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タムが生まれて、あっという間に半年が過ぎた。首もしっかり座ったし、離乳食もそろそろ始めようかという頃。私も、以前と同じく週3とはいかないまでも、10日に一度くらいは、王妃様の診察の為に出仕するようになっていたんだけど……実はまだ、王妃様にも王様にも、タムをお見せ出来ていなくて——お2人は、生まれたらすぐにでも会いたい、とおっしゃってくださっていたけど、臣下の子どもだもの、その為だけに参内するのも……そんな身内みたいに気安くは出来ないし。かと言って、お2人にウチ(チェ家)へ来てもらう訳にも
【少し直接的な表現があります】【原作の雰囲気を大切にされる方にはお勧めできません】「きゃぁっ!ま、待って…!」チェ・ヨンの力強い手に半ば抱え上げられながら、自分の部屋へと引き摺り込まれた。いつもだったら、私が転んだりしない程度の足の運びを意識してくれるのに、今は驚くほどに乱暴な扱いをされている。大きな音を立てて扉は閉められ、足元にはがしゃりと鬼剣が放り投げられた。「…痛っ!」勢いのままに、突き当たりの壁に押し付けられた肩が痛む。チェ・ヨンはまるで逃がさないとでも言うように、私
もう少しで昼時を迎えようかという刻限、俺達二人は開京の町中を馬で進んでいた。「イムジャ、もういいでしょう」常歩にゆらゆらと揺られながら、大人しく俺の腕の中に収まっているこの方は、聴こえているであろう言葉にも無言を貫いている。「そろそろ機嫌を直して下さい」外衣の頭巾を深く被ったまま、ちらりとこちらを振り返った目元は赤く染まり、唇は小さく尖って不満を訴え掛けてくる。立ち上り続ける花のような香りに包まれながら、俺は今朝の出来事をぼんやりと思い返した。顔を洗う為の湯を器に張り、手拭いと共に部
あったかい…午後の陽射しが、春の訪れを告げている。柔らかな光に顔を向けると、まるで大きな手の平で優しく包まれているよう。時を600年以上遡り、高麗の地で一年を過ごした。ひとりの武士と恋もした。幾度も危険な目にあい、その度に助けられ、ある時は命を救った。だが、今は離ればなれだ。それも、100年という時を隔てて…今日みたいにあったかな風が吹いてて、白が混ざったコバルトブルー色の空だった天涯…、あなた、そう云ってたわ☆☆☆「おだやかねぇ〜」「ええ
「大護軍ーーー‼︎」イムジャと件(くだん)の飯屋へ向かう途中で、テマンが俺の姿を認めて走り寄ってきた。「た、大変です!すぐ幕舎へ戻ってくださ……」大慌てでやって来たのが、俺に寄り添うイムジャに気づいて、瞬時に固まる。「——うっ、医仙⁉︎」「——テマンくんっ!」イムジャが、腕を広げて駆け寄ろうとするのを阻止し、俺は手短かに聞いた。「テマナ、見ての通り医仙が戻られた。詳しい話は後だ。チュンソクが来てるのか?何があった?」口を開けたまま、声も出せずに俺とイムジャの顔を交互に見ていたテマ
金青の空が徐々に白さを増して、忘れがたい長夜に幕を引こうとしていた。目当ての物を探し当てた俺は、蔵の戸に施錠し直し母屋へ引き返した。閨室に足を踏み入れると、濡れた髪を拭き終わったイムジャが、何やら熱心に毛先を眺めている。「イムジャ。髪を梳いて差し上げましょう」俺は母の遺品である黒松の櫛を使い、豊かな蘇芳色の髪を慎重に梳(くしけず)っていく。「長い間蔵に仕舞い込んでいた品ですので、行幸啓から帰ってきたら、きちんと油を塗って手入れをして差し上げます」そのまま使い終わった櫛を手渡すと、大き
翌朝。居残りに不満を滲ませた顔を、隠し切れないトクマンが、薄っすら目を潤ませて出立の列を見送っていた。前を行くテマンと、颯爽と馬を駆る王様、そのすぐ後ろにはチュンソクが張り付き、帰京の隊に混じっている。俺は、馬上のイムジャを眼前にしながら、一番後ろに着いていた——……いたのだが。新人隊士に紛れて行くのに、無事に都へ着くまでは、と、イムジャには迂達赤の隊服を着せた。髪を結い上げ、頭からすっぽりと外套を被せて顔を隠し、くれぐれもお静かに、と念を押した。あちこち痛くてお喋りする余裕は無い
