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私のメラノーマ発見から現在までの経緯をまとめてみました。今から5年後、10年後...もっと先の未来に同じメラノーマになってしまった人がいた時に少しでも参考になればいいなと思い書き残します。【病名】外陰部悪性黒色腫(粘膜には、かかっていません)【ステージ】3A【発見時の年齢】32歳2ヶ月【過去の病歴】23歳2ヶ月虚血性大腸炎(完治)24歳2ヶ月急性胃腸炎(完治)29歳9ヶ月多発性子宮筋腫(経過観察)【家族の病歴】父41歳4ヶ月膵尾部悪性腫瘍(膵臓癌
しばらく間が開きましたが、告知、手術から4年がたちました。ソワソワする時期ですが、年々ソワソワ感が減っている中、今年は仕事が忙しくて癌のことを考える時間がありませんでした。考えすぎないのはよかったものの、このハードワークからは抜け出したいです。引越しによる転院後初めてのフル検査で、大腸内視鏡、CT、血液検査(腫瘍マーカー)でした。結果はすべて問題なし。ついに4年クリアです。やっぱり結果を聞くとホッとします。よかったです。5年の寛解と息子のランドセル姿が見えてきました。心配していた大腸内
朝の総回診のあと主治医が1人で来られ、病理検査の結果が出たけどご主人と一緒の方がいいよね?いつにする?とのこと。退院後になるかもしれないと聞いていたので、早く結果が出て驚きました。夫に連絡すると仕事に行ってましたが、気になるから早い方がいいと出社直後だったのに上司に相談し早退してくれました。昼前には来られることを看護師さんに伝えると先生に予定を確認してくれて、13時に相談室に来てくださいとのことでした。夫は昼前に着き、その時間を一緒に待ちました。呼びに来られ、入室。主治医と癌認定看護師
腎癌の情報が少ない中で自分の経験が同じように悩む方の役に立てば良いかなと思い、記事にしています。中には知りたくない情報もあるかもしれませんのでご自身の判断でお読み頂ければと思います。3月28日14時〜この日は次から主治医となるドクターにグレードについてお聞きしたく予約をしていた。時間通りに到着して受付を済ませる。外来のモニターを見ると、神主治医と噂のN先生は「混雑中」となまぁ2時間は覚悟するかと思ったら結果的に4時間待ちました途中で院内レストランで味噌ラーメン食べましたもう日
たくさんの人に見ていただき、ありがとうございます。私は告知後、詳細を書かれている方のブログに大変助けられました。なので、私のブログが今後辛い思いをされる方の心を少しでも穏やかにできるといいなと思ってブログを始めました。そんな私に今では多くの闘病の先輩や読んでいただいた方がコメントやメッセージで励ましてくださいます。本当にありがとうございます。病理検査結果に続いて、ガイドラインではステージ3だと抗がん剤をした方がいいとなっているとの説明がありました。手術で見える癌は取り除けている、ただ
3クール分まとめて書くのは、順調で副作用もほぼなかったから。少し出たのが足の裏の痛みと便秘とお腹を壊すこと。足の裏は、少し多めに歩いたあとや息子を走って追いかけると痛みが出ました。また、便秘とお腹壊すのは副作用か食べたものが悪いのかわからない程度でした。ネットで下調べをしているとゼローダの錠剤が大きくて飲みにくいと何人か書かれているのを見ましたが、私はそれも全く問題なしでした。前回上がっていた肝臓の値AST・ALTも正常値まで下がっていました。やはりオキサリプラチンの影響だったんです
週末は息子の楽しみにしていたコックさん体験。喜んでいる顔を見ると来週も頑張ろうとパワーが湧いてきます。パワーをもらって迎えた月曜日。でもやっぱり今日は息子も寝て、1日のすべてが終わった時間にいろんな思いが頭の中でグルグルしています。忘れもしない2020年2月20日。数字の並びがいいからじゃない。癌を告知された日。あの日から3年です。『あの日から1年』私にとってのあの日とは大腸癌を告知された日。2020年2月20日あの日からいろんなことが変わった日。それからしばらくはかつてないほど体調の
