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こんばんは、コーチのコガです「罪と罰」1866年にドストエフスキーが書いた文学作品です私は中学生の時に読みました読みたくて読んだのではなく半強制的に読まなくてはいけない状況だったと記憶していますとにかく怖い内容であったことを覚えています罪を犯したという苦しみからは逃れられないその当時は自分とは全く関係のない世界観だなと思っていましたしかし成長するにつれて歳を重ねていくにつれて人は大なり小なり「罪」を犯すこと「過ち」を犯すことがあることを理解しましたしかし法律では
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典92(85人目)~ホフラコーワ夫人(前半)~・ホフラコーワ夫人…ハリコフの地主の奥方。リーズの母親。「絶対に相手の会話を遮る」という特技を持っている。顔の広いゴシップ大好き長話おばさん。恋に関する発言のみ非常に的確。終盤にペルホ―チンとロマンス。その場その場の心の振れ幅だけで生きる人。1日目正午ホフラコーワ夫人:「リーズ、きちんとお礼を言いなさい、お礼を!」娘を連れて長老との面会を待っているのを、庵室での会合へ向か
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典84(74人目)~フェーニャ~・フェーニャ…グルーシェニカの小間使い。マトリョーナの孫。二十くらいの若くててきぱきした娘。ラキーチンとアリョーシャが訪ねたとき、「いえ、あの方じゃございません、別の方ですからだいじょうぶですよ」と報告した。部屋にシャンパンを運んだ。「奥様、奥様、お使いの方が参りました!」と、モークロエからの馬車が来たことを、グルーシェニカに陽気に伝えている。【⇒第2部第7編:アリョーシャ3一本の葱】3
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典39(28人目)~カルガーノフ~カルガーノフミウーソフの遠縁。大学入試の準備中の二十歳くらいのハンサム青年。この世に絶望し、夢の中に生きる貴公子。信仰の力とカラマーゾフの力を持たないアリョーシャ。放心状態で考え込むことがある。庵室での会合に、ミウーソフが連れて来た。アリョーシャとも友だち。修道院へは生まれて初めて来た。修道院の前で乞食に囲まれたとき、フョードル・イワン・ミウーソフは施しをしなかったが、カルガーノフだけ、「ひどく慌
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典96(94人目)~マクシーモフ~性格などトゥーラ県の地主。六十ぐらい。病的な好奇心で、「場違いな会合」へ向かう四人に近づき、庵室への案内を買ってでる。長老のことを「完全無欠の騎士」だと言っている。長老の庵室へは向かわず、先に食事会の開かれる修道院へ、小走りで向かった。フョードルは、マクシーモフが、フォン・ゾーン(猟奇的に殺された好色漢)に似ていると言う。【⇒第2編:場違いな会合1修道院にやってきた】1日目11時半マ
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典42(34人目)~グルーシェニカ(序&1日目)~・グルーシェニカ…もうひとりの悪女、もうひとりのヒロイン。しなやかな猫のような女。見た目は「世間並み」の美女。フョードルとドミートリーを夢中にさせ、二人を泳がせて楽しんでいる。さらに、ラキーチンにアリョーシャを連れてくるように頼む。「ねえ、あの人を連れてきてちょうだいよ、あの人の僧衣を脱がしてみせるから」と言う。カテリーナは白から黒へ、グルーシェニカは黒から白へ。物語の中心人物であり
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典102(113人目)~ラキーチン(前半)~性格など神学校を出た二十二・三歳の見習い僧。どういうわけか修道院で手厚い庇護を受けている。いたるところにコネがある。町の生き字引。ひどく落ちつきのない、ねたみ深い心の持ち主。イワンの予想では、近い将来、修道院長になる出世の道に飽き足らず、ペテルブルグに出て、十年くらい論文を書いて、雑誌を乗っとり、社会主義的色合いでリベラル派の無神論がかった雑誌を出版して、やがてペテルブルグに豪勢なビ
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典35(27人目)~カテリーナ・イワーノヴナ(序&1日目)~・カテリーナ・イワーノヴナ…物語の最重要人物。闇落ちするヒロイン。グルーシェニカの宿敵。士官時代のドミートリーの上官だった中佐の再婚相手の娘。母は大将軍の親戚。ペテルブルグの貴族女学校出身。背がとびぬけて高い。意志が強くてプライドの高い、実に高潔でなにより知性と教養にあふれた女性だったが……。回想カテリーナ:「で、まいりました……ください!」ドミートリー
