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2019年8月26日、84歳の母に悪性脳腫瘍(膠芽腫)がみつかり、治療しても翌年夏までもつかどうか、このままなら余命3ヶ月程と告げられましたが、超高齢の母にとってあらゆることを考え悩んだ結果、母には余命を告げず、積極的な治療をしない自宅療養(緩和ケア)を選びました。〔前編〕発覚から入院中の話です。『膠芽腫発覚から旅立ちまで(前編)』2年前の今日(2019年8月26日)、母に脳腫瘍がみつかり、「おそらく悪性脳腫瘍(膠芽腫)で余命は3ヶ月程」と言われた日。衝撃すぎたあの日から2年が経ち、当時
昨日は敬老の日でしたね。毎年、必ず報道発表される高齢者割合。100歳以上が8万人超えにはちょっと驚きました。ホントに長寿国ニッポンですね。去年の敬老の日、母に何をプレゼントしたっけ??と思い返してみたけど、入院していた母に何もプレゼントしていなかったと思い出しました。いつもなら母の好きなものを食べにどこかに出かけ、デパートに行って母が欲しいモノを何かしら買っていたけど、去年は毎日が精いっぱいで、「敬老の日」自体を意識していなかった気がします。80歳を過ぎても一
ご訪問ありがとうございます。2019年8月末に脳腫瘍がみつかった母の入院生活を記憶をたどりながら書いています。悪性の神経膠芽腫グレード4が確定となり、84歳の母が、このデキモノと闘うべきかどうか、さんざん悩んだ挙句、治療はしない在宅療養を選択しました。*******術後1週間目ごろから毎日午前中1時間はリハビリセンターへ。母はこの1時間が入院中の楽しみでした。一度だけリハビリ中の母を見学に行きましたが、支えてもらい、ゆっくり階段の上り下りや立ったり座わったりの練習。
2019年9月2日に脳腫瘍の摘出手術を終えICUに入った母は、翌日には一般病室へ戻りました。手術翌日の11時ごろに行くと、看護師さんから、ちょうどいま戻ってきましたよと言われ、案内された部屋に行くと、ベッドにいた母は鼻からも腕や胸などいろいろ身体に管がつながり、右の側頭部に大きなガーゼが貼ってあり、見た目はかなり痛々しい。でも、「お母さん」と声をかけると、うっすらと目をあけてVサイン。何事も起こらず無事でよかった!!お昼ご飯はお粥とちょっとしたおかず。
2023年4月5日N大学病院左顔面麻痺について顔面麻痺はだいたい2年から3年位で良くなるからもう少し様子見てみみよう。でもせっかく来たから何もしないのもあれだからMRIでも撮って置こうかと言われた。4月8日に予約する。4月7日娘ちゃん高校入学式(無事に高校生になりました✨)4月8日頭のMRIを撮る頭痛、吐き気、めまいなど症状はあいかわらず(食べたら吐いてしまう)4月12日検査の結果を聞きに来る(娘ちゃんは学校)チョット脳が炎症起こしてるみたいで白くなってい
「手を握り返してくれた母」のつづきです。【2020年4月17日(金)】前日は一日中、目を開けることもなく、発語もなく、声掛けにはかすかに反応して手を握れば握り返してくれた母。この日の朝は声をかけても反応なく、動くこともなく。オムツを見てみるとオシッコはしっかりたっぷりと出ていたので取り替えたけど、ずっと眠ったままでした9時に訪看さんが到着。脈も血圧も正常値。SpO2は92。4月に入ってから92~95の間だったので低いけどこの数日と変わらず。でも眼球にライトを当てても反
【2020年4月18日(土)】前日17日からほぼ昏睡状態になった母の様子をみるため、土日も訪看さんが来てくれることになっていました。朝から土砂降りで風も強い豪雨だったのでさすがに今日はムリかなあ、と思っていたら、「10分ほど遅れるけど行くから」と電話があり、午後、予定通りに来てくれました。こんな豪雨でも来てくれることに本当に感謝しかありません。前日に訪問医から「いつ急変するかわからない」と言われ、ひとり不安MAXでいたので誰かの顔を見て話をするだけでもありがたいという精神状態でした。
2年前の今日(2019年8月26日)、母に脳腫瘍がみつかり、「おそらく悪性脳腫瘍(膠芽腫)で余命は3ヶ月程」と言われた日。衝撃すぎたあの日から2年が経ち、当時84歳だった母の病気発覚から旅立ちまでの8か月をまとめてみようと思います。【2019年】●7月~8月会話は普段通り、日常生活にも支障はなかったが、少し異変を感じた。例えば、「左の口元から食べ物がはみ出たまま」「下着やズボンの左側だけ上げきれていないまま」などをよく目にし、外食先で「左手に持っていた飯椀を落とした」ことをきっ
ご訪問ありがとうございます。2019年8月末に脳腫瘍がみつかった母の入院生活を記憶をたどりながら書いています。悪性の神経膠芽腫グレード4と診断され、84歳という高齢の母が、このデキモノと闘うべきかどうか、さんざん悩んだ挙句、治療はしない在宅療養というかたちを選択しました。(←前の記事です)主治医にこのことを伝えたその日の夕方(2019年9月12日)、入院先の相談支援センターの看護師さんが病室に挨拶に来て、在宅療養のためにこれから準備すべきことをお世話してくだ
