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先日、東京に住む主人の親戚のおじちゃん夫妻(80代)から、息子への合格祝いが届いた。子供が小さい頃からとても良くしてくれて本当に温かくて大好きなおじちゃんとおばちゃん。コロナで中々会いに行くこともできず、ここ数年電話で話す位だった。今回もお祝いのお礼の電話をした。病気の事は言わないでおこうと思ったけど、久々に聞くおばちゃんの「元気かーーー?!」っていう優しい方言に胸が締め付けられて、「あのね、おばちゃん。私ね。癌になっちゃったんだよ。。。。!」って溢れる涙を止められずにやっと喋った。
今回も息子は私の体調がある程度回復するまでは義両親にお願いしました。義実家でも義母に男の子なのに髪の毛くくってもらって喜んでいたり、同い年の従姉妹と遊んだり楽しく過ごしてくれていました。手のビリビリで食事の準備が辛くなるので、点滴の前に消化の良さそうなものや野菜のおかずを作り置きをして、あとは冷凍食品も多めに買い作らずに済むようにしていました。2クール目は、血管痛がひどかったため他の方のブログで手首付近ではなく肘付近に点滴した方が血管痛が出にくいと書かれていたので、主治医に肘裏あたりにし
寒くなってきたので温かい食べ物が恋しくなってきました。うどんもお蕎麦も好きだけど、ラーメン大好き。関係ない気がしつつも、大腸癌発覚前は週1くらいで食べていたラーメンですが、発覚後は月1以下に控えています。週末のお昼息子に何食べたいと聞くとだいたいおうどんと言われますが、珍しくラーメンと回答。少しでも体に良さそうにしたいと足掻き、スープは無添加鶏ガラベースで醤油ラーメン風、具は野菜炒めを盛りっとのせていただきました。ラーメン風でも美味しいと喜んでいたのでよかったです。翌日は公園で遊びすぎ
病理検査の結果の紙を、帰宅してから改めて見ていたら「グレード3」の文字そうだ。。みんなグレードの事書いてたのに、私ってば見落として聞くの忘れたじゃん。。。これって悪性度だよね。。あーーー気になる気になる。。落ち着かないだからがんセンターに電話した。でももう時間外だったので明日の朝また電話して頂ければ先生にお繋ぎしますよと言われたので、ザワザワしながらもなんとか眠った(夜中何度も起きた)翌朝も早起きして8:30になるのを待った。時間になってソッコー電話した☎️主治医に繋ぐと言われ
私の大腸がん術後3ヶ月くらいは夫の精神もとても不安定で毎日のように強迫性障害の症状が出ていました。毎日仕事から泣いて帰ってくる夫、抗がん剤でぐったりな妻。本当にこの先どうなるのか、乗り越えられるのかと思っていました。最近は、夫の状態も落ち着いています。私も夫が強迫性障害を患っていることを忘れるくらい。たまに最近どう??って聞くくらいです。でも1日だけ聞いてもないのに今日は辛かったと言う日がありました。その前日は休日で2人で息子を公園に連れて行っていました。息子が滑り台つきの複合遊具に
私は仕事大好きかと言われると好きではないものの嫌いでもなく、やりがいは感じてるし、ママや妻としてだけではなく必要とされる場があることは嬉しく感じています。でも、病気になって私の中で最優先は息子のママでいることだとはっきりしました。ママのいない子にしてしまう恐怖で泣きまくっていたくらい。他のママより一緒にいられる期間が短いかもしれないから仕事をやめようかと考えたこともありました。さらに今までは子供もいなくて病気もなくて、フルフルで男性とも同条件で働いてきましたが、今後はお迎えもあるし、急な
明日は術後はじめてのCT。ここのところ復職もして、とっても前向きに楽しく生活してました。告知後のように息子の成長を見られないかもと思うこともなく過ごせました。落ち込むことなくCT用にブラトップを買ったり。でもやっぱり迫ってくると怖い。前回は告知直後で泣きながら受けました。明日は泣くことはなさそうだけどやっぱり怖いし、結果がわかるまでの1週間また何度も恐怖に襲われると思います。これを5年続ける。160cmの私が1.7cmの悪魔にずっと苦しめられる。やっぱり癌は恐ろしい病気です。
