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お久しぶりです。やっと更新出来ました!そろそろ、終わりが見えてきたかな。こんなダラダラ自己満ブログを読んで頂いている方が一人でもいらっしゃったら、本当に本当にありがとうございます。いつも、しつこいくらいの長文駄文で申し訳ございません。もっとスッキリ出来ないのか!と自分にツッコミを入れながら、性格がしつこいから治らないかな~と開き直ってしまいました(*≧m≦*)さて、今年も折り返し地点が過ぎ、前半に色々とありました。父親が亡くなった事は、前回書いたのですが
いつ入籍しようかと話しながら、元旦那は、とても喜んでいた。私は親や兄弟に、この曖昧な関係を伝えており、兄弟からは、もし復縁となったら反対の意見もあったけど、母親は反対しなかった。母親は、責任もついて回るけど、自分の人生だから、自分で決めていきなさい。ティナが決めた事に反対はしないよ、応援する。と言ってくれていた。20歳離れた元彼との結婚は、やんわりと反対していたけど、まぁそれはさすがにね・・再婚の挨拶に実家へ行った。元旦那と母親は、曖昧な関係の時から会ってい
2011年3月11日、大体16時くらいだったと思う。教室で、職業訓練の先生達と、まとまって、座っていた。その間に、家族に居場所を伝えた。炊き出しが行われたようで、白米にふりかけが入ったパックが配られた。食欲がなかったけど、この先、何が起こるか分からないから、食べておこうと思った。この時は、ご飯が食べられる事に、感謝の気持ちいっぱいで食べた。食べている途中、元旦那から電話。「やっと繋がった!大丈夫か?ティナ達、今どこに居る?」「私は、〇〇避難所、息子
避難所の体育館の空いてるスペースに、布団を敷かせてもらった。夜になり、食パン1枚が配られた。また、消防士さんが、緊急用のお水を3リットル、各避難民に渡してくれた。トイレは、お昼にプールの水で流しているようだったけど、夜の便器は酷い状況だった。この震災が夏場だったら、確実に虫や伝染病が発生していたと思う。寒いせいか充電の消費が早かった為、再度充電をしていて、携帯を取りに行ったら、なくなっていた。信じられなかったけど、盗難にあってしまったようだった。どうする
ちゃんと働きに行ける時は、ずっと疲れが抜けず、休みの日は一日中布団で過ごしていた。元旦那が、家事や息子の世話をしてくれたので、なんとか生活がまわっていた。調子が良い時は、元旦那と息子と3人でお出掛けして、不倫が分かる前に感じていた幸せな気持ちを思い出す事も出来た。気持ちが安定している時は、今後どうするべきかをずっと考えていた。元旦那とも、一方的に私が怒る喧嘩に発展しながらも、思う事を伝えあった。『俺がティナを傷つけた。こんなに後遺症に苦しませてしまっている。反省
東日本大震災後の4月7日の地震で復旧も遅れ、今後どうしていくのか不安だった。受講していた職業訓練校からの連絡で、授業自体は、震災前に終わっていたので、状況が落ち着いたら卒業式をすると連絡があった。そして、登録していた派遣会社からも連絡が入った。震災による影響で事務未経験者でも人手が欲しい会社からの緊急雇用が発生したとの事で、短期契約で即雇用となった。電車が復旧するまでの間、毎朝6時のバスに乗る為、5時前に起きていた。詳細は載せられないけれど、仕事は震災被害状況