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映画の中でオッペンハイマーは金魚鉢みたいな大きなガラスのボールにビー玉を投げ入れた。ボールがビー玉でいっぱいになったら、それは原爆を作るのに必要な量のウランが調達できたことを示す。またもう一つ特大のワイングラスがあって、それに投げ入れられるビー玉はプルトニウムを表していた。観る者に緊張をもたらし映像効果は抜群だ。しかし、このシーンを見てどれだけの人が心を痛めただろうか。映画では小さなビー玉だが、実際には強い放射能を持つウランやプルトニウム。これを採掘し加工する過程でどれだけの人が被曝したか
むかーし僕が子供の頃アメリカ先住民をインディアンと言っていた記憶がある。Cherokeeインディアン※写真はネットから拝借しました「インディアンウソつかなーい!」かなり懐かしいなんだったんだ?あのフレーズ!?同じ世代ならきっとどこかで聞いたことがあるはずだ。それがいつの頃からか、ネイティブアメリカンとも言い始める。どう違うのだろう?そもそも1492年にスペインのコロンブス(ChristopherColumbu
草取りをしながら考えました。植物にも命があると思えば、殺生をしていることにならないか。ハナミズキの花が咲けば喜ぶのに、隣にカタバミの小さな黄色い花が咲くと、根っこからほじくり返して抜きたくなる。何と不条理な。鯨を食べる人を人でなしと叫びながら、牛や豚を平気で食い散らす。その話に通ずるところがあります。人は他の動物や植物を食べないでは生きられません。つまるところ、どこに線を引くかという問題に行き着きます。宮沢賢治さんの「ビジテリアン大祭」では、「動物には心がなく、死の概念もない・