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網走市藻琴の原生牧場観光センターの敷地内に日本軍のトーチカ跡があるというので行ってきました。網走市のオホーツク海沿いには8箇所のトーチカがあったそうですが、現存して内部を見学できるのはここだけです。トーチカはこの建物の裏側にあるのですが、お昼なので先に食事をすることにしました。ジンギスカン定食(1,000円税別)です。息子はサガリ定食(1,000円税別)を注文していました。食事を終えると、レストランの方がトーチカの説明をしてくれました。トーチカ跡の碑には、「このト
喜界島守備隊①トーチカ鹿児島県大島郡喜界町鹿児島県で2番目に標高が低い(63m)水天宮山の一帯は、南西諸島海軍航空隊(巌部隊)の壕舎(=兵舎)があり、その東にある川嶺地区には海軍の第321設営隊(宮本隊/隊員564人)本部が置れていた。写真のトーチカはこの川嶺地区にある。銃眼は水天宮山の南麓に向いている。対戦車用防御陣地がある辺りだ。銃眼を覗いてみる手前の円は機関銃を支える穴だろうか?背後に出入口があるようなので後ろにまわってみるなお海軍第321
そんな訳で徳島は小松島の日峯山と徳島市の眉山を探索してきました。2日間・・・と言っても昼から夕方までなので、あまり時間はかけてないんですけどねw全国的に緊急事態宣言も解除になり、ここ徳島でも県外ナンバー(ほぼ関西圏)も結構見るようになってきました。ETCの休日割りが再開になったのも大きいですね。ただ・・・ウチの小鳥さんね・・・調子の悪い子が居て泊まりの外出に踏み切れない状態です。なのでね・・・戦跡探索も思うように予定が立てられないんですよね。だから。。。ではないのですが、今まで目を
[勇払平野/苫小牧]①植苗トーチカ&緑ヶ丘公園トーチカ安平川(&勇払川)の西側。丘陵・山地にも縦深陣地では、植苗トーチカ(41式山砲)が現存、緑ヶ丘公園トーチカ(92式重機関銃?)がほぼ埋没しているが気配は確認はできる。安平川(&勇払川)の東岸に隣接する柏原には、山の中に柏原2号トーチカ(41式or94式山砲)が現存しているようだが、こちらは詳細がわからず行けなかった。勇払海岸〜汐見町海岸〜高砂海岸〜基町海岸には水際陣地が構築されていたが、現存するのは元町海岸トーチカ(92式重機関銃
[十勝地区]トイトッキ浜トーチカ①北海道十勝郡豊頃町(豊北原生花園)十勝川の河口、少し南トイトッキ浜と呼ばれる海岸に一対のトーチカがある。トイトッキ浜トーチカ②①はおそらくオリジナルのまま現存していたが、②は擬装の盛り土は取り払われ躯体が露わになっている。ここまでのアクセスは容易。なぜか祠と鳥居もあるし。一周してみる。①と造りは同じのように見える。南西側の銃眼銃眼から覗き込んでみる無理すれば入れそう。ゴミだらけだが。
八戸要塞(通称):是川地区②待避壕?出典:新編八戸市史近代資料編戦争(付図)より抜粋(詳細な地図だが、塹壕もトーチカも全て同じ赤丸で記されているため、コンクリ系構造物目当てで探索すると情報が少ないだけにつらいものがある。構造物の多くは私有地内にあり、出入口封鎖、破壊、埋没等により、往時の姿で内部進入可能なものは少ない)*待避壕?①同じものが島守地区にもあり、ここと同じく至近距離に防御陣地がある。考えられる用途としては待避壕、一時的利用の砲具入れなどの倉庫など多目的壕と思われ
その①より時間が空きましたが・・・戦争遺跡の少ない徳島県では非常に貴重な遺構だと思います。徳島県では、知る限り初めて確認できたトーチカです。本土防衛用に構築された陣地となります。位置的には眉山東部で、展開していた部隊は陸軍第155師団第450連隊第二大隊第五中隊。陣地は完成していたと思われますが、徳島空襲で一面まる焼けとなり陣地をここより少し西手の竹林院に部隊を移してますが、そちらは開発により陣地跡は残ってないかもしれません(少し探索してみたのですが、陣地跡らしきものは発見できず。)
[勇払平野/苫小牧]①静川綱木トーチカ道道129号線沿いにあるトーチカ。道路整備時に発掘されたそうだ。静川綱木トーチカの備砲は1式機動47mm砲。なお、静川トーチカ(備砲は1式機動47mm砲)は行くのを忘れ、共和トーチカ(備砲は94式山砲)は工場?の敷地から行くようなので断念。*静川綱木トーチカ横から砲眼(左)、出入口(右)出入口側出入口は下部にあり(みえない)出入口では中へ入る土砂流入があるが入れる。入室してか