「い、一緒に…一緒に入らない?」緊張のせいで掠れて聞き取れないほど小さく、あまりに情けない声で言った言葉に、チェ・ヨンは意味が分からないとでも言うように聞き返した。「…は?」「えっと、だから。一緒に入らない?って…」「そうではなく」信じられないものを見るような目付きを向けられて、恥ずかしさで居た堪れなくなる。けれどこの人を離したくないと思った気持ちに嘘は無く、一度口に出したからには引き下がりたくなかった。「まだ傍にいたい。だめ?」「良識の範囲内で。俺はそう言いました」手を掴まれ
「ねぇ。ねぇってば。チェ・ヨンさん」「何です」「どうしたの。何だかぼんやりしてる?」「いいえ」取り付く島もない態度のチェ・ヨンに向かって、私が一方的に話し掛けているような状態が、ずっと続いている。大きな荷物と小さな荷物、そして私達二人を乗せた黒鹿毛の馬は、ゆっくりゆっくりと薄暗い道を進んで行く。どこに行くの?何をするの?そんな他愛もない事を話し合いたいのに、この人は無表情で押し黙ったまま、前に座った私を胸に囲い込むようにして、器用に手綱を捌いている。「待たせちゃったから、怒ってる
「指示を待て。俺ひとりで行く」イムジャの異変を知ったあの時。後を追うというトクマンを皇宮へ残し、俺は唯ひたすら馬を走らせていた。イムジャがキ・チョルに拐われた。奴が目指すのは天門。行く先々でかき集めた情報から、確実にイムジャに近づいてはいた。しかし、あと一歩。あと一歩及ばなくて。店の柱に見つけた天界の文字。“괜찮아요”(大丈夫よ)一気に身体中の血が上がる。貴女はこんな時でも俺のことを想っていてくださるのか。俺が必ず行くと。だから待っていると。俺を信じている、と。.
痛いくらいの動悸をどうにか深呼吸で治めつつ、私は格子窓を開けて、夕暮れ時の冷えた空気を部屋へ取り込んだ。まだ熱を持っているような唇を、そっと指先でなぞってみれば、先程までの様子が鮮明に蘇ってくる。かつて与えられてきたものとは全く違う、熱く苦しいだけの乱暴な口付けだった。それでも今までで一番、剥き出しのチェ・ヨン自身に触れる事が出来たような気がする。(私は結局、あの人なら何でもいいんだわ…)いっそ清々しいほどの諦めの気持ちになって、私は気を取り直し、手早く荷物をまとめ始めた。『三日の間
「ともかく、ようございました。万事滞りなく……後はご婚儀の日取りでございますね」「ああ。近々にコモから連絡があるはずだ。頼む」「承知いたしました」母…スンオクと、若様…旦那様の遣り取り。2人とも、落ち着き払って話しているように見えるけど。合間合間に奥様へ向けられる、旦那様のお優しいお顔。そのお側で控えている母の……頭を下げているから見えないと思ってるのかしら、口端に浮かんだ笑みを、引っ込めようとするけど出来ていない様子。嬉しくて嬉しくて仕方ないのが、丸わかりですよ、2人とも。かく
「ふふ、まだ盛り上がってる……」「そのようですね……」宴の喧騒は未だ、俺達の閨…寺の離れまでも薄っすらと届いていた。渇望していたものがようやく満たされ、上がっていた息も落ち着き……俺は、己れの腕に乗せている愛しい人の顔を、じ、と見つめた。窓の障子越しにも月明かりは皓皓とし、夜目の利く俺だけでなく、イムジャの目にも……十分見えるのか、直ぐに触れられる程の距離だからなのか、微笑みながら見つめ返してくれる。俺は、もう片方の手をイムジャの柔らかい頬に当て、指の背でなぞりつつ、落ちてくる髪を梳く
つきりと目の奥が痛んだ。気が付けば私は床に座り込んだまま、膝の辺りをぼんやりと眺めている。「あれ…?」顔を上げて辺りを見回すと、客間にはチェ・ヨンの姿しか見当たらない。(もしかしてアン・ジェさん、帰っちゃったのかしら…)首飾りを取り戻してくれた事。幼馴染みに紹介してくれた事。それらがすごく嬉しくて、ありがたくて。この人にお礼を言ったところまでは覚えている。それなのにーー。(その後の記憶が無いなんて。年甲斐もなく、酔って羽目なんか外してないわよね…?)長時間俯いたまま居眠りで
「へぇ〜……その、キム上護軍?アン・ジェさんの上官って言った?…居たかも。鷹揚軍の健康診断に行った時、やたら偉そうなブサ…イケメンじゃない人が」「え、貴女が診察を??」「あ〜……ううん、あの人には当たらなかったわ。他の人は…何人か診たけど」「………」「ねぇ、貴方が嫌がるのもわかるけど、私は医者なの。そんなおかしな気持ちで診察してないから安心して」「心配なのは貴女ではなく、男どものほうです。良からぬ事を考えるやも」「あらあら。困った旦那様ね」イムジャは、腰掛けた椅子ごと俺に身体を寄
