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先週金曜日。仕事を終えてから、大阪は難波のライブハウスで開催の、小泉今日子さんのユニット『黒猫同盟』のライブに1人参加。昭和の時代にはキャバレーだったという味園ユニバース。初めて来ました。昭和の香りがプンプン入場の時に、チケットとは別に現金700円でドリンクチケットを買って中でドリンクと交換するのに、入場後着席して気づけばドリンクチケットが失くなっていて(落としたんだろうな)残念無念。歳とるとこういう失敗が増えますな入場前に、晩御飯も兼ねて飲み屋さんで一杯🍺飲んで来ておいて良かった
かんちゃん気ままにつぶやく最後までお付き合いお願いします2024年4月7日藤原宮跡へ行ってきました皆さんは藤原宮跡をご存じでしょうか。このブログを読むと次のことが分かります。1:藤原宮の古代と現在の位置関係が分かる。2:藤原京資料室のことが分かる。藤原宮跡は、奈良県のほぼ中央の橿原市にあります。藤原京は、奈良時代、平城京の前にあった古(いにしえ)の都で、694年から710年までの16年間、天武天皇(てんむ)が都の
春の藤原京跡。大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)を望めるええとこに都がおかれたもんです。上段後方に香具山下段菜の花畑の先は耳成山https://kashihara-kanko.or.jp/about/fujiwarakyo.php藤原京奈良県橿原市の藤原京についてご紹介します。kashihara-kanko.or.jp
◯2022年12月19日、奈良県橿原市に存在する大和三山を歩いて来た。今回で、八回目の大和三山周遊である。日本では、古来、次の山々を大和三山と呼び称している。畝傍山(199.2m)香具山(152.4m)耳成山(139.7m)◯大和三山は、有名で、よく知られた山々である。ただ、それが何故、どういう理由で有名なのかを理解している人は、意外に少ない。そんな気がしてならない。◯大和三山を、最も詳しく、何度も記録している書物は、実は「万葉集」なのである。私見によれば、「万葉集」には香
◯『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』は、橿原神宮前駅を出発し、橿原神宮へ参詣した後、まず最初に畝傍山へ登った後、畝傍山口神社の方へ下る。それから神武天皇陵を経て、畝傍御陵前駅を通って、香具山へと向かう。◯橿原神宮前駅から畝傍山山頂までが2335m、香具山山頂で、8191mとあるから、畝傍山から香具山までは、5856mだと言うことになる。もちろん、直線距離ではなくて、歩いた距離数になる。◯その後、藤原宮大極殿跡を経て、耳成山へと向かう。耳成山山頂で、12642mとあるから、香具山から耳
◯前回、ブログの冒頭に、次のように書いた。・今回の大和三山周遊で参考とした『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から畝傍山山頂までが2335m、次に香具山山頂までが8191mとある。つまり、畝傍山山頂から香具山山頂までは、5856m歩いて来たことになる。◯『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』によれば、香具山山頂が8191mであるのに対して、耳成山山頂は12642mとある。したがって、香具山から耳成山までは4451mもあることになる。歩いて
◯今回の大和三山周遊で参考とした『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から畝傍山山頂までが2335m、次に香具山山頂までが8191mとある。つまり、畝傍山山頂から香具山山頂までは、5856m歩いて来たことになる。◯ただ、当古代文化研究所では、『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』をそのまま踏襲しているわけではない。見るべきものが違うので、別ルートを歩いている。しかし、おおよそ、『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』の距離数に近いので、それを参考に案内している。
◯畝尾坐健土安神社の前には、『八釣山地蔵尊:興福寺』が存在した。インターネットで検索すると次のページがヒットした。興福寺(八釣山地蔵尊)585年に、物部守屋(もののべのもりや)が仏法を嫌い、飛鳥の「橘寺」(たちばなでら)に火を放って焼いたとき、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山(かぐやま)の頂上に逃れて行き、それを知った聖徳太子が香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったと言われています。また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう御夢想の名灸があり、リウマチや神経痛などに