[陸軍第73師団](本土決戦)二川のトーチカ愛知県豊橋市二川太平洋戦争の戦況が著しく悪化した1944年(昭和19年)夏以降、連合軍による本土上陸作戦に備えて、予想される地域に本土決戦用の防御陣地を構築した。静岡県は浜名湖西岸から愛知県の渥美半島伊良湖岬にかけての遠州灘も、本土上陸作戦が予想されていた場所だった。1944年(昭和19年)7月に新設された日本陸軍第13方面軍第73師団によって、豊橋市一帯には多くの防御陣地がつくられた。具体的には、海岸沿いの丘陵地帯に
[網走地区/網走港]帽子岩トーチカ北海道網走市網走市台町2丁目付近網走港から内陸を見ると崖のような台地(地名は台町)があり、ここの崖の中腹にトーチカがある。雪中行軍はつらいので、とある春の終わりに行ってみた。現地調査に行かれた方のブログが参考になりました!網走歴史の会・トーチカ調査報告トーチカ調査報告・台町シーサイドハウス下okhotsk.vis.ne.jpこのトーチカ、平屋造(1階建て)らしい。観測室や伝声管のような類いのものはない、とのこと。
今回は、変り種キットです。ひなちんの城1/72日本軍鋼製移動トーチカ96式25mm機関砲付です。‟JapanesePillbox”日本軍の鋼製移動トーチカは、主に太平洋戦線の主要な島々に配置されていました。このトーチカは、鋼鉄製の二重壁を備えたプレハブ式の切頭6角錐の形状で、外側と内側の鋼板の厚さはそれぞれ6mm程度、間の空間は砂で埋められていました。トーチカの内部は、上部と下部の部屋に分かれており、上部は監視又は指揮官用に設計され
[南大東島守備隊]陸軍本部壕(具志堅洞)沖縄県南大東村池之沢陸軍本部壕は、現在及び戦時も島の中心地であった在所集落の西外れ、標高は15メートル前後の平坦地(サトウキビ畑と貯水池)にあり、ドリーネ地形に東西方向に広がる自然洞穴(鍾乳洞)を利用している。出典:沖縄の戦争遺跡、P.295より抜粋・加工図①本壕跡がいつから利用されていたかは明確な資料はないが、『大東諸島戦時日誌』によれば「昭和20年2月17日より警備中隊、棲息壕・戦車壕構築などの作業に従事」と書か
さて苫小牧東部の苫東地区にもトーチカ跡が残っています。国土地理院2.5万分の1地形図「上厚真」より1.静川綱木トーチカ苫小牧東部石油備蓄基地の南西端の台地の森のなかにあります。ほとんど草木に埋もれた状態にあるがかなり大きなものであることがわかる全面”窓”が見える側面上にのぼることができる内部にも入れる内部の様子大砲を回すためか、床に半円が掘られている2.静川トーチカ静川綱木トーチカより南東の台地の森の中にあります。個々の手前の草地で
八丈島には旧日本軍施設が多数点在しています。まず人間魚雷「回天」二号壕跡に行きました。ここには4基の回天が格納されていたそうです。八丈島直射砲台跡に行きました。中はかなり奥までありそうですが、水の音が聞こえ、危険そうなので引き返しました。なお、GoogleMapsには出てきませんが、八丈島には鉄壁山地下司令部壕、神止山地下連隊本部壕もあるそうです。旧日本軍の施設ではありませんが、八丈島直射砲台跡の近くには人捨穴という遺跡があります。昔、飢饉の時、人減らしのため、老人を捨てた穴だそう
北海道戦争遺跡トーチカ探訪:㉝『エツキサイ5号トーチカ』在所:北海道広尾町小紋別探訪日:2019年10月30日『エツキサイ5号トーチカ』『エツキサイ5号トーチカ』在所※トーチカとは…語源はロシア語。コンクリート製などで造られた堅固な小型要塞です。内部に兵士が隠れて小窓(銃眼)より機関銃等の火器を用いて敵を狙います。今回紹介するトーチカはアジア・太平洋戦争末期本土決戦用に旧日本軍が構築したものです。トーチカ内部のイメージ(旧日
[須崎基地]回天格納壕・送信室壕など高知県須崎市須崎1978(馬詰造船所)付近昭和20年(1945年)4月8日、大本営は決号作戦(本土決戦)を示達。土佐湾は連合軍の上陸地点のひとつと考えられたため、重厚な防御陣地を構築を開始した。海軍は作戦艦艇の大部分を失い、残存していた主力艦も燃料不足のために十分に稼働できない状態にあったため、特別攻撃(特攻)を主力攻撃手段にすることとし、大量の特攻兵器の整備を進めた。昭和20年4月20日、高知県須崎には呉鎮守府管轄の第八特攻戦隊隷下「海軍須崎基
[網走地区/網走港]鱒浦トーチカと防空陣地北海道網走市網走市鱒浦殆ど資料がない鱒浦トーチカ。「台町しおさい公園下のトーチカ」を探索した網走歴史の会・トーチカ調査報告に、あるくらい。今回も参考にいたしました!ありがとうございます。トーチカ調査報告・鱒浦okhotsk.vis.ne.jp網走歴史の会・トーチカ調査報告に書かれているようにJR鱒浦駅から南へ約200mの地点にある。ちなみ丘の上ではなく中腹。鱒浦トーチカにはこの廃墟(工場)の建物の手前から横をまわるよう