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トレインボックスから2026年の限定品の発表がありました。といっても桜の写真だけで詳細はまだ発表されていません。過去の限定品ではキハ40形のカラーバリエーションが多く、大人気となった播但線カラーに姫新線カラー、岡山地区のノスタルジーなとがありました。そんな中2024年に485系かがやきが製品化されました。2025年は323系大阪環状線パレードトレインが抽選販売と即完売の大ヒットとなりました。ちょっと前はキハ40形気動車、最近はレアな電車の製品化を考えると2026年も電車?引退の近い500系新幹
え!可愛い!と惹かれて思わず。ユニクロで、パジャマ買ってみました。エアリズムなので、サラサラです〜ザ・パジャマという形とデザイン。小花柄ってのが、なんだかノスタルジーですよねこっちが長袖で、エアリズムコットンパジャマUNIQLOこっちが半袖です。エアリズムコットンパジャマUNIQLO春夏は、普段、Tシャツ+リラコという組み合わせがほとんどだったので、パジャマ型が新鮮!オンラインだったので
4月22日(水)『旭川Y'sホテル』4月22日(水)『旭川喫茶室叢(くさむら)・他』4月22日(水)『旭川豚丼大手門緑町店』4月22日(水)この日は旭川へ行き奥さんは蕎麦やいぬいでラ…ameblo.jp前回の続き↑奥さんはランデブーダイナーで夕飯自分は部屋飲み後Y'sホテルを出発お目当ての梁山泊本通り店に到着ノスタルジーな店内でカウンターに着席ドライとお通し地味に美味しいお通し手羽先タンコツもつ塩レバー豚串(タレ)1本ずつから注文可能でどれもサイズ
日本テレビ大人の帰省体験(C)1991岡本螢・刀根夕子・StudioGhibli・NHおもひでぽろぽろ東京で働くタエ子(今井美樹)は夏に休暇を取り、山形にある義兄の親戚の農家に向かう。東京生まれ東京育ちのタエ子は小学生の頃、夏休みの帰省経験がなく、田舎暮らしへの憧れがあった。小学五年生の頃の記憶を辿っているうちに山形に着いたタエ子は、車で迎えに来ていたトシオ(柳葉敏郎)と合流し、のどかな田園風景の中を朝の紅花畑に向かう。(C)1991岡本螢・刀根夕子・StudioGhibli・
今日は旧キットゴッグのパッケージの違いについて呟きます。↑赤バンダイ(左)と青バンダイ(右)。ゴッグの機体が少しピンクみがかかった茶色に変化し、バンダイナムコのロゴが新たに付いている。そのほかにガンダムのマークがついた証紙も銀紙のシールから台紙にプリントされたモノに変わった。我々世代は赤バンダイのパッケージが馴染み深いですが、ここ数年は青バンダイのが主流となってます。パッと見ではあまり違いがあるように見えませんが、実はかなり異なります。赤バンダイには転売防止用に、プロダクトナンバーの横に
こんばんは、まるもです本当に、暑くて熱中症の危険にさらされるか大雨の被害に直面するか日本にいる限り、このどちらか、または両方ではないかと思わずにはいられません一方、米ロ会談は終了....パッとしない終わり方でしたが、客観的には微前進したのではないでしょうかそれでも、次回の行方次第であり、現段階ではなにも評価できることはありませんそして「19.2秒問題」すさまじくなってきましたね.....これは超がつく個人的意見ですが以前も、往生際の悪さや、もはや目的を
−2℃→1℃☃️年々、力が無くなり?気力かな?駐車場は、とてもじゃないけど1人では除雪できません、アプローチだけね疲れて、まずは一杯🍻コンデンスミルクこちらの曲を聴いて、アッと思いました!大瀧詠一さんに似てますよね、最後の最後まで大瀧詠一ですょー、タイトルも大瀧詠一っぼいし!昨日も書いた歌いまわしですね、半音上下〜みたいな?コブシかな?ポップスも、あるんですコブシが!演歌だけじゃなくてー、、、!私、ナイアガラサウンドも好き♪おだやかな構図昨日、LINEミュージックで初めて
ういっす♪セニョです(^o^)7月となり季節もすでに夏真っ盛りな感じですね!皆様いかがお過ごしでしょうか?ふわふわ吹奏楽部を5月〜7月までお休みを頂いていますので、少しばかり休日の時間に余裕のある日が出てきました。なのでこの機会を生かして、以前よりやりたかった機材関係の片付けなど進めています。ノスタルジーさて、最近なぜか過去の思い出を振り返る事が多くなりましてね…。私セニョ、気付けば50歳…。そりゃあ、何かしら思い出もありますよねスマホの写真も10年以上前から溜まってますしね
岡山駅にて、ノスタルジーカラーに会いました。まずは国鉄一般色を纏ったキハ40-2134。以前はこのキハ40形とキハ47形による3両編成、または2両編成とキハ40形で運転されていました。現在は、この国鉄一般色を纏っているのは、キハ40形1両のみとなっています。昔は日本全国にいた、このカラーリングのディーゼルカーですが、リバイバルされているのは、数少ない存在となっています。通常は津山線の普通列車のシフトへ入っているので、比較的出会えるタイミングが多い車両。かつて芸備線でも標準色だったの
