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30年前、1994年5月1日準夜勤務を終えて帰宅して、深夜、テレビのF1中継イモラでのサンマリノグランプリF1GP3戦目座り込んで見ていたのですが、レース開始からどこか異様な雰囲気でした。2日前のバリチェロのクラッシュに続いて、予選でラッツェンバーガーの事故死。この時点で、あまりにスピードを重視しすぎて危険なのではとの声はドライバーから上がっていたようです。それでもチェッカーが振られレース開始。後方の車両でクラッシュが発生しオイルが漏れたかなにかで一度イエローフラッグが出
あれから三十年か。今も信じられないな…いくつも彼のモデルカーを作って…いくつも彼の関連書籍を買って読んだなぁ…作りかけのMP4/4。今日の三十回目の命日までには完成させるつもりだったんだけど、ついついサボっちゃったな。あれから三十年経って、自分も色々変わったような、やっぱり何も変わっていないような…ラッツェンバーガーとセナ…改めてご冥福をお祈りします。
世界中が泣いた悲劇の事故から30年。今も絶大な人気がある、音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナ。タンブレロの悲劇「音速の貴公子」セナ氏の没後30年追悼展伊トリノで開催【4月29日AFP】(訂正)イタリア・トリノ(Turin)にある国立自動車博物館(Museodell'Automobile、Mauto)では、ブラジル出身のフォーミュラワン(F1、F1世界選手権)ドライバー、故アイルトン・セナ(AyrtonSenna)氏の没後30年追悼展「アイルトン・セナ・フォーエバー」が開催され
昨日はアイルトン・セナの命日あの日のことは昨日のように思い出されますセナ+ウィリアムズ負けるはずがないとおもっていました。まさかこんなことなろうとは…ミニカーのセナはいつも元気です。今年は久々にセナグッズ買いました。届くのが楽しみですうちのF1ラジコンのドライバーはセナです。F1も続いていますがウチはセナも続いています。カーナンバー1か似合う男このカラーリングはセナだけのものオマージュデザインとかされてもねぇ…アイルトン・セナは永遠のアイドルです
ロスマンズウイリアムズFW16ルノー1994Rd1〜3#2アイルトン•セナセナが亡くなって30年...。ニューウェイは今もチャンピオンマシンをデザインし続けています。果たしてキャリア最後にどのチームに行くのだろうか?!
おなじみのこの曲も今年のアタマに入手したこの映画の中の曲だったと知って、ちょっとびっくり。合わせる映像によってどんな名曲も「なんだかなぁ」って感じになってしまうもんですね。
ちょうど30年前のきょう5月1日。あの日、この私は北九州市民であった。一人暮らしゆえ、深夜番組を心置きなく視聴できていたあの頃。勿論、F-1グランプリも。一生忘れないであろう。サンマリノGPを楽しみにしていたこの私が、言葉を失ったあの瞬間を。一生忘れないであろう。サンマリノGP決勝レースの7周目に起こったあの衝撃を。一生忘れないであろう。現場から病院へと飛び立っていくオレンジ色のヘリを。一生忘れないであろう
さくら・賀喜「皆さん、こんにちは」さくら「乃木坂46、4期生の遠藤さくらです」賀喜「乃木坂46、4期生の賀喜遥香です」い「いてまえです」賀喜「…なぜこんなに静かなんですか?」い「語るレース内容が内容なんで…」ということで、今回はF1の歴史の中でも必ず語らないといけないレースの一つ…1994年サンマリノグランプリを紹介します。1994年にマクラーレンからウィリアムズに移籍したアイルトン・セナ。しかしハイテク装備が禁止され、制作されたFW16は、挙動が神経質なマシンとなってしまった
5月2日(木曜日)❕2024年も、もう、「5月」↓月日が経つのは、早いですねぇ、、、昨日の5月1日は、アイルトン・セナ選手の命日でした、、、1994年F-1第3戦、イタリアのイモラサーキットで開催されたサンマリノGP決勝の7周目、高速左コーナーの「タンブレロ」に時速312kmで侵入、マシンコントロールを失い、アウト側のコンクリートウォールに時速約210kmで激突。懸命の蘇生治療もかなわず、、、34歳の若さで天に召されていきました。この時、F-1はTV地上波で、ライブ放送。
今日は、忘れられない日です。それは、今から30年前、いつものようにフジテレビでF1中継を待っていると、ニュース速報でアイルトン・セナがクラッシュしたとテロップが入った。そして、F1中継が始まると、中継の3名が列び泣き声で、ただならぬ事態と直ぐに判りました。そして、クラッシュ現場が映し出され、救助からドクターヘリが飛び立つまで中継されました。1994年のサンマリノGPは、呪われた3日間だったとも言える。まず、フリー走行でバリチェロがクラッシュして大怪我をおい、翌日はラッツェンバーガーがク
ブラジル出身のレーシングドライバー、アイルトン・セナがレース中に事故死してから昨日でちょうど30年目の節目を迎えました。一口に30年と言ってもかなりの時間ですよね、皆さんは1994年当時はどう過ごされていましたか?自分の30年前は毎日外国為替市場の動きを追っていました。日本に今のF1人気をもたらしたのはホンダとセナの活躍と言っても過言ではありません。現在のF1は10チーム、ドライバーは20人ですからF1ドライバーになるのは一国の首相や大統領になるよりも狭き門なんです。特に1988年のシーズンで
セナの広報で通訳だったベティーズの告白ベティーズはセナの広報でのちにパトリック・ヘッドと結婚・離婚した女性である。当たり前だが、アイルトンの死について、無数の記事や写真、ビデオが存在する。中には読むに堪えられないものもいくつもある。例えば「アイルトンはあの日の朝、無言だった。彼はラッツェンバーガーの死について想いを巡らせていたからである」……いったい誰がどうやってアイルトンが「考えていたこと」をそんな風に言い当てられるというのだろう?そんな信用ならない情報ばかりの中で、
セナの事故から今日で30年。節目という事で色々と取り上げられていて、セナが日本を好きだったように、日本人も彼を好きだったんだと改めて思う。あの時、自分もあの場所に居てセナの最後の走りを見られたのは、言い方は間違っているかもしれないけど幸運だったのかもしれない。もし、あの事故がなかったら彼は今どうしているだろうか。