を歩いていても、まったく同じ場所を踏むことなんてないんです。一歩一歩、はじめて踏む場所なんです。いつもはじめての体験なんです。仕事でも日々の家事でも、なんでもそう。ぜんぶ、そのときがはじめてのことなんです。でも、あなたは毎日おんなじことのくり返しだと思っていますよね。
いろんなことがうまくいかなくて「苦しい~、つらい~」っていうのは、自分の中に、「苦しい~、つらい~」という「思考」が現れていて、それをどうにもできなくなっている、ということなんです。言ってみれば、自分の中で起きていることを、自分で始末がつけられなくなっている、っていうことなんですね。長い人は、何十年もそんなふうに過ごしておられるわけです。実際、私がそうでしたいいかげん、ここいらで、ひと区切りつけましょう、というお話をします。
〔目次〕まえがき~ノンデュアリティは、「心」のお話じゃないんです~第一部お答えします!『バタ足Q&A』まずはここから。『基本編』質問1そもそもノンデュアリティって?質問2ノンデュアリティでは、よく「私はいない」という話が出てきますが、自分がいないとはどういうことなのでしょうか?質問3「全体」と一つになるというのがよくわかりません。そもそも「全体」って?質問4すべてが「対象」ではないというのはどういうことでしょうか?
みなさん、こんにちは今日は、「感情」についてのお話を少ししますね。みなさんとお話をさせていただくなかで、「思考は流せるようになってきたのだが、感情がどうにも離れない。どう向き合えばいいのか?」という質問をまあまあの割合でいただきます。私の伝え方としては、「放っておく」という表現が多くなるわけですが、みなさん、これがどうもうまくいかないんですね。それは、目を向けるところが違っているからなんです多くのみなさんが勘違いしていらっしゃる
あなたが思う「幸せの条件」にはどのようなものがあるでしょうか?好きな人といっしょにいられることですか?嫌いな人といっしょにいなくてすむことですか?自由な時間がたくさんあることですか?家族がいっしょにいられることですか?経済的に余裕があることですか?健康であることですか?やりがいのある仕事をしていることですか?自己実現、夢がかなうことですか?あげたらきりがないほどたくさんあるでしょう。さて、これらの条件は、これが「ない」と当然、
「会社で上司に叱られ、取引先で文句を言われ、そんななかで、『静寂を感じる』なんてできませんよ」「将来が不安で不安で仕方がないんです。そんななかで、『静寂を感じる』なんてできません」「過去の後悔がなくなりません。そんななかで、『静寂を感じる』なんてできません」そうですよね。多くの人が、心の静寂というものは、〝問題〟がなくなったときにはじめて現れるものだと思っています。「静寂」は、仕事なんかから離れて、屋久島の森の中に立ったときに感じるものだと思っています。
非二元の話題が豊富の「空白」さんのブログのなかで、「非二元論と不二一元論は違うんですね。。」という興味深い記事があった。https://ku-haku.jp/hinigen-funiichigen/私はこのことを多少は気にしていたが、具体的に、個人の存在がどうのとか、意識がどうのとか主体がどうのとか、そういうことではなくて、これは単純に区分の違いとかと思う。どちらも、非二元を考える上では、インド哲学の話であることが前提だが。インド哲学の二元論(プルシャとプラクリティ、アートマンとブラフマ
僕たちは、何かを得ることや、願いがかなったりすることで、幸せになれると思って、ずっと育ってきました。誰もがそう思っています。でも、違うんですよね。それは、もうみなさん、お勉強をして来られて、頭ではわかってきているんじゃないでしょうか。でも、なかなか腹に落ちない。心から「ほんとにそうだよね」とは言い切れない。何も欠けていないこれしかない世界にいながら、いつも別の世界を探し求めています。ここじゃない別の場所に行こうとし