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ー彼女にとって〝美貌〟のみが〝お守り〟であり〝万能のアイテム〟だったのだ。カスティリョーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドーニはフランス皇帝ナポレオン3世の愛妾としてとても有名な女性。サルデーニャ王国の宰相カヴールが送り込んだスパイであり、歴史的な1861年のイタリア統一に〝影の影響力〟があったとされています。1837年3月22日、イタリアにオルドイーニ侯爵の娘として生まれましたヴィルジニアの美貌は9歳の時からすでに評判で女として男性を惹きつけたと言われていますヴィルジニアは16歳の時カス
ウージェニー・ド・モンティホはフランス第二帝政期にフランス皇后として君臨した人物です。フランス第二帝政期は1852〜1570年間の治世でありわずが20年にも満たない短い期間でした。しかし第二帝政期は〝第二のロココ〟と呼ばれるほど華やかな時代でした。華麗なワルツが流れる毎晩の夜会ではいわゆる縦ロールに長い髪を巻いた女性たちがクリノリンドレスを身につけ登場しました。このエレガントで最高に華やかなファッションを復活させ、ファッションリーダーとなったのが皇后ウージェニーですまた皇帝ナポレオン3
2018年12月24日記事お写真、プラス☆本編記事とダブってるな・・・歴史ジャンル頑張る?20日に、アクセスを頂いた記事の2位にランクイン。第三百七十七夜・カスティリオーネ伯爵夫人シンプソン夫人に続き、テーマ「歴史」続き。でもって、フェッションリーダー的?女性強し。みどり、昔の仕事関係で、お洒落番長を山ほど拝見して来て、見た目、勿論美しいのは素敵ですが、そこにアイデンティティが来ると、いささか・・・であり
アポロンのギャラリーに度肝を抜かれましたが、フランスのお宝はそれだけにとどまりません。ルイの次はこの人。ナポレオン3世!!ナポレオン3世の居室群アポロンのギャラリーから数々の名画を抜けた先にあります。モナリザのリシュリュー翼のお向かいです。ここにたどり着くまでに数々の名画があるので、無事にたどり着けない可能性あり。はってでも行ってください!!!贅沢とは?ゴージャスとは??贅の限りを尽くすとは、こういうことなのかもしれません。もし、わた
(レオニード・ルブラン1842年12月ー1894年2月)この写真の女性は、レオニード・ルブランという名前の女優・高級娼婦です。レオニードの目的はただ一つ。それはお金。レオニードは、パリの紳士たちに「マキシマム嬢(最高に高くつく女の意」と呼ばれていました。レオニードは美人でも特別かわいくもありませんでしたが、彼女が〝最も高くつく女”と呼ばれた理由は、ただたんに贅沢なだけでなく才知に富み恋人に最高位の人たちがいたためでした。レオニードは美人ではなかったが、男性受けする顔立ちで野心家ですが
皆さんこんにちは~!パリ個人旅行案内のNOTREPARISノートルパリです。お元気でしょうか?パリ改造の時に、ナポレオン3世とオスマン知事によって、素晴らしいオスマニアン様式の建物が作られ、パリの町は美観も統一され、ヨーロッパで一番美しい町に生まれ変わります。現在のパリもこのオスマニアン様式の建物が60%ほどのこっているそうです。◇オスマニアン様式の建物の背景と名前の由来ナポレオン3世の母親が1837年10月に他界し、その後、3年間ほどイギリスに滞在します。近代