今日CT撮ってきました。朝は毎日バタバタなので、あまり深く考えることなく受けられたのでよかったです。今日も保育園に行った息子は楽しく遊んできたようです。この子のおかげで強くも弱くもなり、深く考えたり、バタバタして考えなくて済んだりです。私の中心です。明日から10月。仕事も本格的になってくるので、ちょうど結果のことを考えずに済むのでいいかなと思ってます。私の不安を察して、夫も来週は仕事を休んでついてきてくれると言ってます。ありがたい。毎日続けていること。それは体重計にのること。私は、ず
育休前の仕事の状態と比べると全然ハードじゃない。なのにハードだと感じる。きっと2年の産休・育休・病気でのお休みにより体力が落ちたのと子供がいると仕事の前後がバタバタなのでそう感じるのかなと思ってます。私は特に制限ないですと伝えましたが、産業医の先生からは残業含めハードになりすぎないようにと注意が入ってるのもあり、上司も仕事振るのをかなりセーブしてくれています。でも半年後にはあれもお願いしようと思ってると言われていることがいくつかある。たしかに私の立ち位置だとそれくらいこなさないといけない
たくさんの人に見ていただき、ありがとうございます。私は告知後、詳細を書かれている方のブログに大変助けられました。なので、私のブログが今後辛い思いをされる方の心を少しでも穏やかにできるといいなと思ってブログを始めました。そんな私に今では多くの闘病の先輩や読んでいただいた方がコメントやメッセージで励ましてくださいます。本当にありがとうございます。病理検査結果に続いて、ガイドラインではステージ3だと抗がん剤をした方がいいとなっているとの説明がありました。手術で見える癌は取り除けている、ただ
こんにちは😃癌になってから、食事についてブログやYouTubeなど見るけれど、見れば見るほど分からなくなります。知れば知るほど、逆にストレスになりますここまでやらないとまた癌になっちゃうのかな。。とか不安な気持ちにもなります💧今気をつけてる事は、温かい飲み物を飲む🍵(粉末生姜紅茶やヨモギ茶、番茶など)湯船に浸かる🛁生姜やニンニク、きのこ類を摂る野菜も今までより食べている植物性タンパク質の摂取小麦粉はなるべく避ける(パンならブランパンなどにする)出汁の旨みを使う加工肉は
ついに1つの壁と言われてる3年の検査結果を聞く日。週末に毎年お参りしている癌封じの神社に。今年は僕も書きたいーと息子も絵馬に願いを込めてくれました。今回も病院に着いたら不安が増すだろうと思っていたら、主治医が3月末で退職という貼り紙を見て、寂しさが勝ちました。3年の検査結果は、CT、大腸内視鏡、血液検査(腫瘍マーカー)でしたが全て問題なし!!本当によかったです。このあともフォローしないといけないのに申し訳ないと主治医から退職のことを直接聞きました。大学に戻られるならついていきたいと思っ
メインは働く理由①なんですが、もう1つサブの理由があります。そのもう1つは夫に安心してほしいから。夫はもともと妻にも働いてほしいし、その分家のことや子育てを自分もするというのを理想としていました。私もそのような形を望んでました。夫と付き合う前、2回目のデートの日私は急遽休日出勤が入り、仕事帰りスーツにヒールで夫に会いました。その姿を見てキャリアウーマンだと思い、それがよかったと言っていました。私は決していわゆるキャリアウーマンじゃないし、スーツとヒールだけでそう思った夫のこと笑ってし
食べるのも見るのもとにかくマグロが大好きな息子。海でマグロと泳ぎたい、海でマグロを釣りたいと言います。どう頑張っても私にはその夢は叶えてあげられないので、現実的な範囲で、マグロは無理だけど海で泳ぐ、海で魚を釣るを体験させてあげたいと計画。私は海大好きなので息子も海を好きになってくれると嬉しいなと思っていました。初めての海水浴なので、怖いとかベタベタするとか砂が嫌だと言われたら残念だなと思っていましたが、そんなことは全くなく、海最高だね!!と大人びたことを言いながら、私がヘトヘトになるくら
2020年も終わりが見えて来ました。本当に辛い1年でしたので早く終わってほしい年になってしまいました。投資だとか確定申告だとか、お金関係のことは弱い私。会社員なので今年も年末調整の案内が会社からありました。年末調整は毎年提出していますが確定申告はしたことがありません。賃貸で住所ローンもなく、扶養もなく、生命保険も給料天引きにしていたので年末調整もほぼ資料なし。今年は収入が読めなかったので、今日現在ふるさと納税はしていませんが、産休前はふるさと納税はしていました。でも、それもワンストップ
