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思いでリブログ(懐かしい記事編)コーナーです。懐かしい過去記事をもう一度・・・きまぐれ投稿です(-。-)y-゜゜゜今日はこどもの日こんな老いぼれ爺でも子どもの頃があったんですよ。皆さん、想像つかないでしょう(笑)1960年代初期の高度経済成長期でした。2023年5月6日の記事より鯉のぼりがいっぱい泳いでいます。ここ杖立温泉(熊本県阿蘇郡小国町)では、毎年4月からゴールデンウィークにかけて、
このところの当ブログで、小林旭さんをスターダムに押し上げた『渡り鳥』シリーズ(1959~1962斎藤武市監督ほか)のきっかけとなった『南国土佐を後にして』(1959斎藤武市監督)について書いています。ペギー葉山さんによって歌われた「南国土佐を後にして」をフィーチャーした歌謡映画です。その「南国土佐を後にして」という曲、元々は、戦争中に中国戦線で従軍していた土佐出身の兵隊さんたちが作り、唄われていたもので、原曲は♪南国土佐を後にして~戦地へ来てから幾年ぞ~だったようです。「戦地」を「都」に
いつの時代に生まれたかによって、豊かさの感覚は異なります。比較する年代が違うからです。最近のGDPを比較して『日本は貧しくなった』というコメントをよく目にします。しかし、私は『日本は豊かになった』と感じます。私の子供時代、お店に冷暖房設備はありません。冬でもストーブ一台。お店の照明はお客さんが来たら点けます。道路は未舗装。地方は砂利道。轍ででこぼこになれば、大型重機が地面を削り、平らにします。各家庭からの生活排水で川は泡立ち、魚の死骸が浮かび、都会では光化学スモッグが充満します。交通
東海道新幹線、今年開業60周年を迎えるようですYouTubeで紹介されていましたが、開業当時の車内にあった、軽食などが頂けるビュッフェ車の雰囲気がとても良さそう。行ってみたかったなぁ。今回の旅行では、スマートEXを利用してチケット予約をして、近くの駅で発券を行いました。乗車券とワンセットになったチケットで、直前購入でしたが、まあまあお得な料金でした。最近みどりの窓口がどんどん閉鎖されているようですネットが主流となり、どんどんペーパーレスが進んでいますが…対面で聞ける場所はある程度必要か
父は新潟出身で、高校卒業後に神奈川に出てきました。長男ではないので、昔のことですし、戻るところはない覚悟で働いていたのだと思います。もともと父の実家は商売をしており裕福な家でしたが、父の父(私の祖父)がお金を使い込み、経済的に苦しくなってしまったそうです。実家からは何の援助もなく、何のつてもなくコネもなく、ひたすら地道に働き続けて、家を買いました。贅沢もせず、コツコツ働き、ローンも完済し。家では仕事の愚痴も疲れも一切口にはせず。昭和から平成の日本を支えてくれた、素晴らしい
幸運なことに13年前の東日本大震災の時の計画停電の際はオイラの住んでた地域は停電を免れたんだよね。(食料難民だったけど。)そう考えると人は人生において4回ぐらい引っ越しを経験するって誰かが言ってた気がするがおいら、これまで生まれてからの引っ越し回数15回独り暮らしになってからも11回と、かなり回数が多くいわゆる引っ越し貧乏(笑)風呂なし四畳半の時もボロアパートの時も人並みに家電があった時もブレーカーを落として停電した記憶がない。んで、天災による
岡山に住んでいる92歳の伯母はいわゆる昭和の専業主婦だ。夫は熱血サラリーマンで高度経済成長期の日本を支えてきた。同じ年の従姉妹がいたので子どもの頃よく遊びに行った。夜遅く帰って来る伯父はいつも酔っ払っていて伯母にちょっかいを出すのだが伯母は「はいはい」と笑顔であしらう。それはそれで素敵だなぁと思っていた。最近身体を壊し入院していた伯母は従姉妹(娘)に電話で「これから伝えるから遺書をメモして」と言ったそうだ。死を覚悟していたのだろう。従姉妹も辛かったと
