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2024-05-06㊊小雨19℃宇佐市森山麦秋の早朝ごみ拾いウォーキング530-600いつもより1時間ほど遅く出かけた。すっかり明るくなっていた培養土の袋1個拾った
麦秋(R06.05.05)黄金色に輝く麦の穂が揺れる。梅雨になるまでの短い麦の秋は、もうそこに来ている。収穫作業は天候に恵まれることが大切だ。遠くから皿ヶ嶺が「お花を見においで」と誘ってくる。この辺りの麦は裸麦が多い麦畑の中のポツンと野菜畑。頑張ってるでしょ?畔の雑草もいい感じだ晴れの日が続くと間もなく収穫が始まる。今年の出来は良さそうだが、勝負は収穫適期の天候次第だ。あいにく明日は天気が悪そう。様子を見ないといけない。収穫が始まれば豊かな麦畑は
麦秋です。秋、と付きますが初夏の季語。その物、蒼き衣を纏いて黄金の野に降り立つべし綺麗ですね〜。これ、全部ビールなんだぜ。こんな風景とは裏腹に、実家で苗床作り。家族でぼちぼち。和太鼓も原点は農業。ぼちぼちです。暑いので水分補給を忘れずに。【GWも365日出荷┃最短翌日お届け】VOX強炭酸水1L×15本送料無料世界最高レベルの炭酸充填量5.0炭酸水軟水日本の天然水ナチュラルミネラルウォーター選べる2種類ストレートレモンフレーバー無糖ゼロカロリー
雨の合間の『古羅漢』周辺に広がった束の間の光景黄金色に実った麦の穂が、より一層鮮やかな色合いに……そして、新緑染まる山肌にぽつぽつと浮かぶ黄檗(きはだ)色の彩……手前に広がる鮮やかな黄金色の麦畑山肌には、椎の花の黄檗色が雲のように彩っている。屏風を広げたような『古羅漢』(この右手に『羅漢寺』があります)その麓に広がるグリーンベルトは蕎麦畑。今月末には白い花を咲かせてまた違った季節感を醸しだしてくれま
糸島富士と呼ばれている可也山の前に広がる麦秋に沈む夕陽を撮影した。
今日は、一日曇り、夕方には雨になりました。一日家でゆっくり過ごしたシュメールです。朝ご飯です。牛丼の具がおかずでした。昨夜遅く、愛媛と高知で震度6弱の地震がありました。母が松山に住んでいます。ひとり暮らしでずいぶん心細いことだろうと思いましたが、昨夜はそのままに過ごし、今朝になってから電話しました。松山の震度は4くらいで、そんなに破壊的な地震ではないけど、怖かったよと言っていました。他にも松山在住の叔父や、蛍さんからも無事な連絡を受けました。でも、母は、地震よりもずいぶん引っか
今年も冷や麦始めました。麺はもちろん四日市の大矢知産。鈴鹿山脈の麓なので、冬は相当寒いのが幸いしているのでしょう、コシがあって美味。それに鈴鹿平野は麦畑がいっぱいです。そろそろ育ってきてあたりは緑一色。もうじき麦秋となります。「麦秋って何?」と聞いた人があったっけ(笑)。
エイプリルフールで笑った嘘は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう4月バカ、、とも言いますねーまんま、直訳ですね🤭エイプリルフール,万愚節罪のない嘘をついて良いとされる日。日本では「四月馬鹿」とも呼ばれる。その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフ
晴れのち曇り温かい春の日またも休日出勤のうえまずはユニフォームの洗濯そして書類とお勉強午後は掃除と書類の山の予定書類はお相撲を見ながらに今日からネスカフェ・エクセラインスタントコーヒーにさっと溶けて美味しい十分美味しい……3月16日半日超絶忙発熱外来7名,予約5名検査6名陽性2名B型インフルエンザ陽性1名心不全の80台男性近隣循環器内科へ発熱ないけど心陰影に重なる斑状影も疑われもしかしたら感染症か
2024年-令和6年3月12日シネ・ヌーヴォ昭和26年作品小津安二郎特集、本作品は20代で初めて観て、直ぐにお気に入りに成った作品、明るく、分かり易いドラマ展開だったからね。最初が82年5月に劇場、直ぐの7月にも劇場、そして13年4月が録画、最近は20年6月に劇場で観ています。今回の特集で小津監督が何を描きたかが少し分かって、本作品はどうだったかの確認で再見。父母と兄夫婦の子ども2人の家で暮らす妹紀子(原節子)は勤めているのですが、28才で周囲の者達は結婚の事を気遣っている状況だった。
2024年3月11日号秩父鉄道・電気機関車201号機のカラーの思い出重連でした麦秋の中を牽引しました東武東上線の70000系も牽引しました芝桜号です↑↓♦今日も見てくれてありがとう
