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天堂星は有形の世界でも無形の世界でも陽の気は衰え始めて、気が退くという現象を作ります。とはいえ、天将星の余韻は持っていて、エネルギーは8点という数値よりも強い状態にあって、時に融通の利かない頑固爺さんぶりも発揮されます。それでも集団の中では、常に一歩退くという本性が出て、出過ぎたことはしません。内面に本人なりの価値観、悟りを持ち、積極的な行動力は発揮されません。若い時代だと、年輩者に好かれ、老いてからは後進の人や子供よりも孫という離れた年代の人の中で役立つ立場を得ます。
天将星は最強のエネルギーですが、干支はすべて精神干支です。もうひとつの特徴、すべて主観星で石門星が全部に入っています。天将星10干支で8つが本元が石門星です。石門星1気以外では、玉堂星か調舒星の精神星が入っています。特に天将星とは似合わない調舒星が6つあるのは興味深いです。調舒星の完全主義的なこだわりが、アンバランスを作るのに一役買っていそうです。そして、調舒星ゆえに痛い目にあう(孤独を鍛えられる)可能性です。玉堂星単独は戊午だけ。知性が運を上げるといわれる戊午は、力で
十大主星も十二大従星も、人間の霊魂を構成しているそれぞれの分子(気)であることは同じです。それでいながら、成り立ち方や現れ方は全く違います。十大主星は心(日干)によって、星が選別され、10の星に分類されます。掘り下げてみると、日干の陰陽五行や霊魂の気の違い、なによりも日干の置かれている立場の違いなどによって、表出される星の内容は変わってきます。ところが十二大従星は日干が何であれ、日干の心を通っても本質は変わることなく表出されます。ですから、十二大従星の意味は、すべて同じ
胎児の時代から、7番目で頂上に到達します。それが天将星。古来より「皇帝の星」と言い伝えられています。イラストでどっしり構える大将や皇帝のイメージがないのは、ふと次の星をみると、「老人の時代」ってこともあります。陽極まりて陰転する分岐点にある、「極まる」エネルギーです。天南星のような勢いも、天禄星のような安心安全もありません。これが自然の法則の苛酷さです。天将星でなくても、それはいえる、人生の常です。金メダルをとって表彰台に上ったとしても、それで人生が終わる
現実的にも、精神的にもエネルギーを最大燃焼することが天将星だとすると、個人的な人生は考えにくくなり、人の中で活動し、なにげに指導者となって行きます。特徴として、徐々に本領発揮タイプが多く、子供の頃はおとなしく、目立たない子供になります。過保護厳禁はその通りで、若い頃より現実的に苦労したり、親の恩恵にあずからない環境で鍛えられることで、自力で運を開いて行く道を歩みます。極まるアンバランスな最強エネルギーの反対は、バランス名人、手のひら返しの天報星です。陽転すると(人
表干支の天禄星は4つしかありません。全部子丑天中殺グループにあって、専気干支で、干も支も現実です。本元は貫索星。いかにも、足元を固めて現実を生きる天禄星らしいです。精神星は鳳閣星が二つ。龍高星が一つです。鳳閣星と貫索星の組み合わせは、周囲に左右されないマイペースで自分なりの人生哲学を持って現実を固めて行きます。貫索星単独も自分を曲げないので、人間視点の天禄星は、自分の意志を貫きやすいようにできています。任せて安心です。一方で、裏干支は星の構成は同じなのですが、天干も
天貴星の表干支は、精神干と現実支の組み合わせで、裏干支は逆です。蔵干全部が客観星で、天貴星の意識の強さを裏付けます。霊魂星(精神星)では、丁酉の禄存星以外はすべて鳳閣星か龍高星が入っています。鳳閣星タイプは、器用で万能タイプの能力を持っていますが、龍高星主体では、やや偏った考え方となり、純粋さ故に、妥協を許さない自己主張にもつながります。鳳閣星は単独または禄存星と組み、奉仕の精神を持った少年少女のおだやかなマイペースさが出て、龍高星は貫索星と組み、自説を曲げない気負いが強
天禄星ー壮年の時代壮年とは、辞書的には「心身ともに成熟して働き盛りの年ごろ」です。算命学的には「家庭をもち人の子の親となり、加えて年老いた両親を背負い、人生の荷物も多く役割も重くなった時で壮年期といえる頃です。おおかたの人達が安全、安定を第一に心がける時期であります」となります。天南星の怒りの時代から天禄星は飛躍が大きいですが、荒波を経験して、バランスのとれた安定世界を構築できる年代です。環境を含めて、自分と自分に属する人たちを抱えて、自力で世界を作って行きます。グ