前面のソフビ人形は、かつて諏訪地方にあった、ヤシカというカメラメーカーのマスコット「ヤシカ坊や」。左後ろの開かれた本に写っている写真は縄文土偶であります。山形県で出土した「縄文の女神」、国宝です。最近、縄文土偶ガイドブックという本を読んでいて、口絵に紹介された縄文土偶の、おそろしくシャープで大胆な造形力にホトホト感動しております。特にこの山形の縄文の女神たるや、アール・デコを思わせるデザインで、一体、これを作った何千年も前の縄文人は、どんな人間であろうかと、少しばかりの戦慄さえ覚えながら考えてい
こんにちは心理ライフデザイナー☆Yunoです昨日は父への思いについてこんな記事を書きました。↓↓↓『父への思い』こんにちは心理ライフデザイナー☆Yunoです昨日のブログでもお伝えしたけれど今回の3連休は息子(小1)と2人で実家へお泊まりしてきたのでね、…ameblo.jpそして今日いよいよ本題に入っていくのだけど、昨日の記事の冒頭でもお伝えしたとおり今回、父の高校時代の話をお伝えするにあたって
ジョー自分の知らない世界を見せてくれるクールガイこの動画のポイントは...日本にこんな場所があったのか。今日は最近オススメ動画で流れてきて見てみたら面白かったYouTube動画をご紹介したいと思います。軍艦島が大好きな私。崩れる前に見に行きたいけど、行けるかわからないよなぁと思っていたら「池島」という島があることを知りました日本の高度経済成長期にでき、人がいなくなった島の末路。自然の力ってやはり強し!と思うけど、少し人が住んでおられるのがまた味があるというかどうにもできない場所がこ
周りで誕生日の方が続いていてプレゼントを買いに行ったり、ネットで頼んだり色々と吟味して楽しい数ヶ月が続いております🌸その人のこと考えながら、喜ぶ顔を想像しながら選ぶのがいつも楽しい。会えたら渡そうと企んでる人が何人もいる。笑あえてまだおめでとう言わずにいたりする人も。。驚かせたい🥳(ここには書いてるけど笑)誕生日に限ったことじゃないけど贈り物は楽しいし、貰う側の時は嬉しすぎるし申し訳なさすぎて体がはち切れそうになる。笑えぇ!いいんですか!?えっ!私に!??えぇ!?みたいな(うるさい
ホントは別のネタを出す予定だったんですが「テレ東・タクシー旅」観てたら書き出しが遅くなっちゃって正直な話、今回は完全な手抜きです。というのも読んでいただけると一目瞭然ですが、丸々コピペ引用を貼っただけですので。毎日一応チェックしている「ゴー宣ネット道場」、旧ジャニーズ擁護派に回ってからイマイチ同意できる書き込みも少なくなってきてたのが、久々に膝を打つくらいの感銘を受けたコラムがありましたので、是非とも読んでいただきたく丸引用です。ネタ元:日本の宿命から逃げることができた時代↑をクリ
新しい世代はどんなかしらん…まだ見ぬ世には幾ばくかの光が感じれば良いな世の無情さには辟易してきたここ数年の我慢は私達を強くしたわね…,,,,現世の肉体の美と虚栄の儚さ…人間には誰しも期限があったと知らされる誰もが憧れた人々も空に登り人生の頂点を極めても瞬間なんだよね~…💧歴史で習ってても実感したのはつい、最近の事,,,,諸行無常を知った…古来からの言葉を身体で知る私にもやがて同じ階段を登り『老い』が来る事を…それは恥ずかしい事では無いわ,,,,笑っ
9月18日(月)、今年17冊目となる『事件』(大岡昇平。新保博久解説。創元推理文庫)読了右の表紙画像は、WOWOWでドラマ化、放送・配信されたことで宣伝用の意もあって作られたカバー。一九六一年夏、神奈川県の山林で刺殺体が発見される。被害者は地元で飲食店を経営する若い女性。翌日、十九歳の少年が殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕された。――最初は、ありふれた殺人のように思われた。しかし、公判が進むにつれて、法廷で意外な事実が明らかになっていく。戦後日本文学の重鎮が圧倒的な筆致で描写して、第三十一回