◯ウィキペディアフリー百科事典には、天香山神社について、次のように載せていた。天香山神社天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は、奈良県橿原市にある神社である。天香久山北麓に鎮座している。畝尾都多本神社・坂門神社(天岩戸神社)・畝尾坐健土安神社とともに、「天香山坐四處神社」と呼ばれている。◯つまり、畝尾坐健土安神社は「天香山坐四處神社」の一社だと言うことになる。インターネット検索すると、畝尾坐健土安神社のホームページがヒットした。畝尾坐健土安(うね
○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。つまり、最も大和三山を記録して書物が「万葉集」だと言うことになる。そういう肝心のことを多くの方は理解していない。◯そのことについて、これまで、当古代文化研究所は、何度も案内している。その中の一つを案内されば、次のようになる。・テーマ「大和三山」:ブログ『万葉集が記録する大和三山』◯香久山西側登山口には、舒明天皇の次の歌碑が存在した。天皇、香具山に登りて国を望み給ふ時の御製歌大和に
◯香具山の西麓から香具山に登り、山頂で国常立神社に拝した後、下りは北への道を下りて行った。もっとも、香具山は何とも小高い丘に過ぎない。50mほどしか上下しない。すぐに下ることができる。◯そう思って、下って行ったところ、案内標識に黄色い注意書きが貼ってあって、現在、登山道は工事中で、通行止めとあって、焦った。ここまで来て、今更、引き返すのも、大変である。◯それに、麓の天香山神社までは、もう2、30mほどしかない。見えているくらい近い。山の中を巻いて行けば、登山道を通らなくても行けるはずである。
◯香具山山頂に立ったのは、2022年12月19日の12時15分だった。近鉄の橿原神宮前駅を出立したのが8時35分だったから、ここまで、3時間40分を費やしていることが判る。まずまず順調な行程である。少し寒いくらいの気温が却って心地良かった。◯ブログ『香具山』から、少し話が逸れて、ブログ『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』、『邪馬台国は何処か』、『そらみつ・しきしまの・あきつしま』と、大和三山がどういう山であるか、あるいは、大和地名がどういうものであるかについて、言
みくるです『なぞりがき万葉集』をなぞりました。なぞりがき万葉集―いにしえの草花の歌―(ユーキャンのおうち時間シリーズ)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}夏の草花より「カンゾウ」を詠んだ大伴旅人の歌です。忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため巻3-334大伴旅人忘れ草をわたしの下紐に付ける。香具山の古い京を忘れるため。太宰府の長官として筑紫に赴任していた旅人の望郷の歌です。忘れ草を身に付けると悲しいことや辛いことが忘
◯前回、ブログ『邪馬台国は何処か』を書いて、邪馬台国三山が存在するところが邪馬台国だと言う話をした。ちなみに、邪馬台国三山とは、次の山々を指す。うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m)みみなしやま=開聞岳(924m)◯この邪馬台国三山のレプリカが、奈良県橿原市に存在する大和三山だと言うことになる。畝傍山(199m)香具山(152m)耳成山(139m)◯前回のブログの最後に、こう書いた。・その邪馬台国には大きな山が三つ存在する。
◯畝傍山から香具山に辿り着いて、ブログ『香具山:西側登山口』から、『香具山』、『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』とあらぬ方向に向かっていると思われるかもしれない。しかし、もともと、邪馬台国三山の検証のために訪れたのが大和三山なのだから、この方向は、あながち、間違っているわけでも無い。◯ここまで来たら、どうしても『邪馬台国は何処か』と言う話に触れない訳にはいかない。多くの方々が、邪馬台国が畿内だとか、北九州だとか、佐賀吉野ケ里だとか、おっしゃって、枚挙にいとまがな
◯前回のブログ『天降り付く天の香具山』の最後に、こう書いた。・ただ、大和三山が二つもあっては、何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所では、本物の大和三山を、邪馬台国三山と呼び称している。もちろん、そこに邪馬台国が存在したと「三国志」が記録しているからである。次回は、そういう話をしたい。◯日本の三世紀の状況を、中国の正史「三国志」が1986字も記録している。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」が八世紀のものであることを考えると、500年も古い。当然、「三国志