1クール目は実母がいてくれましたが、母も手術を控えており地元に戻りました。ちょうど1クール目途中からコロナによる登園自粛要請で息子は日中も家にいたので、母は息子といっぱい遊んでくれ息子も母に懐いていたので、帰るときはとても寂しがっていました。腕の痛みで息子が泣いても抱いてあげることもできない、手のビリビリで食事の準備やオムツ替えも辛い、吐き気で動くのが辛いという状況になるだろうと1クール目でわかりましたので、私が息子のことをきちんとできると思える状態になるまで2クール目から4クール目は息子は
3年6ヶ月のCT検査にて見つかった肺の今までなかったなにか。転移を疑うものではないと思いますと言われたもののなにかは映っていたこと、コロナ感染の影響だと思われると言われたことを夫にも伝えていました。心配性の夫なので、それって本当にコロナの影響かな?大丈夫かな?と何度か聞かれました。聞かれてもわからないし、聞かれると気にしないようにしていた私もどんどん不安になってきました。気にしない気にしないと日中は普通に生活していましたが、夜に中途覚醒し眠れなくなってしまいました。弱々夫婦、生活に支障が
今回も息子は私の体調がある程度回復するまでは義両親にお願いしました。義実家でも義母に男の子なのに髪の毛くくってもらって喜んでいたり、同い年の従姉妹と遊んだり楽しく過ごしてくれていました。手のビリビリで食事の準備が辛くなるので、点滴の前に消化の良さそうなものや野菜のおかずを作り置きをして、あとは冷凍食品も多めに買い作らずに済むようにしていました。2クール目は、血管痛がひどかったため他の方のブログで手首付近ではなく肘付近に点滴した方が血管痛が出にくいと書かれていたので、主治医に肘裏あたりにし
まず最初に謝らないと。私は仕事をお休みして、抗がん剤治療をしていました。タイトルで働くママとしているので働きながら抗がん剤治療した状況を知りたいと思われた方、ごめんなさい。本当に会社には感謝しています。その理由は・会社の検診のおかげで癌が見つかった・癌になってもいろいろな休みの制度があり、仕事のことは気にせず制度を利用しなさいと言ってもらえた・社会保険に月○円を超えたら返金という制度があった本当にいい会社です。私の場合は珍しいと思いますが、育休中に癌が見つかりました。ただ、まさ
まだまだ暑いですが、空の色や朝晩の空気が少し秋を感じるようになってきました。夏が大好きな私にとっては寂しくなる季節です。この夏も海に川にお祭りに、夏らしいことをいっぱい楽しみました。1歳すぎでコロナ禍となってしまった息子にとっては、お祭りもほぼ初めての経験でした。わたあめの美味しさを知ったようです。とっても楽しんだ夏ですが、楽しみと楽しみの間は感染症で撃沈でした。8月半ばに家族全員コロナにかかり、8月末は何かしらのウィルスに私と息子が感染し発熱。ひとつきに2回も39℃なんておそらく
もともと私とは対照的に口数少なくまじめで優しい夫。妻が癌になったこともビックリしたでしょうし、私のために仕事を休んでもらうことも多く職場の人に迷惑をかけていることも気になっていたと思います。そして、何より今まで元気だった妻が毎日死にたくないとずっと泣いている状況にどうしていいかわからなかったのだと思います。夫の行動に理解できない点が出てきました。入院中からおかしいなと思うことがありました。私の入院中、義実家に預けている息子の様子を見に行ってもらったら、義実家を出たとLINEがあったのに
私の身近には今まで癌の人が少なかった。唯一、身近で癌になったのは母方の祖母ですが脳腫瘍により告知から7ヶ月で亡くなりました。だからこそ、癌=死というイメージが強かったのかもしれません。祖母の異変に気づいたのは、高校生だった私でした。過去にミス〇〇にも選ばれた美人でおしゃれなおばあちゃんでした。(私は父方に似ていますが..)おばあちゃんとデパートでご飯を食べる約束をしていたので、待ち合わせをするとそこに現れたおばあちゃんは服を後ろと前反対に着ていました。一緒に歩いているとどんどん私の方
もう1月も折り返しましたが、今年もよろしくお願いします。年始は帰省し、父や大好きな友達と会い、息子の好きな水族館にも行って楽しみました。11月の診察のあと3月の大腸カメラ、CT、血液検査、診察が本来の検査予定ですが、引越しによる転院のため受診してきました。よくしゃべる先生でした。うちも大腸がんの手術も抗がん剤治療も多くやってますよ。と言われました。治療経験豊富ということで安心させるために言われたと分かりつつも、もう手術も抗がん剤もやりたくないからそこは関係なくありたいんだよ!!と思いまし