やっぱりなぁ、1973年の世相は、高度経済成長期の終りが見えたこと。コレに尽きる。時代の流れが変わりつつあったこと。ソレは色々と見据えていくとそうなる。その辺なども井上陽水さんのアルバムが大ヒットした土壌などにまつわる話にまで及ぶかなって。
11.サンフレックスⅠ~Ⅵ型サンフレックスはⅥから分かるように多くの型がある。にも関わらず製造元が分からないのだからこの類のカメラの調査は物凄いダルい。ネットにある様々な個体から型の特徴を捉えてみたが、余りアテにしないで見て頂きたい。SUNFLEXⅠ(存在しない機種)SUNFLEXⅡ(存在しない機種)SUNFLEXⅢ(存在しない機種)SUNFLEXⅣELNORANASTIGMAT75mmF3.5/NKS-SC(B.1~1/200)/赤窓番号式SUNFLE
10.昭和30年頃の二眼レフ日本カメラ工業史(日本写真機工業会)を読んでみると、昭和30年頃のカメラの国内状況が分かる記述があったので抜粋する。「昭和30年は、世界経済が戦後最高の活況を呈した年であり、欧米先進諸国では、自動車、家電製品等の耐久消費財の需要が増大し、設備投資が活発化し、わが国でも設備近代化のための投資が盛んとなり、30年産米が大豊作となったこともあって、消費需要が拡大、30年代から32年前半までわが国経済は市場空前といわれる活況を呈し、世上これを「神武景気」と呼んだ。
2023年-令和5年11月27日シネ・ヌーヴォ昭和36年作品本作品は16年8月に録画で観ていて、記録を読み返しても酷い作品だとは分かっていますが、そんな中で芦川いづみが、どうだったのかの確認で足を運びました。彼女は他の作品と同様に、役はそつなくこなしていますね。日本の高度経済成長期、実質日本映画黄金期だった、この頃の海外ロケで外国人のセリフが字幕では無く日本語吹替と言う作品を数本観ていますが、このパターンは頂けませんね!作品は海外ロケが先に決まり、後付けでストーリーを考えた感が有って、
国民をパニックにして洗脳するのが自民党の得意技なんだから。これは高度経済成長期を終わらせた原因でもあるからね。政治がパニックを招くことをやりまくる。きちんとした説明をしない癖もまだまだ続いている。ダメでしょ?
おはようございます。すごいスローペースで読み進める真田純子著『風景をつくるごはん』今の過疎化は高度経済成長期に原因がある。そんなことがうすらぼんやりわかってきました。そりゃそうですよね。都市部に何しろ人手がいる。集団疎開なんて言葉もできたほど、地方からひとを呼ぶことになりました。そして、農村部は人手が取られる。ひとの増えた都市部は、食糧を供給してもらわないと困る都市部の需要に合わせた、安価で大量生産に向いた農産物の必要性が生まれる昔ながらの小農家ではなく、それに対応できる大農家
札幌ファミケアプリズム翠吉田綾子です先見の明先日とある場でそんな話になりました。将来を見通す力や見識の力量等と言います。先を見通して、時代を先取りするというような事ですが、その『先見の明』を見通すことで、事業がうまくいったという話はよく聞きます。高齢者施設で働いていた時、札幌でも有名で、大きな会社の会長さんがいらっしゃっていました。当時は息子さんに経営を明け渡して、ご自身は会長と言う名前だけの役職で、認知症になった奥様の介
8.試作した月「昭和26年10月からモンテ35の設計に入ったが、試作段階ではNKSのシャッターを使ったが、量産型からはハイレマンの処から入れるため、西宮のハイレマン工場に行った。その頃ハイレマンの工場ではストーブを造っていた。モンテ35B(社内での呼称)型用のシャッターだったが、取り付けてみたが調子が悪く、その調整に手間がかかり少量で打ち切った。茶谷さんのものにした後、自社生産に切り替えた。」原文ママモンテ35の試作は10月以降に行われている。あの紙切れにあった映画の封切も5月末辺
