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昨日のACIM新潟で思ったことの記録~もし、目の前に不機嫌なイエスがいたとしたら・・・私だったらどうするか①自分が何かご機嫌を損ねることをしてしまったと思い自分を責めて、イエスの視界に入らないようにする②イエスのご機嫌が直るように精一杯ヨイショして期待に応えられるよう頑張る上の二つは今まで結構やっていたかも③不機嫌でいることを赦してそのままにしておくコースのテーマが「今のそのままで、あなたもわたしも完全な愛
今日はACIM新潟でした今回はACIM新潟を主催して下さるSAYOさんが神奈川から川上貢一さんをお招きして下さいましての開催でした新しい出会いもありましたし、コウさんがギリギリ最後にお話下さった不思議なお話もこのメンバーでの出会いが必然だった気がしますありがとうございました今回のテーマは『真に喜びに満ち溢れた日々を送るには』だったんですけど私のなかでの今回のテーマは『犠牲と贖罪』でした今年に入って特に思うのは、大分意識的になっては来たもののそれと知
ゲーリー・レナードの「神の使者」という本を金沢のスピ友さんに薦めて頂いて、ACIMを本格的に学んで実践しようと思ったのが2014年のことでしたちょうどその前年に加藤三代子さんの翻訳本のテキストが出たことでもあり、私は「内なる平安のための財団」公認版で学び始めたのですよそれで去年の今頃のことここ新潟で『奇跡講座』を通じて繋がる仲間が欲しいと願ったのですねそこで導かれたのがACIM新潟のお仲間さん達だったのですが・・・・実際のそのPartyは私が願
我が家には、夫の叔母の形見にもらった箏の琴と娘が小学生の時に購入した箏の琴の二面があるのですよ私自身は弾けませんけし、今は袋に仕舞ったままなんですけどねそれで琴と箏の違いって何だろう?と急に思い付きましてネット検索してましたら、こちら様のブログに辿り着きましたありがとうございますなるほど、私に向けた楽器と大衆に向けた楽器というわけですね私見ではありますが、音が霊の世界を垣間見せてくれるものとすれば琴は個と神々とを繋げる音で箏は大衆と霊
今日は言葉で表現すると、五里霧中の中を手探りで進んでいるような日でした聖霊に共にいてもらって、たくさん赦しをし赦されもした一日でもあったと思います最後は霧も晴れて軽やかな心持になって、赦し合える人たちのもとに帰る海の家にいた時は凄い豪雨でしたけど帰るころには雨もあがってましたしねいい一日でしたそしてこの世で何かを成し遂げることが目的ではなくて、何かをする過程での人との関わりが聖なる関係に
あらっま気付かぬうちに、庭の夏椿が咲いてましたあるがままの私を受け入れてくれるように見える花に癒されます何かに違和感、抵抗感を持つ時はまだ赦せていない何かが浮き上がってきた時なのでしょうか?昨日はACIM新潟でのお話会がありましたその時に世界の悲惨な出来事、悲しい出来事に対して一緒に祈りましょうといわれて・・・滅茶苦茶、抵抗感があった私何をどう祈ればいいのか分からない「
(写真は諏訪湖のほとりにあるオブジェです)防衛するなら攻撃されるこれを例えると、鏡に映っている自分の影が迫って来たと思い込んだ時「こんなもん、いら~ん」と打ち返してしまって打ち返した影が、打ち返した力に比例して鏡に反射し、勢いを増して自分に帰って来て超痛タタ的な感じ・・・そんなことを、私は嫌と言うほど繰り返していたんですよね~この間もACIM新潟で、それをしてしまったのですけれど・・・赦しを学ぶ仲
あはっ恐れも疑いもキャッチしたっていいんだよ~手放せるんだも~ん今日のACIM新潟でさやちゃんの口から出た言葉『勝手に光っているから』この言葉、「ド」ストライ~ク私があなたをどの様に見ようともあなた(の本質)は勝手に光ってるから~~~私が私をどの様に感じていようとも私(の本質)は勝手に光ってるから~~~さやちゃんの口から発せられた聖霊からの祝福のメッセージ