母のこと。いろいろ検査結果が出てきた結果、胃がんの切除手術はできない状態ということがわかりました。姑息的手術をまずはして、その後の方向性はそのあと。父や母はまさかそんな状態だと思っていなかったようですが、私は検査の経過等からそのような状態であるかもしれないと思っていました。自分の癌でいろいろ調べたことがこんな形で使われるなんて皮肉です。電話で父は男泣き。母は泣かなかったもののきっと怖くてたまらないと思います。状況はよくないけど、まだまだ入院中で会えないけど、心の支えになりたいし、まずは
まさか自分が癌になるとは思ってませんでしたが、生命保険はそれなりに入ってました。これは性格の問題でしょうね。大きな病気になるとも思ってないし、病気になったときに対応できる蓄えがあれば保険はそれほど必要ないというのも聞いたことありましたが、私はいい加減なとこもあるけど、心配性なところもあるんでしょうね。入ってた内容・入院日額○円・日帰り手術○円、入院手術○円・三大疾病と診断されたら一時金○円・三大疾病と診断されたら生きてる限り○年間毎年○円・三大疾病と診断されたら今後の掛け金免除
元気に誕生日を迎えられそうなので、誕生日前の週末に癌告知後初めてお酒を飲みたいと思いました。大好きなビールをグビっと。もっとあーーキターーという感じになるかと思いましたが、そんなこともなくスルスル喉を通りました。そして、久々なので少しはフワフワした気持ちなるかな?と思ったのですが全く普通。癌発覚前の定期的に飲んでいる頃はお酒強いねと言われる方だったのもあり、久々でも350mlくらいだといたって普通の状態でした。1つ違ったことは、以前は飲み始めると350mlでは物足りなさを感じていましたが、
私は排便障害でちょいちょいトイレトラブルありますが...今日は夫のこと。いつもは寝る前にしかかけないチェーンロック。仕事終わって息子を保育園にお迎えに行って帰って来た時にかけてしまったようです。夫は今から帰るよーとLINEをくれていたのでそろそろ帰ってくることはわかっていました。その状況でお風呂に入ってしまった私。息子は録画のテレビを見て待っていましたがいつもはお風呂に来ないのになぜか2回くらいお風呂に来て、パパと言っていました。それを聞いて夫が帰ってきたんだなーと思ってました。その
母は術後順調に回復してついに抗がん剤治療を開始しました。主治医から提案されたのはSOX療法(オキサリプラチン+S-1)でした。胃がんではよく使われる薬剤なので、この提案は予想通りでした。私は大腸がん術後補助化学療法で1年半前にXELOX療法(オキサリプラチン+ゼローダ)を3ヶ月受けました。風邪薬や鎮痛剤のような薬剤なら親子で同じ薬を飲んだということはよくあるでしょうが、まさか同じ点滴の抗がん剤を使うことになるなんて。しかも1年半の間に2人して。『親子で癌』弱い私は涙が止まらない。弱いか
あと少しでGW。年末年始以来久々に帰省予定です。どうかどうか私も息子もコロナになりませんように。そして、母の体調も悪化することなく会えますように。今月初め母は1つ歳を重ね73歳になりました。胃がん発覚から初めての誕生日。切除不能と聞いた時は誕生日も厳しいかもと思いましたが、無事おめでとうが伝えられていい4月のスタートとなりました。73歳いい歳だけど、まだまだ女性の平均寿命からしたら若い!まだまだ歳を重ねてもらいたいです。以前より食べられるらしくケーキも食べ、体重が3kg増えたと言ってい
術後1年9ヶ月の検査結果を聞くときいつもより落ち着いていました。いい理由で落ち着いていたならよかったのですが悪い理由...さすがにもうこれ以上悪いことは続かないだろうと思ったから。私が術後1年9ヶ月の検査結果を聞く前の日に夫が同じ病院に入院しました。病名は急性肝炎。夫は普段からほとんどアルコールを飲まないし、12月だからといって忘年会もなくお酒を飲んだわけではありません。数日前から39℃の発熱したり、腕が痛すぎて眠れない、食欲不振、お腹が張った感じがすると不調が続いていました。入院前日