10年余り前の写真をひっぱり出してきました。わが家から歩いて10分ほどのところに、この里はあります(わたしは「下郷(しもごう)の里」と勝手に名づけています)。2013.03.22下郷の里菜の花がいっぱい咲いています(CanonS100で撮影、以下同じ)。山のほうを見上げると桜も咲き始めました。2013.03.28よく見るとツクシ(土筆)も顔を出しています。2013.05.185月になると、菜の花が咲いていた一帯は、麦畑に生まれ変わりました。
もう2カ月程前のことだけれど、初めて小津安二郎監督作品を見た。『秋刀魚の味』『東京物語』『東京暮色』。その他にも色々教えてもらったりしたので、冬休みなどを利用していくつか鑑賞してみた。『遅くなっちゃったけど…11月に読んだ作品と観た映画』もう12月も終ろうとしている今頃…、先月11月に読んだ本をまとめまーす何読んだっけ、何見たっけと、ちょっとうろ覚えになってます…。読んだ本『『サド…ameblo.jp今回観たのは『彼岸花』『麦秋』『晩春』。伝統的な日本の家庭を描くと
12月26日、NHKBSプレミアムで映画「秋刀魚の味」が放送されてました。興味があったので早速みました。監督小津安二郎俳優笠智衆岩下志麻1962年松竹映画113分(内容)Wikipediaより抜粋「大手企業の重役として働いている平山周平は妻に先立たれ、長女の路子、次男の和夫と3人で暮らしている。ある年の秋、路子の上司で、周平の旧友でもある河合が周平と会い、婚期を迎えた路子への縁談を持ちかけるが、路子が家を去ることを恐れた周平は「まだそんなこと考えてないんだ」と聞き流す。しか
28歳独身女性の紀子(原節子)に舞い込んでくる縁談話から、同居する三世代の家族がそれぞれの思惑をこぼしていく。結婚の当事者の気持ちよりも家柄や体裁が幸せの条件だと決めつけてしまう因習、女性の忍耐が家庭円満の秘訣なのだというジェンダーハラスメントがこぼれてくる。小津安二郎監督の1951年製作作品。AmazonPrimeにて配信中。紀子は平穏な空気に潜む不条理な行く手に立ち向かう。そこに確信はない、直感かもしれぬが安易に同調しない信念が清々しい。幸せはつかみどころなく流動する。それでいいじ
小津安二郎監督が原節子主演で贈る「麦秋」(1951年)をご紹介します。"EarlySummer(1951)"Photobyjapanesefilmarchivesource:EarlySummer(1951)HiroshiNihon'yanagiandSetsukoHaraonthesetofEarlySummer麦秋[imdb]flic.kr(※今回はネタバレです。ご了承ください)舞台は北鎌倉。周吉(菅井一郎)と志げ(東
すっかり小津安二郎に凝ってしまい今度は「麦秋」です。「晩春」、「東京物語」、「麦秋」の演じた原節子の役名がすべて紀子で「紀子三部作」と呼ばれています。監督小津安二郎俳優原節子笠智衆松竹映画1951年124分内容(Wikipediaより抜粋)「北鎌倉に暮らす間宮家は、初老にさしかかった植物学者の周吉とその妻・志げ、長男で都内の病院に勤める医師の康一、康一の妻・史子、康一と史子の幼い息子たち2人、それに長女で会社員の紀子という3世代同居家族である。まだ独身の紀子は、親友のアヤ
ひねくれ日記今年のクリスマスは小津安二郎監督作品を観ました。「麦秋」「宗方姉妹」静かに家族の風景を映していく。その良さを語れるほど私には映画の知識はない。1950年の鎌倉の景色、海沿いの当時の134号線。「ショートケーキ買ってきたの食べましょう」と言って出て来たケーキがホールケーキショートケーキの語源はなんだろう?検索するとshorteninngのショートだと出て来た。(諸説あるだろうが)劇中でホールケーキの値段を¥900と言っていた。またまた検索すると1950年の
NHKでの放送予定は最後に松竹東急でも特集があります毎日のように映画を見ている。家から出られない事もあり、また、最近は体が思う様に動かないほどの痛みもあり、パソコンに向かうかテレビを見るというのが日課になっている。配信映像を、自由に見られるようになっているから、邦画を中心に、見たい映画を探して見る。そんな中、今までは見る事のなかった、1940年代から1950年代にかけての、さすらいが、生まれる前、生まれた直後の映画を見ている。勿論、殆どが白黒映画で、画像が良くないものもあるが、
小津安二郎監督の生誕120年記念。サイレント時代の作品をリメイク。小津安二郎監督のことは、もちろん、「東京物語」など原節子さんの作品で知ったのですが、それから、監督の作品が放送されたり、企画もので映画館で上映されたときには観に行ったりしてきました。サスペンスでも、ホラーでも、SFでもないけど、それ以上にワクワクするし、そして、普通に幸せに生きていきたいだけの人間の真の姿の、美しさ、こっけいさ、かわいさ、現実のきびしさ、無意識のこわさ、など、いろんな感情、感動を得られる作品が多いのです。