私が受けた心無い言葉を書く事で、それを読んだ方が私と同じように傷ついて欲しくはないので、心が揺れてしまいそうな方はどうかこの記事はスルーしてください。癌だと報告すると、リアクションは様々。当然大体の人が励ましてくれるし、今までも沢山の温かい言葉に救われてきた。でも中には、無神経に?悪気はなく?心無い言葉を言う人がいる。とある知人男性40代数ヶ月に一度くらいしか連絡は取らないけどたまたま正月にLINEが来た。元気?と聞かれたので癌だと報告し、リンパ節転移の疑いがあって不安だと書いた
まさか自分が癌になるとは思ってませんでしたが、生命保険はそれなりに入ってました。これは性格の問題でしょうね。大きな病気になるとも思ってないし、病気になったときに対応できる蓄えがあれば保険はそれほど必要ないというのも聞いたことありましたが、私はいい加減なとこもあるけど、心配性なところもあるんでしょうね。入ってた内容・入院日額○円・日帰り手術○円、入院手術○円・三大疾病と診断されたら一時金○円・三大疾病と診断されたら生きてる限り○年間毎年○円・三大疾病と診断されたら今後の掛け金免除
母は術後順調に回復してついに抗がん剤治療を開始しました。主治医から提案されたのはSOX療法(オキサリプラチン+S-1)でした。胃がんではよく使われる薬剤なので、この提案は予想通りでした。私は大腸がん術後補助化学療法で1年半前にXELOX療法(オキサリプラチン+ゼローダ)を3ヶ月受けました。風邪薬や鎮痛剤のような薬剤なら親子で同じ薬を飲んだということはよくあるでしょうが、まさか同じ点滴の抗がん剤を使うことになるなんて。しかも1年半の間に2人して。『親子で癌』弱い私は涙が止まらない。弱いか
先日、東京に住む主人の親戚のおじちゃん夫妻(80代)から、息子への合格祝いが届いた。子供が小さい頃からとても良くしてくれて本当に温かくて大好きなおじちゃんとおばちゃん。コロナで中々会いに行くこともできず、ここ数年電話で話す位だった。今回もお祝いのお礼の電話をした。病気の事は言わないでおこうと思ったけど、久々に聞くおばちゃんの「元気かーーー?!」っていう優しい方言に胸が締め付けられて、「あのね、おばちゃん。私ね。癌になっちゃったんだよ。。。。!」って溢れる涙を止められずにやっと喋った。
5月7日、検査結果を聞きに病院へ。骨髄検査結果は、なかった。これでステージ4ではないということ。PET検査の結果は、首、腸や腸周囲、膵臓周りなどにリンパの腫れが認められる。発熱も寝汗も体重減少もないので、ステージ3a。治療は、トレアキシンとリツキサンを使用。28日周期。6〜8回実施。最初の投与は、副作用がでる可能性があるので、3週間入院。その後は外来通院。外来は2日連続来てもらう必要あるとのこと。副作用は手足にしびれがでたりするらしいが、ものすごくきついわけではなさそう。入院中
告知後やステージ判明後は、まわりの人には私が大腸がんになったことは言えないと思っていました。その頃はずっと泣いていたし、話をすることで泣いてしまう状況だったから。癌だと泣かれたら聞かされた相手も困るよね?と思っていました。その後、精神崩壊から少しずつ落ち着いてきてからはまわりに話すようにしています。理由は・みんなに検診に行ってほしいし、自分の体の声に耳を傾けてほしい・今後、病気で急な予定変更など迷惑をかける可能性がゼロではない・私が逆の立場だったら、知っておきたい・嘘をつけない嘘を
本日、約2年ぶりに出社しました。産休・育休・病気による積立休暇と有給で休み、先月復職していましたがコロナのため在宅勤務してました。久々に懐かしい人たちと会い、仕事に戻れるまで回復できたことを嬉しく感じると共にやる気も出ました。社内の人に大腸がんのことを伝えましたが、もちろん驚かれ心配されました。でも痩せてないし髪の毛フサフサだし、みんなに伝えられるし、やっぱり強いねって言われました。あんなに泣いて泣いての日々だったんですけどね。私、いろいろ強いイメージ(我も気も強いし、お酒も強いし、体