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典99(106人目)~ミウーソフ~アデライーダ(フョードルの先妻)のいとこ。作中で単に「ミウーソフ」と言えば、この人を指す。パリから戻って来た「一族の中では別格の人物」。教養ある都会人。自由主義者の無神論者。修道院の敷地と境界を接する領地を持っており、若いころから、この修道院を相手に権利関係の訴訟をくり広げている(実際のところ係争中の漁業権や伐採権がどこのことなのかすら知らない)。アデライーダの死後、フョードルに対して若者らし
驚くべきことに、読めたのである。しかも、面白いと感じてしまった。ロシア文学なのに!ロシア文学には、いつぞや、なんだったかに挑戦してみたことがある。長い。まどろこしい。ちっとも話が進まない。気短な私にはまったく向かないものだと断じて、私はそのなんだったかを投げだし、以来、ロシア文学にはさっぱり目を向けることもしなかった。それが、ひょっこり、読んでみようという気をおこしたのである。なぜか。月に一度、気の置けない数人で読書会をしている。それぞれが読んだ本、気に入った
ロシアとの思い出を書いたので、私が愛してやまない、ドストエフスキー『罪と罰』に就いて書いておきたいと思います。困窮するも働かず、自分の思想に耽り、社会的に追い詰められていた、ナポレオンを崇拝する、自称天才。すべての人々は凡人と非凡人に分けられ、非凡人は社会をより良く変革するため、つまり善行のための罪悪は法律を超越して良心によって許されるという理論に基づき、社会の害悪だとする悪徳な金貸の老婆を殺し、得た資金を社会に還元しようという理屈(還元できなかったが)。殺人を手段とすることは
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典23(19人目)~イワン・カラマーゾフ(序&1日目11時半)~【イワン一覧】~イワン・カラマーゾフ(序&1日目11時半)~~イワン・カラマーゾフ(1日目17時~)~~イワン・カラマーゾフ(2日目14時半~)~~イワン・カラマーゾフ(大審問官)~~イワン・カラマーゾフ(2日目の夕方以降)~~イワン・カラマーゾフ(8日目)~~イワン・カラマーゾフ(2週間後)~~イワン・カラマーゾフ(公判前日1)~~イワン・カラマ
ウクライナ紛争前、ロシアに頻繁に出張していた。渡航禁止、経済制裁、送金停止・・・の結果、中断しているが、私が現役のうちに復活することはなさそうだ。モスクワ中心街とモスクワから国内便で1時間程度の田舎町に泊まっていた。1~2月は外を歩くのも嫌になるくらい寒かった。マイナス20℃くらいかしら。商談後は、決まってウォッカ。飲みにケーションは日本のオヤジと同じだ。私はせいぜい3杯で白旗だが、オヤジ達は(たぶん)10杯くらい軽くいってたんじゃないかな。あれは熊レベルだ。工場の壁にロ
このところ、ウェブサイト関係のトラブルで四苦八苦しております。多くのみなさまもそうだと思いますが、プログラムのことなど分からずに使っているものだから、トラブった時にはどうにもこうにも対処不能に陥ります。人間界には因果関係の合理的な法則があって、そこをおさえていればトラブルにも合理的に考え対処できるはず。いくらかのゆらぎはあるにせよ、、、それに対してひらめき派の人たちは、思考を取り去れ、とよく言われます。エゴがあれこれ考えて、結果、まちがえるものだと。そういうことも往々にしてあるある~
読書家って仕事ないかなあ(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)(⌒‐⌒)なかなか読めないドストエフスキー五大長編アホウななんだ?あれオリエンタルラジオ?(全く知らん笑笑笑笑)の誰かがドストエフスキー講座YouTubeであったからみたがなんというか羨ましい笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑読書家ってYouTub
はじめにドストエフスキーの考えるロシアの本質というものを論ずるとき、ロシアのキリスト教であるロシア正教と離して考えることが出来ない。しかし、ドストエフスキーはヨーロッパ的教養を身に着けた人間であり、カトリックや社会主義、さらには無神論的傾向とも無縁ではない。また、ドストエフスキーの考えるロシア人のキリスト教は一種独特である。ここでは、ドストエフスキーが考えたロシア人のキリスト教の本質を、彼の文章の中から摘記しつつ、考えて行くことにしたい。1.『白痴』の例――背信者と神ドス
何事も動きがゆるやかでおだやかなものは、寿命が長い。これに対し、動きが激しくてあわただしいものは、寿命が短い。人生も、長生きできるかどうか、幸せに暮らせるかどうか、いずれもこの理(ことわり)を免(まぬが)れない。先ばかり急ごうとする者は、このことをよく噛(か)みしめてほしい。[呂坤(中国の明代の儒学者)の『呻吟語』より。]ゆっくり動くことと同様に、ゆっくり話すと、とくに意識しなくても呼吸がゆったり深くなって細胞の隅々(すみずみ)にまで血液がいき渡り、続けていると心身の調子が整ってきます。そ