【2020年4月19日(日)】母が17日に意識障害となり眠り続けるようになったとき、往診医や訪看さんに「会わせたい人がいたらこの週末は外さないほうがいい」と言われ、群馬にいる伯母(母の実姉)が従兄たちに連れられて母に会いに来てくれました。従兄夫婦と従姉の3人は、「〇ちゃん(←母のこと)がもう意識もなく昏睡状態にいるということをお母さん(←伯母のこと)には言えない」と言って、「ちょっと病状が進んだから会い行こう」と言って連れてきたらしい。伯母はこのとき89歳。それなり
【2020年4月25日危篤状態の朝】のつづきです。11時半ごろに訪看さんが帰り、ひとりになった私。シーンとした部屋には、母がハァーハァーと呼吸する音だけがしていました。母の手をとり、しばしボーっと母の顔を見つめてましたが、口を開けて息をしている母の唇が渇いているようだったので、マウスケア用スポンジで口の中を湿らし、唾液を吸引器で取り、また母の手をとっていろいろ話しかけていました。((呼吸は苦しそうに見えないので危篤状態にも思えず、このまま明日を迎えられる気がしていました
2019年8月26日、84歳の母に悪性脳腫瘍(膠芽腫)がみつかり、治療しても翌年夏までもつかどうか、このままなら余命3ヶ月程と告げられましたが、超高齢の母にとってあらゆることを考え悩んだ結果、積極的な治療をしない自宅療養(緩和ケア)を選びました。母の悪性脳腫瘍「膠芽腫」発覚から旅立ちまでの〔前編〕からだいぶ日が経ってしまいました💦『膠芽腫発覚から旅立ちまで(前編)』2年前の今日(2019年8月26日)、母に脳腫瘍がみつかり、「おそらく悪性脳腫瘍(膠芽腫)で余命は3ヶ月程」と言われ
5月29日5月30日学校には行けていない。頭痛、吐き気、めまいふらつき倦怠感が酷く起きていのも辛いようで、1日寝ている。食べたり飲んだりすると吐いてしまうのでほぼ何も食べていない。5月30日(夜)チョット歩いたら倒れた。このまま金曜日まで様子を見て大丈夫なのか不安になり、病院に電話する。救急車を呼んで今すぐ病院に来てください。と言われた。(家から病院までは1時間半かかるので救急車の方が良いとの事だ)水頭症が悪化したのではないのだろうか。もう夏休みまでは待ってら
【2020年4月25日(土)】前日に往診医から「片肺で呼吸しているからこれから呼吸が乱れてくるかもしれない」と言われ、緊張した夜のはずだったのに、結局ウトウトしてしまい、目が覚めたら朝6時すぎ。3時間ほど眠ってしまった母を様子をのぞいてみると、グーグーというイビキをかいている。ゼーゼーでもヒューヒューでもなく呼吸は普通(に感じた)でホッ。熱を計ると37℃。オシッコもでていません。きのうも出ていないからやっぱりもうオシッコはでないのか・・軽く朝食を済ませ、母のオ
2020年3月15日から2泊3日で南房総でゆっくりのんびり過ごし、中日の16日に無事に85歳の誕生日を迎えた母。でも旅行中に母の病状は進み、旅から帰った後は「全介助」になりました。ベッドからの起き上がりも立ち上がりも一人ではできない右手を使うこと以外は何も一人ではできない身体になりました。3月19日、ケアマネさんが我が家に来ました。母はオムツ生活ではあったけどウンチはトイレだったので、私がいないときは訪看さんが介助してくれていましたが、狭くてバリアフリーではないので、
2020年3月のお彼岸。コロナ禍ではあったけど、群馬に住む従兄妹が伯母を連れて母のお見舞いに来てくれました。母の様子はいつも報告していたし、伯母が母に会いたがっているからと言って車で連れてきてくれたのです。伯母は母の5歳上の実姉で、母とはなんだかんだ言って仲良し。母の余命や詳しい病状は、従兄妹達が「お母さんにはとても言えない」と言って伝えてなかったので、群馬に帰ったときに叔母に会うと、必ず母に、「早く元気になりなね」とか、「アタシより先に逝くんじゃないよ」と元気づけてくれ、
8月18日(ICU)面会に行ったら呼吸器外れてた。無事に気管のチューブも交換が終わったとの事。肉芽は上の方にあったので今回はチューブを下の方に入れたとか。主治医と一緒に見ている若い先生より呼吸のトラブルはコレで2回目。2回ともうまく助けられたが今後また同じような事が起きた時は必ず助けられる!と約束は出来ないので覚悟して欲しい。的な事を言われた。8月19日娘ちゃん一般病棟戻る今日から付き添い再開しました8月20日経管栄養の管が詰まってしまい急遽交換となる。8月22
Hieveryone!お元気ですか?今日は便秘のお話し…なので、かなり汚いから読みたくない人はスルーしてください。抗ガン治療やステロイド剤の副作用で、とてつもなく頑固な便秘になるのです。主人曰く、硬い棒が2本詰まっているような感じで、これがとっても痛いらしい。これまでも同じような状況に陥ったことがありましたが、その時は数日トイレに何10回と通って、トイレの中で「うおーーー!」とか叫びながら、なんとか自力で解決しました。あんまり苦しそうだったので、「浣腸したげようか?」と言っても
明けましておめでとうございます。まだ神社の参拝、おみくじは引けていないけど、amebloは大吉ありがたやぁ〜。良い1年になりますように皆様今年もよろしくお願い致します。