木々の緑も鮮やかな、新芽の芽吹く季節になった。タムがこの世に少しだけ慣れて、私もオンマ業に少〜し慣れた頃。夜中に泣いて起きる事が、ほぼ無くなったタム。おかげで私も、朝までしっかり眠れるようになっていた。(有り難いわ〜)そこで、タムのベッドを子ども部屋から夫婦の寝室へ移し、夜も親子3人で過ごすようになってしばらく。…ふ、と目を覚ますと、じっ…と、タムのベッドを覗き込んでいる人が——「お帰りなさい、ヨンァ。いつ戻ったの?」私は寝ぼけ眼を擦りながら、帰宅した夫の側へ寄った。「少し前
両親の寝室。2つ並んだ布団の上の、2人の間に私は小さく座り込んでいた。頬の涙の線を、オンマが黙って拭ってくれている。「ウンスヤ。眠れないのか?」最初に口火を切ったのはアッパだった。「昼間の話に驚いたのか?何も今すぐって訳じゃない。いずれ父さん達はそうするつもりだから、お前に伝えておきたかっただけなんだ。お前は自分の幸せだけ考えたらいい。ウンスの幸せが、父さん達の幸せなんだから」オンマも大きく頷いている。その手はいつの間にか、私の頬から頭へと移っていて。何だか私……小さい子ど
ヨンは、深く慈しむような表情(かお)で、その愛しい声を聞かせてくれた。「……随分、待ちました」私は嗚咽を堪えて、大きく頷いた。「こんなに待つものだとは……理不尽にも程があります、イムジャ」「理不尽て……あ」さぞおかしな顔をしていたのだろう。ヨンが私を見て小さく吹き出して言った。「“でーと”とやらは……こんな理不尽な待ち合わせから、始まるのですか?」あの日。ヨンと2人で天門へ向かっていた時に。私は、彼の腕に自分のそれを絡めて、幸せに胸を弾ませていて。何だか、デートみた
「それで様子がおかしかったのね。リュ・シフ侍医の件は、本当にごめんなさい。私が軽はずみな行動を取ったせいだわ」落とした声音で詫びながら、イムジャは俺の腕の中に、神妙な様子で収まっている。まるでその時の俺を宥めようとでもするかのように、背に回した薄い手の平をゆったりと上下させながら。ふとしたはずみで顔を覗かせる、獰猛で御し難い心火は、この方への思いが募るほどに勢いを増し、手が付けられなくなっていく。結果俺はそれを恐れるあまり、イムジャと距離を置かずにはいられなかった。(四年前、あれだけイ
三日間という思わぬ不在を上申すべく、ドチ内官に王様への拝謁を願い出たが、折り悪しく先客があったようだ。「後ほど」と言い、引き返そうとした俺を呼び止める声に振り返れば、先客というのは他ならぬユ・インウ殿、その人だった。またもや人の悪そうな顔で追い払われ、それを「伝えておくから早く行け」の意だと解釈した俺は、素直に頭を下げて引き下がった。事宜を計るのも天賦の才…そんな畏怖の念と共に。となれば為すべき用件は後一つだと、俺は急く気持ちを顔に出さぬよう苦心しながら、日が沈みゆく中、坤成殿を訪れた。
「——テジャン。顔を上げよ」王様が屈んで俺の肩に手を置いた。ゆっくり目線を上げると、思慮深い瞳が俺を見ている。「相分かった。鴨緑江奪還の王命を出そう。ただし、その前にひとつ、先んじて命を与えるがよいか?」「はい。お命じください」一呼吸の後、王様は立ち上がると毅然と言い放った。「護軍チェ・ヨンにしばし暇(いとま)を取らせる。その間、出仕は無用。軍の指揮などもってのほか。北へ行くことも許さぬ」「!王様、それは、」思わず立ち上がった俺を片手で制して、王様は続けた。「聞こえなかったか
翌日。鉄原の皆さんにお礼とお別れを言って、私達は開京への帰路に着いた。来た時と同じように、辺りを警戒しながら、馬車のメンバーも入れ替わりながら……それでも、行きとは違って、誰もが柔らかい安堵の表情を覗かせながら、都までの道中を過ごしていた。「お帰りなさいませ!旦那様、奥様!」「ご無事でよろしゅうございました」「お疲れでございましょう。風呂が沸いております。どうぞ!」チェ家の…我が家の門前に着いた時から、ギチョン達が飛び出すように出迎えてくれて……自分でも驚いたんだけど、私は思わず泣い
