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Aloha🌈昨日は、ワイキキをウロウロして、動画を撮り、その動画はこちらね^o^【今日のハワイ】HawaiiTodayワイキキビーチを見ながらカラーカウア通りを歩いてみた!お昼はそんなに混んでないのねぇ〜!youtu.beその後は、イオラニパレス日本語ガイドツアーの日なので、今日も張り切っていこぉ〜!と、イオラニパレスに向かいます。そして、たくさんのお客様にいらっしゃっていただき、天国のロイヤルファミリーに見られていても、恥ずかしくないように最善を尽くし、ツアーを行う
4月20日は、キャピタルモダンへ行く前に、カメハメハ大王像から散歩。時刻は午後5時半近くで、逆光になっていますが、空は青いです。イオラニ宮殿は火曜から土曜までは、午後6時まで敷地に入れます。風にハワイ州旗が、はためいています。イオラニバラックは、一角だけに日があたり、他はビルの陰に入っていました。宮殿裏のバニアンツリーには、小さいお花がたくさん咲いています。たまには州庁舎の紋章の写真も撮ってみようかしら😁。リリウオカラニ女王像も逆光の中。撮るのが難しかったです。このあと、キャピタルモダ
Aloha🌈今日、新しいパン屋さんがダウンタウンにOpenすると知り、ならば行ってみますかねぇぇ〜と、ランチのつもりでいってみたんです。ずいぶんと遅くなっちゃったんだけど、到着したら、おっ!ここかぁ〜誰もいないじゃぁ〜ん!ラッキー空いてる!なんて思ったら、とんでもない!店舗の側に移動したら、やっぱり並んでるわぁ〜韓国系の、『ParisBaguette』というお店。ハワイでは初出店で日本にはないお店だとか。ParisBaguette1000BishopSt
1883年2月12日、ディヴィッド・カラーカウア王は、3年の月日と当時の金額で36万ドルをかけて建築された、イオラニ宮殿で盛大な戴冠式を行った。この式典に必要なものはサンフランシスコから取り寄せられ、それでも用意できないものはヨーロッパへと発注された。リリウオカラニ王女は夜会用と舞踏会用のドレスをパリからとりよせた。深紅色のサテンで出来ており、両方ともたくさんの刺繡がされていた。妹のリケリケ王女は衣装を作るためにわざわざサンフランシスコへと赴いた。彼女も二着のドレスを作り、ひとつは
Aloha🌈日本で働いていた時の会社の仲良しさんから、久しぶりに連絡があり、『今、ワイキキって治安良くないの?』と、いきなり質問が来ました。えっ?!そんないきなりどうしたの??って思ったのよね。ハワイの治安…そうねぇ〜、どうなんでしょう??かね??で、どうしてそんな質問をしたかと、そのお友達が言うには、知り合いの方が、ハワイに旅行に行こうと思ったけど、ハワイは治安が悪いから、オーストラリアに旅行先を変更したとか!えっ!アフガニスタンやシリア、イラクとか、戦闘地域とか
Aloha🌈わたしの大好きなブロガーさん『ちいこ』さんが、ご自身のことをブログでお話になっていて、(幸せがお顔に現れていて、とても自信に満ち溢れているような、堂々している素敵な方なんですよ)わたしも、真似して改めて自己紹介したいなぁって、思っていましたら、ちいこさんのブログはこちらね^o^昨日、トピックに載せて頂き、たくさんの方がブログを見て下さいました。なので、このタイミングでで、ずっと、わたしのブログを読んでいた下さってる方には『知ってるよぉ〜』ってお話しだと思うのです
訳注:①リリウオカラニ獄中の作品についてその1Ku’uPuaiPaoakalaniリリウオカラニはイオラニ宮殿に収監され服役していた8ヶ月間で、少なくとも7曲の歌を書いたと言われています。第43章から、収監され、裁判にかけられ、判決が出る前の1ヶ月半、彼女が極度の緊張と孤独、深い失意の中で過ごした様子が描かれていました。もしかすると、この期間は曲を書くどころの話ではなかったかもしれません。2月末に判決が出て、イオラニ宮殿の二階で外部との交流を遮断された
ー戴冠式の祝賀行事(その2)2月12日の戴冠式典に続いてその夜は宮殿で国王主催の晩餐会が行われました。二日後の2月14日には、アリイオーラニハレの正面にカメハメハ大王像が置かれ、その除幕式が行われました。現在もホノルルのシンボルとなっているあの像です。祝典は2週間にわたって続き、花火大会、ルアウ、宮廷舞踏会、競馬、ボートレースなど様々な慶祝行事が繰り広げられました。そして2月24日。イオラニ宮殿では、盛大なルアウが開催されました。5000人もの参加
訳注:③王冠この戴冠式のために、カラカウア王は2年前の世界歴訪の訪問先の一つ、ロンドンで王冠を二つ作らせていました。当時のパシフィック商業新聞(PacificCommercialAdvertiser)紙の記事によれば、王妃の冠は「265個のダイヤモンド、20個のオパール、エメラルドとルビーが8つずつ、それに無数の真珠」が散りばめられていたと言います。宝石の原産地はイタリア、フランス、ペルシャなどだそうです。カピオラニ王妃を讃える歌(MeleInoa,
訳注:⑥戴冠式の祝賀行事(その1)戴冠式典が行われたのは1883年2月12日月曜日のこと。午前10時、ロイヤルハワイアンバンドが所定の位置につきます。10時15分、宮殿のゲートが開門され、招待客たちが入場。11時きっかりに、曇り空の下、国王夫妻がパビリオンに進み、その前を露払いとして歩くのは9歳のカイウラニ王女で、レースの縁取りのある水色の絹のドレス、髪にはペールブルーのリボンを結んでいます。法螺貝とトランペットの音色が響き渡り、国王夫妻がパビリ