明日は術後はじめてのCT。ここのところ復職もして、とっても前向きに楽しく生活してました。告知後のように息子の成長を見られないかもと思うこともなく過ごせました。落ち込むことなくCT用にブラトップを買ったり。でもやっぱり迫ってくると怖い。前回は告知直後で泣きながら受けました。明日は泣くことはなさそうだけどやっぱり怖いし、結果がわかるまでの1週間また何度も恐怖に襲われると思います。これを5年続ける。160cmの私が1.7cmの悪魔にずっと苦しめられる。やっぱり癌は恐ろしい病気です。
出産した産婦人科での新生児マススクリーニング検査と再検査でひっかかったため、まだヘニャヘニャな生後3週間の息子を連れて紹介された総合病院の小児科にかかりました。里帰り出産でしたので、母も着いてきてくれましたが私と息子がかわいそうと涙していました。小児科で病気の説明を受けましたが、まず聞かれたのは私たち夫婦が血縁関係にあるかということでした。もちろん、まったく血のつながりはありません。息子のひっかかった先天性副腎過形成は、劣性遺伝の疾患で両親ともにその遺伝子を持ってる場合のみ子供がその病気
今日CT撮ってきました。朝は毎日バタバタなので、あまり深く考えることなく受けられたのでよかったです。今日も保育園に行った息子は楽しく遊んできたようです。この子のおかげで強くも弱くもなり、深く考えたり、バタバタして考えなくて済んだりです。私の中心です。明日から10月。仕事も本格的になってくるので、ちょうど結果のことを考えずに済むのでいいかなと思ってます。私の不安を察して、夫も来週は仕事を休んでついてきてくれると言ってます。ありがたい。毎日続けていること。それは体重計にのること。私は、ず
ゼローダは朝晩食後に6錠ずつ、2週間飲んで1週間休薬でした。大事な薬だし、種類も1つなんだから忘れることないでしょ?と思われるかもしれません。私のいい加減な性格もあるのか、半年間で2回飲み忘れがありました。言い訳ですが...息子と一緒にご飯を食べるとスムーズに食べてくれないことも多く、食べこぼしも半端ない。床や机の上に落としたのをそのままにするとグチャグチャにするので、すぐに片付けないといけません。そして、片付けに追われていると薬を飲むのを忘れそうになる。だからといって忘れないよう
私が小さい頃からある地元の銭湯♨️15年以上前にリニューアルして施設が綺麗になったスーパー銭湯と銭湯の間みたいなちょうど良い塩梅の入浴施設🛁もう10年以上行ってなかったケド、休日に家に1人で居る時間はドス黒い悪魔がやってくるので「よっしゃ風呂でも入りに行くか」って事でバイクすっ飛ばしていざ銭湯へ平日の昼間という事もあり、貸切状態色んな種類のお風呂があるので出たり入ったり、露天風呂で身体を冷ましながら、心地よい風が吹いてとっても気持ちいいサウナもあるけど、正しい入り方もわからないの
先日、胃がん闘病中だった母が亡くなりました。昨年6月に見つかってから1年弱でした。胃がんだと思っていましたが十二指腸癌でした。希少がんで予後が悪い癌でした。1年のうちに何度か入院しており、今回も熱が出やすく食事量が減っていたため入院していました。本人も今までと同じく退院する気満々で抗がん剤治療もまだまだ頑張る気でした。主治医も亡くなる3日前までそのように考えていたらしいです。ところが急激に悪化しました。遠方に住んでる私は最期にギリギリ間に合い会話もできましたが、さらに遠方に住んでいる
実は9月の2年6ヶ月検査の時にマイクロサテライト不安定性試験も頼んでいました。この検査は主治医に勧められたわけではなく、自分から依頼しました。この検査は薬剤が適するか判断するためにも実施されますが、遺伝性の癌であるリンチ症候群のスクリーニング検査としても保険適応で実施可能です。私の場合、50歳以下の若年での大腸がん発症だったこと、母が関連癌である小腸がんになったことからリンチ症候群かもしれないと心配していました。リンチ症候群であった場合、今後も大腸がんや子宮体がん、その他いくつかの癌にな
前のブログに励ましのコメントありがとうございました。肺のCTを撮ってから1週間。ついに検査結果を聞きに行く日。1週間考えない、考えないと言い聞かせてました。朝出勤前に、夫が手を握ってぜったい大丈夫だと信じてると言ってくれました。中待合では、お母さん守ってねと何度も心の中で唱えてました。結果は、肺にあった何かが消えていました。腫瘍マーカーも引き続き正常値。本当によかった。タイミング的におそらくコロナの炎症で間違いないでしょうとのことでした。コロナでは高熱が数日続き、解熱後臭覚が1週間