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7月30日(日)新木場1stリングで行われたPURE-J「GO!GO!レインボーマウンテンvol.7」大会を見に行く。第1試合20分1本勝負ライディーン鋼対櫻井裕子まずは櫻井裕子入場!!イマイチ誰がどの団体に所属してるか分からなくなるんだけど…櫻井はアクトレスガールズから派生したCOLOR'Sだよな…?ライディーン鋼はJWPからPURE-Jに残ってる選手。JWPの頃はよく見に行ってたけどデビューして11年選手なのね…色々女子プロレスも変わ
昨日でねぇ、当時のJWPに所属のプラム麻里子さんの26回忌。夕方に亡くなられたからね。本当に。1997年8月17日公にされたからね。1997年8月16日の夕方。本当にプロレス業界にとって取り返しのつかない事故死で、話題にされてしまった。ショックになりすぎた。未然に防ぐことを考えさせられた出来事をもう一度、立ち止まって考えてみるべきなのかも。改めて、プラム麻里子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
1997年8月17日、JWP後楽園ホール大会。この日は昼夜興行だった。昼の部の試合前の選手入場式に先立ってプラムさんの逝去が伝えられた。SNSとは無縁の時代。自分もだが、恐らくは100%に近い数のファンがその事実を知らずに会場に来ていた筈。この日の大会を楽しみに足を運んでいたファンから笑顔が、そして声が消えた。恐らくは二度と経験する事の無い雰囲気で大会は淡々と進んでいった。覚えているのは、尾崎魔弓が華菜ちゃんに放ったライガーボムくらいだ。ワイドショーではプロレス
今日も番外編。ジャパン時代の尾崎の写真館。写真がゆがんでいてロープもまがって写ってしまって気持ち悪い写真が多いですが。なつかしの尾崎をおたのしみください。
元週プロ記者の小島さんの著書だから、購入。女子プロレスがブームとなったのは、過去3回。70年代後半のビューティーペアのブーム80年代のクラッシュギャルズのブーム90年代の団体対抗戦時代のブームこの対抗戦ブームの終着点が東京ドーム大会。そこから業界最王手の全女が倒産し、女子プロレス自体が地番沈下を起こし、2000年時代には東スポの女子プロレス大賞も該当者無しという事態が5年も続き、日本から女子プロレスの灯が消えかかる。その90年代の記録をまとめたもの。当時、週間プロレスで女子プロレ
伊藤道場、いまさらながら写真みるといい選手そろってますね。伊藤、渡辺はおしえる側として、新人王の森居、ピュアJの女王中森、ディアナの女王佐藤。そして市井、田中という布陣でした。変なはなし、団体として新人が二、三人いたらなんとかやっていけそうなメンバーじゃないですか??森居はモーリーになりJのタッグ王者を獲得のタイミングで怪我で消えてしまいましたが、、、いまも覆面被ったりしてやってるのでしょうか??当時から若手のなかでぼくのイチオシ佐藤綾子は受けのしっかりしたいい選手としてディアナをひっぱ
つくしの引退で足が遠のいた女子プロレス。先日のPURE-Jが自分にとって復帰戦となるのか、年一の行事となるかは不明という事で(笑)。でも、プラムさんの事は忘れない。応援してたレスラーの事も忘れない。いつかまた、心を奪ってくれるレスラーが現れれば、会場に通うようになるだろう。そんなレスラーがいれば、きっと、プラムさんが引き合わせてくれる筈。それまで、ゆっくり待つとしよう。そして、リング上で事故が起きない事だけは祈っておくこととしよう。昨年、『永遠にこの言葉で締め括
全女では神谷と組んで沼田&長谷川(白鳥)戦でデビューですが、まったく記憶にありませんでした。JWPで復帰したあとさぶろうとの元全女ペアで活躍したり、ASARIのスーパーライト級に挑戦したりと頭角をあらわしましたが、その後引退。さぶろうと全日本タッグ戦線にからんできてもおもしろかったと思いますが。元全女だけれど、第二のリングで実績を残せたパターンでしたね。それにしてもこの頃の選手はちいさい方が多かったですね。
大洗サンビーチでの水難救助訓練です。茨城海上保安部・水戸警察署・大洗消防本部・ひたちなか東海広域事務組合消防本部・茨城県水難救済会・大洗ライフセービングクラブ・JWPが参加の下に開催されました。「レジャー客が数名流された」との想定で訓練開始です。