ピースノスタルジー小玉スイカ🍉収穫オクラ、大きくなりすぎ親子?義子は今朝、羽田からウズベキスタンへ出張昨日は義妹の挙式で忙しいね
『TOKYOタクシー』(上映中~:J-MAXシアターとやま、TOHOシネマズファボーレ富山、TOHOシネマズ高岡、イオンシネマとなみ)公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/tokyotaxi-movie/宇佐美浩二は中年の個人タクシー運転手。妻と娘の3人暮らし。タクシーの車検が迫り、借家の更新料の支払いも間近に控え、娘は音大の付属高校への推薦入学で100万円ぐらいかかりそうです。そんなある日、85歳の高野すみれを東京・柴又から神奈川の葉山
最近、テレビCMで聞き覚えのある『地下室のメロディー』が流れていますね。どうやら新型プレリュードが発売されたようです。バブル時代に“元祖デートカー”として大ヒットした3代目プレリュードのCMをオマージュしたような演出で、とても素敵です!実は、大学時代にプレリュードに乗っていたことがあり、思い入れのある車なので、今回の復活はとても嬉しいです。NewPRELUDE「爽快と悦楽のハイブリッド」篇-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコン
佐久間、水窪険道ツーリングの時、旧木沢小学校に行きました。長野県飯田市南信濃木沢にある旧木沢小学校。木造校舎が現存して、今は卒業生の方が中心に管理がされています。入場無料でほぼ毎日開館しているそうです。校庭の様子入口旧職員室1階の教室懐かしい雰囲気です。校舎の模型など古い自転車体育館2階の教室
簡単な手提げ袋の作り方1月14日あれから・・・動画を見て参考に作ってみた。5分ぐらいで簡単に作れた。持ち手と両面テープがないので紙袋にして、ハサミも要らず、ノリだけあれば作れる。ただの紙袋になったけど、なんだか、昔を思い出してノスタルジーでいいなぁ。。昔って、店屋のおばあさんが新聞紙で包んでくれたんだっけ?!コロッケとか、文具品とか、、なんでもかんでも新聞紙!!焼きいもを入れたら美味しそう戴いた新聞紙の手提げ袋
今回は大仙市にある食堂二十番さんへ。三刀流さんからの連食になります。中華そば(800円税込)を。いわゆるノスったラーメン。麺は黄みがかった長めの麺で、だいぶ柔めな茹で加減でした。意外とチャーシューが柔らかかった。時の流れを感じます。こちらは、玉子丼(600円税込)。昭和価格がありがたい値。秋田県特有な甘じょっぱさ。日頃から店名はもちろんですが、商品名もお店のメニューに記載してある通り掲載することを自己ルールにしてますが、こちらのお店はネットでは『二十番食堂』が多いようですが
皆さん、年の瀬も押し迫りました今日この頃、如何お過ごしでしょうか?2025年の〆の散策として年末恒例の平成ちくほう鉄道市場駅の夜明けを撮影しますが、コレはFacebookとInstagramに掲載する予定。アメブロ掲載の街歩き長文記事としましては、今回ご紹介する福間駅前にて〆とします。来訪日は2025/11/29(土)間が空きましたが、シリーズ化しております福岡市のベッドタウン探訪の第三弾となります。実を申しますと、JR福間駅の目の前に佇む老舗・井原書店が来年2月を以て店じ
こんにちは♡今日は「マツコの知らない世界」で取り上げられてから密かに人気が高まっている、島根県のレトロ温泉地・温泉津温泉(ゆのつ)にあるお宿、寛ぎの宿輝雲荘(きうんそう)をご紹介します♨️✨温泉津温泉って、実は“穴場の温泉地”と言われていて、石見銀山のほど近くにある小さな温泉街。道沿いに古い街並みが残っていて、初めて訪れたのにどこか懐かしいような…そんなノスタルジーを感じる場所なんです。夜になると湯気がふわっと立ち上る石畳の通りが美しくて、「これぞレトロ温泉街!」っていう情緒がたま
成田街道(新町通り)を西へ歩いています。佐倉市立美術館の前に差し掛かると、ガレージが学校の教室のようになっていました。これは足止まっちゃいます。ガレージライブラリーという企画で、美術館の開館時間に合わせて実施されているようです。まだ試運転らしく、蔵書は少ないですね。でもこの雰囲気、好きだなぁ。なんとこの企画、貸し借りだけでなく、本を持ち帰ってもいいのです。そして、不要になった自分の蔵書を持ち込んでもいい。もうね、THENIPPONですよ。例えば小学生が単独で通学している(
私が生まれて始めて漫画を読んだのは、幼稚園の年中さんのとき。(幼稚園に置いてあった古い『小学一年生』を読んだ。そのすぐ後に手塚治虫の自伝漫画を読んだ。)その時、私の脳と体にはものすごい衝撃が走ったことを今でも鮮明に覚えている。そこからずっと子どもの頃は「漫画家になりたい」と言っていた私。漫画の、絵と言葉で人の心を振るわせる、というところを今も昔も愛している。学生の間もずっと漫画を描き続け、成人したあとに運良くご縁があって漫画家をしたタイミングがある。連載も少し