母が亡くなってからもちゃんと寝られて、ちゃんと食べられています。仕事にも戻り、ご飯も作り、息子の送り迎えをしていっしょにお風呂に入っていっしょに寝て。つい何日前の母はまだLINEもくれたし電話で話もできたんだなーと何をしてても突然悲しみに襲われ毎日涙は流れますが、涙もすぐに止まり日常を送れています。そんな中、今日は大腸癌術後2年3ヶ月の検査でした。今回は血液検査(腫瘍マーカー)のみでした。いつも診察前は不安定になりがちですが、日常を送れているものの母のことがあり不安定なのか不安定じゃない
週末は息子の楽しみにしていたコックさん体験。喜んでいる顔を見ると来週も頑張ろうとパワーが湧いてきます。パワーをもらって迎えた月曜日。でもやっぱり今日は息子も寝て、1日のすべてが終わった時間にいろんな思いが頭の中でグルグルしています。忘れもしない2020年2月20日。数字の並びがいいからじゃない。癌を告知された日。あの日から3年です。『あの日から1年』私にとってのあの日とは大腸癌を告知された日。2020年2月20日あの日からいろんなことが変わった日。それからしばらくはかつてないほど体調の
5月7日、検査結果を聞きに病院へ。骨髄検査結果は、なかった。これでステージ4ではないということ。PET検査の結果は、首、腸や腸周囲、膵臓周りなどにリンパの腫れが認められる。発熱も寝汗も体重減少もないので、ステージ3a。治療は、トレアキシンとリツキサンを使用。28日周期。6〜8回実施。最初の投与は、副作用がでる可能性があるので、3週間入院。その後は外来通院。外来は2日連続来てもらう必要あるとのこと。副作用は手足にしびれがでたりするらしいが、ものすごくきついわけではなさそう。入院中
私は癌が見つかるまで大きい病気をしたことはありません。風邪もほとんどひかない、生理痛もない、便秘もない、花粉症もない、たまに頭痛があるくらいで体強いねって言われる方でした。頭痛は昔からで高校生のときに脳腫瘍で祖母がなくなったこともあり、母が心配して当時私にMRIを受けさせましたが、問題はなくよくある片頭痛でしょうと言われました。今までは、顔に吹き出物ができても脂っこいもの食べたからかな?お腹壊しても昨日飲みすぎたからかな?胃もたれ起こしても食べすぎたかな?腰が痛くても姿勢悪かったか
喪中ハガキを出しました。同級生から来る喪中ハガキは祖父、祖母が亡くなりましたというのがここ数年続いていました。お母さん、一世代違うよー!!と叫びたくなりますね。届いた喪中ハガキを見て中学高校の時の友達で、よく実家にも遊びに来てくれていた友達が電話をくれました。今は離れたところに住んでいるからなかなか会えないけど、大好きな友達の1人。昨年の年末と今年のGW会った時に母が癌であること、体調がよくないことは伝えていましたが、まさかそこまで悪いとは思っていなくてビックリしたし、母と仲のよかった
本日、約2年ぶりに出社しました。産休・育休・病気による積立休暇と有給で休み、先月復職していましたがコロナのため在宅勤務してました。久々に懐かしい人たちと会い、仕事に戻れるまで回復できたことを嬉しく感じると共にやる気も出ました。社内の人に大腸がんのことを伝えましたが、もちろん驚かれ心配されました。でも痩せてないし髪の毛フサフサだし、みんなに伝えられるし、やっぱり強いねって言われました。あんなに泣いて泣いての日々だったんですけどね。私、いろいろ強いイメージ(我も気も強いし、お酒も強いし、体
昨日は法事。車で2時間弱の距離。今までなら夫が運転かもしくは交代で運転する距離。でも、夫はまだ運転が恐いので私がするしかありません。知らない道や高速は心配なかったのですが、1時間半以上の距離を運転するのは久々で少し心配でした。特に疲れることもなく運転できました。息子も一度も泣くことなく、寝たり外に見える車や電車に反応して声をあげたりしながら乗ってくれました。帰ったら夫が今日は長い距離ありがとうねと言ってくれました。口数少ない夫がそんなこと言ってくれるとは思ってませんでしたので、とって
先日、母に会いに帰省したあと自分の家に戻ってからも母とは毎日のように電話で話をしています。電話で話していても、帰省していた数日間がとても楽しかったみたいで毎日喜んでくれています。そして次に帰って来てくれたら、孫を〇〇に連れて行きたい、みんなで〇〇行きたいねと楽しいことを想像して前向きです。私は告知から数ヶ月は未来を考えられなかったので、その精神の強さは見習うべきところです。そんな前向きな中でも驚いたのは、電話で話しているときにあなたの2人目産む時もお世話してあげたいと言われたことです。