「妻も高麗の民、か。確かに一理あるが……大護軍はその、国防も国の繁栄も、全て妻の為だと?」「そうです」あっさり答えた俺に、セクの目が行き場なく泳いだ。——セクよ。あの男だけは敵に回すものではないな。何と厄介な夫婦が出来上がったものか……あの日ジェヒョンがそう溢していたと、後々セクが笑って語った。............................................................ようやく家に戻った俺は、出迎えのギチョンにイムジャの様子を尋ねた。テ
程なくヨンは、鴨緑江(アムノッカン)領域奪還の為、北へ進軍していった。“高麗の守護神”などと呼ばれ、日増しに高まる賞賛の声……私も見送りに出たが、それはそれは意気揚々として、我が甥ながら立派な姿だった。「ヨンはそろそろ安州かねぇ」「ああ。しばらくは戻れまいよ」「いよいよ元と戦か。まぁ、ヨンなら大丈夫だろ」「心配しなさんな、ヨンは無事に戻ってくるよ!」店の奥で溜め息を吐いている私が、どうやらマンボ兄妹の目には、甥の身を案じる叔母に映ったらしい。いや……此度は不思議なほど、彼奴の心配
「ヨンァ。ご飯にしましょ」典医寺の私の部屋の、窓辺に座ってヨンが外を眺めていた。振り向いたその顔には、火傷の痕が残っている。私の技術を持ってしても、元のように綺麗には治せなかった。あれからひと月余り。あの爆破事件で、助かった人、亡くなった人……ヨンのおかげで命拾いしたとはいえ、重臣たちもかなりの重傷だった。イ・ジェヒョンなどは、高齢も重なり未だ床に伏せたままだという。ヨン自身も、繋ぎ合わせた右手がうまく動かせず、今もリハビリを続けている。あの事件で皇宮の状況は大きく変わった。
大広間の中央に置かれた大きな机の上に、次々と料理が並べられて行く。豆もやしのクッパを始め、貝の和え物や大根の水キムチ、冬野菜のジョンなどが、それこそ所狭しと。先程味わった恥ずかしさは、強引に頭の隅へと追いやって、私は食欲をくすぐる匂いを、鼻から思い切り吸い込んだ。「凄い。美味しそう!」両手を打ち鳴らして歓声を上げた私に、マンボ姐さんは満足そうに笑って頷く。「たんとお食べ。何かあったら呼ぶんだよ」そのまま慌ただしく店内へ戻って行ったところを見ると、今日は客足が好調なようだ。最後にチェ
今日も戻りが遅くなってしまった……俺は、既に薄灯りの寝所へ音も無く入ると、ぐっすり寝入っているイムジャの…額にかかる絹のような髪を、そっと撫でつけた。そしてすぐ側の、べびーべっとで静かに寝息を立てている息子の傍に立ち、その微かに聞こえる呼吸の、心地よい反復音に耳を澄ます。……何とも愛らしいことだ。我が子とは、このように愛おしいものか。聞いていた話ではあったが、まさかこれほどとは——己れの子というだけでなく、最愛の女人(ひと)との間に授かった子だ。タムは俺とイムジャの……違う刻を生き
俺とイムジャが腰掛ける真向かいに、意思の強い目をしてスンオクが座っている。その脇には、困ったような笑っているような顔で、娘のソニが立っていた。「あの……お風呂を沸かしてくれてたって?ス…スンオク」スンオクの無言の圧に耐えかねたのか、イムジャが笑みを含んで口を開く。「——はい、奥様。今日にでもお戻りになるだろうと、ウォンスク様からお知らせいただきましたので」ウォンスク……?小さく呟くイムジャの耳元に、コモの名です、と、俺は顔を寄せて囁いた。それを見て、コホン、と咳払いを寄越したスン
「俺は、どうでしたか」私の視線を逃すまじとばかりに、僅かに細められた切長の目が見据えてくる。(オレハ、ドウデシタカ…?)未知の言語で語り掛けられたと錯覚するほど、私の脳は音の響きを捉える事しか出来ない。しばらく咀嚼した後、ようやく昨晩の行為に対する感想を求められているのだと理解した。「ど、どうって言われても…」なんとか絞り出した言葉も、喉に絡んだ上に何の意味も成してはおらず。過去にも、こんなふうに聞いてくる男がいなかったわけじゃない。(私、その時は何て言ったっけ。確か…)『悪く
「ねえ、本当にそこで待つの?」私が何度もしつこく問いかける言葉に、チェ・ヨンは仏頂面で頷いた。「万が一貴女に何かあった時に、少しでも近くに居なければ守れません」湯殿の前で番をすると言って聞かないこの人は、鬼剣を携えたまま、冷えた廊下に腰を下ろす。「そこに座ってられると、急かされてるようで落ち着かないんだけど…」チェ・ヨンは私の事を、言い出したら聞かない女だと思っている節があるようだけれど、私から言わせれば、この人にだけは言われたくない。「じゃあ、貴方がお湯を使っている間はどうするのよ