それではまず、10の日干と従星の関係を場所と方向から観て行きます。まずは、五行として旺地と死地の季節を理解してください。日干甲木と乙木の星の配置です。天将星と天禄星があるところが旺地で、天報星と天馳星のあるところが死地です。木性は春が旺地で秋が死地です。日干丙火と丁火の星の配置です。火性は夏が旺地で冬が死地です。日干戊土と己土の星の配置です。土性は夏が旺地で冬が死地です。火性とまったく同じ星の配置になっています。日干庚金と辛火の星の配置です。金性は秋が旺
十二大従星は日干と12支(時間と場所)との関係で自動的に決まります。関係というのは、日干の自然の方向や時間帯と一致する時が最高点になるように設定されています。甲木の十二大従星と十二支の関係です。甲木は(陽の木性)で地上では樹木を意味します。木性がもっとも自然に力を発揮できるのは「春(寅卯)」です。辰は時間としては春ですが、方向としては中央で、本来は10点になるところですが、乙辰が10点で甲と辰の関係では8点の天堂星となっています。従星は陰陽では異なるエネルギーになります
十大主星は日干の心の在り方によって、星の意味も燃焼の仕方も変わってきましたが、十二大従星は心を通過しても、エネルギーの力も性質も変化しないということでした。では、心の在り方で変えられないとしたら、十二大従星は何が大事なのでしょうか?従星は現実から生まれたエネルギーですから、心ではなくて、現実が大事です。ここでいう現実とは、日干の与えられた環境、また、生きているうちに作り上げた環境のことです。従星は最大エネルギーであろうと最小エネルギーであろうと、それをもっているからといっ
エネルギーの流れを霊魂(無)と人間(有)の関係でみていくと、成長と共に人間が完成していくという意味に思えてきます。「有」は算命学的には「陽」です。私見による想像図ですが、天恍星は陽の極の世界へ入る少し前に位置して、陽の世界の中途半端な状態にいます。人間は成長と共に陽(有)の世界が拡大し、陰(無)の世界と離れて行きます。これは一つのモデルで、実際には陰陽の差が広がらない人もいるでしょう。同じ従星を持っても、現れ方は異なってきます。これは星の意味とは無関係に、陽の世界が拡
干支では、天干が精神星地支は土性です。現実世界で力を発揮するエネルギーという印象がありますが、理性によるコントロールが必要ということで、玉堂星、龍高星が戊辰以外には入っています。戊辰乙癸戊戊辰は特殊な干支で、地支で暗合変化すると玉龍が生まれます。追い込まれると、理性的になれる(知的攻撃力)変身可能な回避策があります。逆に、蔵干にない星を探すと、調舒星、石門星の二つだけです。どちらも主観性が強くて、冷静さを保ちがたいところがあるためでしょう。自我(自分の気持ち)への執
天堂星のエネルギーは頂点を過ぎ去った位置にあって、真昼を過ぎて午後の状態に例えられます。陽の頂点までを進気とするなら、ここからは「退気」と呼ばれる落日へと向かうエネルギーです。人間社会では、諸々の役目が終り後を継ぐ者達へその道をゆずり渡した姿で、俗にいう隠居の身でです。そのため、この星には、「道をゆずる」「精神の柔軟性をもつ」などの意味が与えられています。後進のことを考えるので、自分が前に出る(我や自負や思考を強く押し出す)エネルギーは使えません。また、このエネルギーは
天南星の最大の問題点は、エネルギーのみが強くその裏付け、土台ができ上がっていないところです。その結果、制御できない「怒り」という感情が沸き上がります。天南星というと、正義感や正しさを振りかざしての批判力が特徴ですが、そこに怒りの感情が加わるので、厳しい批判力という印象を与えます。どこか冷静さを欠くのは、内側に確固たる根拠を持てない危うさがあるためでしょう。自己防御を必要とする弱さが、強い批判力になるという見方もできます。陽転すると(人間世界では)星の動きが現実の現象と
