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昔からオーディションの審査員に選手が混じった時にどれくらい発言権があるのか気になっていた。松永一家はいらないとしたけれど、ジャッキーや写真の三人、クラッシュ、ブルなど、歴代のオーディションに参加した先輩たちの一言で入ることができた人ってどれくらいいるんでしょうね。逆に松永一家はとろうとしたけど、選手の人がいらないといって落ちた人ってどれくらいいるんだろ。あまり知らないそういう踏み込んだ話し、ゆっくりじっくりきいみたいものです。
ジャガーといえばデビル、デビルといえばジャガーというほどのライバル関係に会ったふたり。ジャガー2回目の引退試合もデビルと。1回目もそうだし、2回目も、って同じ相手を2回選んで引退試合した選手って過去にいたんだろうか、、、、1年のキャリアを超えてここまでライバルになれなのは素敵ですね。
デビルとダンプは2年のキャリアの差があり、そこそこエリートのデビルと落ちこぼれだったダンプ、そしてデビル軍団のドンと4番手だった松本という関係が長く続いていたけれど。全日本選手権、オールパシフィックと2度のふたりのタイトルマッチはどちらも引き分け。え?松本には勝てないデビルというなんか不思議な関係がずっと続いていたが。三度目の対決、1985年12月12日大田区の赤いベルト決定戦ではついにデビルが雪崩式の肩車式バックドロップで松本からタイトルマッチで初勝利。おふたりには申し訳ないけれど、何
1983年の12月、週刊現代に載ったふたり。その頃はタッグトーナメントで盛り上がってきた時期で。ジャガーは永友をパートナーにクラッシュに1回戦負け、デビルは山崎との師弟コンビで準決勝でダイナマイトをやぶり、決勝進出したころ。9月の横浜文体の写真と後のひとりずつの写真が何枚か、4ページに渡って載っており、ある意味、クラッシュ人気に火がつきはじめ、ダイナマイト、クラッシュ、そして翌年誕生する極悪の3チームが中心になりそうな兆しのなかに、このふたりを取り上げたのも意外ではありますが。ほんとなら
当時デビル軍団最強ペアとしてWWWA世界タッグを六回防衛したふたり。1983年正月の後楽園でジャガー&ミミから完全勝利して、この年もぶっちぎるのかと思いきや、ジャンボ堀&大森ゆかりにストップさせられたふたりだが。この年はどんな戦績だったのでしょうか?1月4日後楽園WWWAタッグ(2-1)ジャガー&ミミ1月11日銚子(1-2)横田&堀1月17日浜松(2-1)ミミ&堀1月26日防府WWWAタッグ(1-2)堀&大森1月28日柳川(1-2)横田&長与長与が二本目、タランチェ
昨日あげようと思って疲れて寝てしまい上げられなかったので、1日遅れですがあげてみます(^^)1984年の昨日、おとといは?京都の宮津市鶴賀にあった会場のようです。翌日は同じく京都の城陽市。タッグブームが始まりつつあるこの時期。ジャガーが2日とも第二試合。宮津のメインは飛鳥が3本目とっているならクラッシュの勝ちで誤植ですね。常用のメインはダイナマイト&飛鳥(2-1)デビル&マーチン&ピーターセンでしょうか。58年組が2日とも試合をしていないですね。会場の使用時間の問題なのか、な