PURE-Jチャンネル&SEAdLINNNGチャンネルにて【VIOLENCEPRINCESSタッグ力向上への道!】が始まりましたー✨第27代デイリースポーツ認定女子タッグ王者チームでありながら、チームワークに難ありな我々。そこで、歴代のデイリースポーツ認定女子タッグ王者達にいろいろ学んで行こう!という企画です。記念すべき第1回のゲストは!!デイリースポーツ認定女子タッグ初代王者チーム【春☆倉】さんより、春山香代子さん&倉垣翼さんですー👏👏👏お二人はJWP時代、私も華子もすごくお世話に
今では珍しくなくなったが、当時は小中学生レスラーを、どの団体も快くは思っていなかったと思う。自分も、正直、キッズレスラーには今でも抵抗がないわけではない。レスラーとして、どうだかではない。当たり前の話だが、キッズレスラーの場合、親御さんの理解が重要となってくる。プロレスにおいて、事故を100%防ぐことは不可能。もしも、大きな事故があったとして、理解を示していた親御さんたちが、手のひら返しをしないとも限らない。そんな考えもあり、つくしのプロレスには一目を置いていたとはいえ
友達のおじさんで、笑いました(笑)元ジャパン、JWPのやまも、、、
やっぱりねぇ、JWPとの打ち解けをやったのは風間ルミさんの実績がなきゃダメだったはずだからね。JWPとLLPWの対抗戦は激アツの頃は絶対にタブー視されていたからね。雪解けの試合ではメインで活躍していたよね。ジャパン女子プロレスの同窓会の枠を超越していたよね。
風間ルミさんのチャンピオンベルトの歴史で、JWPジュニアだけではない面もあるからな。ユウ山崎さんがUWA世界女子ジュニア王座を奪取して凱旋したからね。そのベルトに風間ルミさんも奪取して2冠王にもなったりしていたよね。JWPジュニアUWA世界女子ジュニアコレがジャパン女子では定着したからね。因みに、神取忍選手はデビューして4カ月でメキシコの強豪のローラ・ゴンザレスさんからUWA世界女子王座を奪取したからね。なかなか
本当にねぇ、団体を引っ張る存在としての活躍はかなり凄かったよねぇ✨確かに。JWPジュニア王座を巡る試合はかなり盛り上がり、尾崎魔弓選手から勝利して返り咲いてからは、キューティー鈴木さんの挑戦なども受けていたよね。本当にグラドルの集まりって感じにもなっていたよね。そりゃね。ジャパン女子の存在が男性ファンが集まりやすい空気にもなっていたからね。
やっぱりねぇ、ここはねぇ、ライバルの出現は大きかったよね。いやぁ、マジで。ここでのライバルは⁉️尾崎魔弓選手。JWPジュニア王座を巡る対決はかなり熱かったよね。そこで尾崎魔弓選手に敗れたからな。悔しかったはずだろうね。GUREN隊に入って、頭角を現して一気に突き進んだチャンピオンベルトだからねぇ尾崎魔弓選手に負けたとはいえ、団体にとってはかなり強烈な活性化を果たしたからね。
不穏な団体の風をぶち破るかのような活躍をしていて、風間ルミさんがエースとして団体を牽引していたからね。そんな時に、チャンピオンベルトの設立が。JWPジュニア王座。ジャパン女子の場合は体重制限があり、60キロ以下の選手にしか権利がなかったからね。そのベルトの初代王座決定戦で風間ルミさんは勝利して見事に初代チャンピオンに。ここは本当に感慨深いモノがあったはずだよね。
コレはねぇ、1993年の全日本女子プロレスの横浜アリーナの大会をやる前に、コレをやったのってかなり画期的だったのではないのかなって思わされたよね。JWPの大会でこれが実現したんだよね。マジでな。JWPのデビル雅美選手と全日本女子プロレスのデビー・マレンコ選手がタッグを結成sたんだよね。確かね。かなり画期的だったし、衝撃が走ったんじゃないのかなって気もしたからね。最初の出来事なんだろうな。全日本女子プロレスのロッシー小川氏とJWPの山本雅俊
そりゃねぇ、JWPは爽やかってイメージができあがっていたのは確かなんだよね。けどさ、ソレはまとまっている面があったからでしょ⁉️イメージがかなり良くて、試合中はシビアでもソレが終わったら、居心地の良さがあったのかもね。上にいる選手が団体を良くしようと頑張り続けている。もっと大きな会場でできるように努力をする。そんな気持ちがあり、上の選手の期限の悪さでギスギスした空気を作らない。社会では当たり前の事をやっていたんだろうなって思わされてしま
やっぱりねぇ、この当時のJWPではねぇ、タッグの頂上対決に話題が。頂上対決の3番勝負だからね。尾崎魔弓&キューティー鈴木VSダイナマイト関西&デビル雅美団体内の盛り上がりはこちらがメインだったよね。間違いなくね。JWPタッグの初代チャンピオンチームの尾崎魔弓選手&キューティー鈴木選手の防衛がかなり順調でねぇもうここまで来たなら、ダイナマイト関西選手&デビル雅美選手以外には居なくなってしま