与党自民党の思惑・・・。日本維新の会への貸し作り・・・。あの時国が面倒見てやっただろう!損得勘定・・・。この決定(大阪万博の費用増大に対して国が面倒みるという)はそういうことでしょう・・・。日本維新の会は自民党に借りを作ったとういこと・・・。大阪万博なんて、そもそもどうなの?って話でして・・・。高度経済成長期での大阪万博とこの低経済での大阪万博、どう考えたって・・・。万博景気なんて期待するのがお馬鹿・・・。国内消費が冷え込んでいるのに、大阪万博に何を期待する
おはようございます。なかなか情報量が多くて読み進められない、この本。そもそも、日本の農業が弱いとか弱くなってしまったのは高度経済成長期に、大都市圏への労働力が必要で人手を都市部に取られたせいであります。→大都市を活かす為には、効率の良い安価に生み出せる食糧(野菜、穀物)が必要→加えて人手が足りないので作業効率のよい真四角の平たい田んぼが誕生(本来はあぜ道のうねるいびつな田んぼが日本の田んぼ)→大農家に集約(大きな農業)という流れ。加えて、都市部の需要と価格に左右される一方的な関
10月26日(木)、「ハナ肇とクレージーキャッツ」の一員であった犬塚弘さんが亡くなったそうです。コミックバンドで活躍された後、主に俳優とされて活躍されました。誠実で人の良さそうなところがにじみ出ている、そんなキャラの人物をよく演じていたように思います。追悼の意味で、似顔絵を描いてみました。高齢になってからの犬塚さんは眼鏡をかけていたようです。しかし、私の中での犬塚さんは、「ハナ肇とクレージーキャッツ」として活躍された当時の印象が強いです。だから、眼鏡をかけていません。参考画像としてこ
1番人口の多い世代、高度経済成長期にバリバリ働いて稼ぎまくってた世代がこれから平均寿命を超えて寿命を迎えていく時代だからね
老後を迎えた人がシニアとしての役割を果たせていれば全く問題ありません。ただ、高齢社会が進む日本では、いまや5人に1人が70歳以上。多くの職場では定年制があるため、シニアが実力を発揮する機会が減っているのが問題だと考えています。再雇用されても、個人の意思とは関係なく、仕事内容や役割が変わってしまう場合もあります。高度経済成長期には、若手に就労の機会を与えるために定年制が有効だった面があったかもしれません。ですが、縮小傾向が進む現在は、定年制は労働者不足を加速するだけでメリットが
格差と言うもの今は確実に生じている正社員非正規中間層非課税世帯強いて言えば時給の割といい非正規依然低い時給の非正規生活保護のことを言えば更に細分化されてーーーその昔当時の総理が貧乏人は麦飯を食っていろと発言したことがあった問題発言ではあったがそれは名言でもあったなぜならそれを或る意味ユーモアで受け入れる国民の感覚があった高度経済成長期の世の中でありながら人たちの心はまだ大らかだった謂わば貧しくてもまだ
§2.沖縄学習編その5.ウルトラマンの行方①ウルトラマンと沖縄以下は沖縄Plus「沖縄とウルトラマン!?その関係と謎に迫った!」(投稿日:2017年10月23日)よりカッパが抜粋して多少、加筆・修正のうえ、これまでに引用してきた文章をご紹介いたします。・ウルトラマン沖縄と言えば?と聞かれると皆さんは何をイメージするでしょうか?おそらく青い海、青い空、南国沖縄をイメージする方が多いと思います。意外な事に沖縄と「ウルトラマン」の関係が深い事はご存じでしょうか?沖縄とい
DiapetCORONAMARKⅡHARDTOPS=1/40【実車】初代コロナ・マークⅡ。高度経済成長真っ只中の1968年の発売。『中流のちょっと上でありたい』と願う、日本人の大多数の心理を突いた絶妙のポジションの車。当時のオヤジ世代は、ローン(月賦って言ってたっけ?)を無理して組んででも、手に届く夢として、頑張って買ったものでした。↓実車のCM【ミニカー】ダイヤペット製。肉厚のボディとか、バリの多さとか、実車のスマートさを上手く再