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白井藩主本多家の墓が源空寺(渋川市)にあります。(左から紀定・広孝・広孝正室)白井藩主本多家(豊後守家)は徳川四天王にも徳川十六神将にも数えられていないし、白井藩は3万3千石(康重2万石、広孝1万3千石)の小藩ですから地味な存在ですが、徳川将軍家からは絶大な信頼を置かれていました。本多広孝は家康の父松平広忠に仕え「広」の字をもらい、家康にも今川家の人質だった頃から仕えています。家康最大の危機のひとつである三河一向一揆でも土井城を根拠に一揆衆を撃退しています。白井藩時代藩康重に家督
大分暖かくなって、本当ならサイクリングに行きたいところですが、痛みは全くないとはいえコルセット(脊椎圧迫骨折)がまだとれていないので、仕方なしに家で水遊び。一番やりたかったのはこれ。冬期間外しておいた居間の網戸を掃除して、現場復帰してもらいます。ケルヒャーなど持ち出したら、掛けた面倒分を取り戻そうと、貧乏根性に加え毎日が日曜日ののめしこきは次の獲物を探します。娘と上さんの車。のめしこきは時々借りるという状況です。これは決して虐げられているという事ではなく、サイクリング好きで
実家の母の通院に付き添うから、夕食お願いね。揚げ物買って帰るから、あとは何か用意してという事で、地元スーパーに遊びに行くと。半額品のアラ。ヒラメ150円、タイ200円。早速、塩締めすれば良いのでしょうが面倒なので洗ってぬめりと血合いを取って。どちらのお茶漬けにしようか思案の末、ヒラメで。昆布とヒラメでだしを取って。真鯛は冷凍庫へ。庭の三つ葉とアサツキを刻んで。19時過ぎの帰宅を待つのみ。塩味かポン酢味か迷ってポン酢に。上さんは塩と梅で迷って梅味。ポン酢も梅も味が
群馬県渋川市の良珊寺に、変ったデザインの墓があります。諸刃の剣に上り龍のデザインのこの墓は刀匠の元締め(日本鍛冶宗匠八代目)の墓です。日本鍛冶宗匠三品家は関ヶ原の戦い時に徳川家康から1000腰の太刀の注文を得て刀匠を門人化して以来、代々伊賀守金道を名乗り、全国の門人からの受領名の要望を朝廷に奏上し、手数料を得るのを生業としていました。江戸時代の受領名(ずりょうめい)・公家の官位・・・すでに守護などは機能していないけれど律令時代に準拠して、受領名を朝廷から下賜される。・武家の
玄関のコンクリート階段のヒビがずっと気になっていました。気温が低い時は接着とかできないようなので、気になっていても手出しができませんでした。暖かくなり今晩はパテの凝固温度(最低気温が5度以上)を超えるようなので、にわか左官屋さん。前回のゴムパテをはがして、マスキングテープを貼って、パテを乗せて塗り込んで、ハイ出来上がり。マスキングテープはがして出来上がりじゃない?それはそうだけど、剥がしたら汚い出来上がりがバレちゃう(笑)。だからこれで出来上がりとい
今回のサイクリングでは渡良瀬遊水地の北東側コースが最ものめしこきにとっては面白かったです。橙色の部分ですね。増水で流されないように欄干を造らない沈下橋です。この橋はコースの外郭になりますが、北東部の外郭(や内郭にも)には原野と雑木林が広がっていますし、車の交通量がほぼありません。ですが、これではありません。これが今回一番面白かった。ちょっと高い堤防から望む広大な景色も良いしけれど、それでもありません。道の上に、ポツン、ポツンと塊が。今日はびろうで済みません。