団体内の攻防だって激アツなJWPマットで、こちらのシングルも激アツでした。キューティー鈴木選手VSデビル雅美選手こちらのシングル対決は団体内を活性化させるだけでなく、タイトルマッチへの流れが含まれている攻防にまでなったからね。JWP認定タッグをめぐる争いへの始まりがこのシングルマッチであったのは確かでした。デビル雅美選手の勝利で、タッグ戦線がかなり盛り上がり、タッグの頂上対決へと繋がるのでした。この頃のJ
尾崎魔弓選手が井上貴子選手に勝った瞬間のJWPファンの大興奮は生半可じゃなかったよねぇようやく、ひとつの壁を乗り越えた喜びと、親孝行をした喜び。みんなで掴んだ勝利に誰もが大興奮にもなったよね。尾崎魔弓選手のお父様の遺影を掲げた瞬間の皆様の感激は永久に不滅だよね。その瞬間の喜びは尋常じゃなかった。
やはりねぇ、尾崎魔弓選手と井上貴子選手のライバル心を丸出しにした攻防などが激アツで、ファンの心をわしづかみにしたからね。同時にダイナマイト関西選手と堀田祐美子選手の出会いからここに至るまでの日々にも濃厚なストーリーがあるからね。だからこそ、譲れない感情を丸出しにしていたよね。そのコンビネーションも両チーム共に凄く、JWPはここで負けたらダメなんだって悲壮感が強かったのは確かなんだと思う。どこまでも激アツなライバル対決。ダイナマイト関西選手と堀田祐美
1993年1月15日東京の後楽園ホールJWPこの日の大会はやっぱり激アツだったよねぇメインイベントの対抗戦はマジで業界に響く試合で、ライバル心丸出しの攻防にもなったからね。JWPダイナマイト関西選手&尾崎魔弓選手VS全日本女子プロレス堀田祐美子選手&井上貴子選手本当にJWPの選手が悲願の勝利をここでやってやるんだと言う気持ちがかなり強かったよね。ソ
久々でごめんなさい。1993年1月の女子プロレスはやっぱり人気が高まっていたからね。本当にね。特に全日本女子プロレスとJWPは軸足になっていたよね。間違いなくね。本当にね。ここを中心に盛り上りを見せていたような気もしているよね。
今年もコロナ禍の中でこの日を迎えることとなった。そして今年は、今日という日に女子プロレスの興行が無かったので(自分調べ)、昨日のPURE-Jの道場での「プラムさんメモリアル」で追悼。それ自体は全然OKというより、むしろそうあるべき(笑)。奇しくもコロナ禍で命の大切さを多くの人が感じる場面が増えた。リングで死ねたら本望なんて言う選手が現れないよう、この日を絶対に忘れないでおこう。闘いが観たい、それが死合であったとしても、構わない。だけど、殺し合いを、そして死と隣り合わせの
わたしの初めてのタイトルマッチです。目を背けたくなるシーンが沢山あるし恥ずかしいのだけどwわたしの一生忘れない大事な闘い。当時のオンラインクーポン。リングシューズで蹴ってた。でも蹴り弱いし。。。あー!でも、でも。。中森華子15周年イヤーですし!選びました。黄色いコスチュームは、このタイトルマッチから着ました。立野記代さんからいただいたのをリメイクしました。タイトルマッチ、すごい緊張した。JWP入団から3ヶ月のことでした!メインでシングルも、2回?程しか経験がなく。JWPでは
寮生活、永島が言う様にJWPでも楽しかったよ。そりゃ辛い事もあったけど、過去になると忘れる(爆)食事は1階のダイニングルーム(30疊位あったかな?)で食べた。朝食と夕食の2食。昼飯なし。その辺は、どうやら相撲界の歴史が受け継がれていた様だった。って聞いた。でも相撲界はドカ食いだけどうちらはそんなに食べられなかったから練習終わると腹へっちゃってね。近所の小学校前にある安い鉄板焼屋さんで100円もんじゃとか練習終わりに皆でよく行った。食事当番は二人一組で回ってきた。作る人により、特徴
永島がね「そういえば昔(寮?)は毎日が修学旅行に来てるみたいで楽しかったな」(GAEAね)と言っていた。確かにそうだったかな?JWPの寮は当時3階建てのアパート?マンション?の2階部分4LDK?を使っていた。3階は3部屋あったけど、外部の人が住んでいたと思う。そのうち3階部分も全部屋使う様になり、一階は倉庫みたいになっていたけどそこを改装し、えらい広いダイニングルームになり3階ビルを丸々寮として使う事になった。今考えると豪勢だなあ。その頃ってまだJWPはバブル期だったのかな?試合