ひとつ前の当ブログで、のちの名キャメラマン・川又昂さんがまだ撮影助手の頃、小津安二郎監督の組につき、『麦秋』(1951小津安二郎監督)にしごかれ、その2年後には『東京物語』(1953小津安二郎監督)で褒められたというエピソードを書きました。「徒弟制度」のように撮影所の技術が厳しくも、後輩に受け継がれていた時代の話です。その川又昂さんは2019年10月5日に93歳でお亡くなりになりました。昭和20年の4月に松竹大船撮影所に入社、撮影助手としてギリギリ「戦前」の映画現場を知っている方です。そし
ひとつ前の当ブログで、今村昌平監督が松竹時代、『東京物語』(1953小津安二郎監督)に助監督としてついているときに、小津監督の自分の映画のためにはいかに「非情」になれるものかと思ったエピソードを書きました。今村助監督同様、のちに名キャメラマンになる川又昂さんも「小津組」の撮影助手についていて、小津監督にしごかれました。名作『麦秋』(1951小津安二郎監督)で、撮影助手のチーフだった川又昂さん、移動撮影のための台車を押す仕事を命じられます。元々、パンもズームも少ない「不動」のキャメラで知ら
3つ前の当ブログで、今村昌平監督の鬼演出について書きました。『復讐するは我にあり』(1979今村昌平監督)では実際に殺人が行われたアパートの部屋で撮影したり、『にっぽん昆虫記』(1963今村昌平監督)では北村和夫さんがあやうく底なし沼に沈むところでした。その今村昌平さんに「監督とは何と非情な人種」なんだと思わせた人物がいます。それは何と、小津安二郎監督です。今村昌平監督は日活で『盗まれた欲情』(1958今村昌平監督)によって監督デビューしましたが、元々は松竹で助監督をしていて日活に移籍し
20231018夜忘れられない日本映画小津安二郎監督「麦秋」をめぐって映画の映像、音源等は、使っておりません。チャンネル登録といいねをぜひお願いします。↓をタップして下さい。小津安二郎監督「麦秋」(1951年)をめぐって(映画の音源、映像等は、使っておりません。)2023年10月18日藤谷蓮次郎・製作#小津安二郎#麦秋#野田高梧#厚田雄春#笠智衆#原節子youtu.be藤谷蓮次郎2023年10月18日
9月5日は原節子の没後8周年でした。(1920年6月17日生誕-2015年9月5日死去)それを記念して原節子の作品を紹介しています。『麥秋』(1951)監督小津安二郎撮影厚田雄春共演笠智衆、淡島千景、三宅邦子、菅井一郎【あらすじ】間宮家全員の目下の気がかりは、28歳を迎えた末娘の紀子のことだった。会社務めで独身生活を謳歌する紀子に結婚の意思はあるのだろうか。また、結婚というものをどう考えているのか。そんな時、紀子の会社の上司からの縁談話が持ち上がる。家族の
小津安二郎監督の生誕120年なんですね。明治36年(1903)12月12日、東京深川生まれ。小津安二郎監督の記念館や資料館は、全国にいくつもあるようです。9歳から19歳までの青春を過ごしたここ・松阪の地にも「小津安二郎松阪記念館」があります。2021年4月オープン。場所は、松阪城跡の一角。松阪市歴史民俗資料館の2階です。小津安二郎松阪記念館のことは、実は、1年前に、飯高町(合併により今は松阪市)の「小津安二郎資料室」を訪ねたときに知りました。このときのブログを最後にのせ
この間の土曜日の朝日新聞の読書欄に小津安二郎に関する本の書評が載っていて、それを読んでいたら「紀子三部作」という言葉が出て来て、「それは何ぞや?」とネットで調べてみたら「晩春」(1949年)「麦秋」(1951年)「東京物語」(1953年)をそう呼ぶみたいです。モチロン、これらの作品は全て見たことがあるのだけど、もう一度見てみようと思い、おととい「晩春」を、きのう「麦秋」を見る(「東京物語」は何度も見ているので今回は見ず)。幸い、有料ではあるけれどリマスター版が見れて、とても鮮明でキレ
【雑感】麦秋おはようございます7月1日土曜日天気雨気温23℃/20℃麦の刈り取りの季節を迎えたので刈り取り前に写真を撮らせてもらおうと麦畑へ風で倒れてしまったんだな…なんて、思っていたらひどく倒れている真ん中に向かってなにかが歩いた道がたくさんこれは………これは…熊の仕業熊は食事をするとき、ちゃんと座ってするそうでそれもお尻が汚れるのを嫌うのか、草木を敷いて座るのだとか麦を押し倒してお尻に敷いて長い時間、ここで食事を楽しんだようです熊避けの鈴はいつ