「教団X」というタイトルを目にしたとき、アメトークの読書芸人を思い出した。それがこの本との出会いであった。「教団X」は、怪しげな宗教団体を通して、人間というものを多方面から考察する物語であった。物語では、松尾率いる「神はいるか考える会」と沢渡率いる「セックスで信者を洗脳する宗教団体」が対立する。最後にはテロにまで発展する。この本のキーワードは、・物理学(相対性理論、量子力学)、宗教に絡めた人生観・無になるということ、執着を捨てること・意識は脳の活動を見る鏡という考え方・他人と比べ
A(エース)ポート・マフィア幹部一番疑問が多いのが、A(エース)の元ネタは誰なのかというところだと思います。ズバリ、フョードル・ドストエフスキーの長編小説『賭博者』(とばくしゃ)に登場するアレクセイ・イワーノヴィチだと思われます。その理由として、アレクセイ・イワーノヴィチはかなりのギャンブラーということ。(この理由はかなり大きい)アニメ上でAはドフトエフスキーを勧誘することから、ドフトエフスキーと関わりのある人物であるということ。A(エース)は多額を上納しポート・マフィアの幹部とな
暦の上では5月に入りましたが、旧暦では未だ卯月です昨日スーパーに紀州の鰹が並んでいました初鰹が順調に水揚げされているのを見て、些か安堵している次第です日本は魚さえ獲れれば人々が飢えることはないだろうと思うからですところで、最近私は「一筋の人生」と言う言葉を良く反芻するようになりました決して格好をつけるわけではありませんが、今まで生まれ持っての好奇心の赴くままに突っ走って来た気がするのですが、大橋巨泉さんのある著作の中に「今度の人生ではこれは止めておこう」と言う文章があって、もうあま
ドストエフスキー『罪と罰』~冒頭でつまずかないために~ドストエフスキーの長編を読むとき、『罪と罰』を最初に選ぶ人が多いと思います。たしかに、ほかの長編よりも読みやすいですが、冒頭に壁があって、投げ出しやすい作品でもあります。第一部の終わりまで興味を持ち続けられれば、あとは一瀉千里です。ファイト!冒頭、主人公の青年(ラスコーリニコフ)が、「あれ」をするかどうかで悩んでいます。「あれ」の正体がなかなか明かされないので、何がなにやらわからないまま、だいぶん泳がされることになります。ドスト
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典48(36人目)~コーリャ・クラソートキン(序・前半)~コーリャ:「それにしてもしゃくなのは、背がこんなに低いってことだ」少年たちのリーダー。「それにしてもしゃくなのは、背がこんなに低いってことだ」。鏡を見るたびに、「これって、まるきりしし鼻じゃないか、ほんとうに」と内心つぶやき、憤然とした思いにかられる。年齢を聞かれるのが大嫌い。ニコライという名前も陳腐で嫌い。物ごころつかないうちに父を亡くした。母親が過保護なので、「
我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の4分の3を喪失(そうしつ)してしまう。[ショーペンハウエル(哲学者)]われわれは、自分自身になりきるひまがないのだ。われわれには、ただ幸福になるだけの余裕しかない。[アルベール・カミュ(フランスの作家)]人生の目的は、自己啓発(けいはつ)である。自らの本性(ほんしょう)を完全に認識すること、それが我々一人一人がここにいる理由である。(語注:・自己啓発=自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとすること。・本性=人が本来持ってい
『カラマーゾフの兄弟』人物事典はじめにドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』~冒頭でつまずかないために①~ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』~冒頭でつまずかないために②~ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』~冒頭でつまずかないために③~ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』~図表まとめ~ア行人物事典1~アガーフィア/アキーム/アデライーダ~※アガーフィア…コーリャの家の女中※アガーフィア…カテリーナの姉※アキーム…モークロエの馭者※ア
「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」(村上春樹・作家)「これぞ最高峰の総合小説。これを読まずして文学を、いや人間を語るなかれ」(齋藤孝・教育学者)「およそ続編というものが全く考えられぬほど完璧な作品」(小林秀雄・評論家)各分野の大御所を心酔せしめた長編小説なのは存じていたものの、視界からさけ、未読のまま人生を過ごしておりました。しかし「文学」・「教育」・「国語」で糊口をしのぐ身なれば避けては通れぬと一念発