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(首の骨を折って死んだエイミー・ロバート)1558年、イギリスは若き女王の誕生に沸いていた。その名はエリザベス。芳紀25歳の若さ。(戴冠式のエリザベス1世。この時25歳。1533〜1603)エリザベス1世は「イングランド王国と結婚した女王」と称えられ、処女王として生涯一度も結婚せず、ひとりの女である前に女王として生きた。(エリザベスとロバート・ダドリー)しかしエリザベスも健康な年頃の女性であった。人並みに恋をするようになっていた。若く生命力にあふれた若い女性に恋をするなという方が無
〝自分のためだけには決して生きられない″それがイングランド女王となったエリザベスの悲しい悲しい運命でした。一国を背負う女王として自身の女としての幸せよりなによりイングランドを強固にするために尽力したエリザベス女王。エリザベスは生涯未婚。彼女は、『わたくしは国と結婚しました』と宣言しました。王位についたエリザベスは1601年、『王冠を戴くというのは、それを見ている人にとっては素晴らしいことのようです。けれどもそれを戴く人にはほとんど喜びを
彼女のために始められることは何一つ上手くいかない。ーこの女性は、1542年に生まれ、生後すぐにスコットランド女王、わずか5歳でフランスへ渡り、フランス王妃となり、18歳で再びスコットランド女王となった悲劇の王妃、メアリー・スチュアート。しかしメアリーは悲劇の女王として名を残します。美貌に恵まれ、これほどよい条件を持って生まれた女王がどうして哀れな末路を辿ることになってしまったのでしょうか?メアリー・スチュアートは、スコットランド国王の一人娘でエリザベス女