天禄星の世界は安定を望む心から生まれます。現実を生きる天禄星は、平和な時代を望み、安定した組織に所属することがエネルギーの発揮につながります。天禄星が壮年期のエネルギーということは、それなりの知識と経験の積み重ねが必要です。ひとつひとつ確認しながら、人生を歩みます。石橋をたたいて渡るイメージです。また、身強のエネルギーだからといって、現実世界だけが生き場ではありません。細かく積み重ねる質が精神世界で発動すれば、学問の世界では研究者に向き、記憶力がよいので、古来より「薬学の世界」
天印星の本質は「有中の無」。最大の無抵抗を生き方にします。そして、最強の弱者として、回りの人と与えられた環境のなすがままを受け入れることから出発します。「無力の魅力」として気が働き、意図しないところで因と報の原理が動いていて、現実が作られて行きます。現象的には、「人に好かれる人」「幼児のような純粋な心を持つ人」で、霊魂的には「物事の原因を生み出す人」です。裏干支も含めて蔵干の星はほとんど同じです。共通しているのは、日干が陽干の場合、調舒星、陰干の場合、鳳閣星と感性の星
ここからエネルギーは最大値圏内に入って来て、「身強」と呼ばれるパワーが発揮されます。時代としては青年(青春)時代。社会人として第一歩を踏み出す大人の入口です。大人の意味は、自分の力で現実を作り、運命を切り開いて行くエネルギーです。天恍星が夢を求めてここではないどこかを目指したときに、大きな壁として立ちはだかるのが「社会」という集団を単位とする既存現実です。続く天南星時代は、大人=社会人という常識の壁に向かって、ありたい自分とあるべき自分の違いを思い知らされる時でもあり
天印星の「有中の無」は人間世界では、最大の弱者として存在します。その中にある「無」は意識できるものではなく、しかしそれは確かに自分の中に貫かれているもので、それは、与えられた環境の中にあると考えられます。なので、自分の本質(無の部分)を現実世界で表すってことはできません。そこで、天印星はまず、回りの人間と与えられた環境のなすがままを受け入れることで無の世界を取り入れる作業をします(甘受する心)。推論ですが、天報星同様、天印星は先祖霊魂の近くにいるように思います。生家環境
天報星での胎児は形ある存在ではありますが、現世のものではありません。天印星の赤子は、初めてこの世で形ある存在となるものです。天印星は、天報星で創られた前世(無)と今世(有)が形(生命)として現れた時のエネルギーです。一極二元の法則とは、一極が「存在」するために陰陽(時間と空間)が必要だったということで、一極が単に二つに分かれただけではありません。生まれた赤ん坊の存在は前世なしにはありえないってことです。一極二元の法則が語っていることは、二つは一つの極の裏表で極で考えるべ
表干支が4つで、裏が6つ。全部主観星で、石門星だけ例外的に目立ちます。自分の命式の中に、裏のエネルギーがあるかどうかは、日干が陽干なら、月干年干が陰干の場合、裏干支エネルギーです。番号だと、日干が偶数なら奇数番号の月干年干が裏です。で、今思いついたのですが^^裏干支のエネルギーがある人は、裏干支=霊魂なので、そのエネルギーは霊魂が使いやすい、というのはどうですかね・・・僕は全部偶数なので、羅状干支はたくさんできますが、裏干支はないので、霊感ゼロはその通りですね。ただ、羅状
天報星も正反対の天将星も天干は精神干で全く同じです。地支も同じですが組み合わせが天報星は冬と夏という反対の季節、天将星は冬冬、夏夏の旺地の組み合わせです。使われている干と支はすべて同じです。陰陽を持ちながら偏る天将星と、陰陽の中間点に立つ天報星と、同じ霊魂の異なる組み合わせという観点に立つと、二つの星の持っている特徴の違いはそのまま霊魂と人間という、反対にして同一の存在と重なるものがあります。天報星は霊魂と肉体の中間で稼働することがもっとも本性に近い燃焼の仕方です。それからみ
どの従星も現実干グループ(春秋)と、精神干グループ(夏冬)に分かれます。日干支が精神干なら、裏干支は現実干、逆もあります。日干支の天報星は精神干と精神支の組み合わせです(土性は火性と同じグループ)。この組み合わせは、天報星と天将星の二星しかありません。精神性が強いのですが、現実の代表、天将星も同じ組み合わせです。そして、この二つは正反対に位置するエネルギーです。この反対の組み合わせはどれも干と支の精神・現実の組み合わせは同じ形です。蔵干の星が一致するものも多いの