◯香具山に掛かる枕詞があるのをご存知だろうか。それが枕詞「天降り付く」になる。前回の最後に、こういうふうに書いた。・おまけに、香具山にだけ、「天の」と言う美称が冠せられる。それがどうしてか。大野晋の岩波古語辞典にしたところで、次のように説明しているに過ぎない。天降りつく[枕詞]香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。「天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば」(万葉二五七)・こんな説明では小学生だって納得しない。香具山には、
◯前回、ブログ『香具山』を書いて、大和三山の順序が、畝傍山・香具山・耳成山であることを案内した。それを国(文部科学省・文化庁)が、香具山・畝傍山・耳成山と並べていることが誤りであることを述べた。◯なぜなら、日本で、畝傍山以上の山は存在しないからである。日本で最も神聖な山が畝傍山なのである。そのことは、「古事記」や「日本書紀」を真面目に読めば判る。◯ただ、残念なことに、誰も真面目に「古事記」や「日本書紀」を読もうとしない。その証拠に、天孫降臨の世界山が何処であるかすら、規定でき
◯参考までに。畝傍山に付いては、次のブログを書いた。・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『畝傍山』◯ちなみに、橿原市のホームページが案内する香具山は、次の通り。香具山平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。標高152.4メートル。万葉集では「天香具山」(あまのかぐやま)と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。山塊は、
◯2022年12月19日、朝8時30分に近鉄橿原神宮前駅を出立し、橿原神宮参詣後、畝傍山山頂に立ったのが9時30分ころだった。その後、山を下りて、神武天皇陵へと向かう。10時15分ころに、神武天皇の御陵に参拝を済ませている。◯畝傍御陵前駅を抜けて、国道169号線に出たところで、餃子の王将を見付け、10時30分と、少々、早いけれども、昼食を取った。それから先では、昼食が取れるところが無いと判断したからである。また、朝から歩き詰めで疲れても居た。◯その後、本薬師寺跡や飛鳥川、藤原京朱雀大路跡、藤
◯前回、ブログ『畝尾都多本神社』を書いて、すでに、散々、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を難じている。それなのに、改めて、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を書くとなると、気の毒と言うしかない。◯しかし、どう考えても、香具山の麓、畝尾都多本神社の隣に、ああいう建物を建てたこと自体がまずかった。現在、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』が存在するところは、大和三山の玄関先なのである。そういうところに、あんな近代的な建物はふさわしくない。当古代文化研究所は、これまで、8回、大和三山に登ってい
◯畝傍山から香具山までは、およそ3kmくらいある。道は平坦だが、途中、道路が狭い部分があったりするので、歩くには注意が必要である。近鉄の『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』では、飛鳥川沿いに、東へ行くようになっているが、当古代文化研究所では、毎回、藤原京朱雀大路や藤原宮跡などを経由するルートを選んで歩いている。◯このルートでは、香具山の西麓に突き当たるようになっている。そこに奈良文化財研究所飛鳥資料館が建っている。毎回、ここを通るたびに、寂しい気にさせられる。こんな古代の文化財の只中に、こん
◯畝傍山から香具山に至る道は、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、3280mほどである。それなのに、これまで、ブログ『畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)』、『奈良県立橿原考古学研究所附属博物館』、『餃子の王将で昼食』、『本薬師寺跡』、『飛鳥川・新河原橋』、『藤原京朱雀大路跡』、『藤原の古りにし里の秋萩は』、『池田源太「大和三山」』と続けて来ていて、なかなか先に進まない。◯それだけ、ここには、文化があると言うことなのだろう。どうしても、避けて通れないもののみを書いて
◯池田源太著「大和三山」と言う本がある。学生社から昭和47年(1972年)に発刊された本で、「大和三山」を案内する本としては、今でも、最高の史料ではないか。随分前に、古書店で手に入れ、愛読している。◯その池田源太著「大和三山」のまえがきに、次の文章がある。そのうち、私は、橿原発掘を主宰していた末永雅雄さんの勧めで、橿原調査報告の、文献の部を担当することとなり、さらにまた、どうしてめぐり合わせか、橿原文庫に転出することとなった。そして、偶然にも、藤原京址に近い旧鴨公村別所の古
◯畝傍山から香具山へと向かう。途中に、本薬師寺跡を見て、更に東へ進むと、小さな橋に出会う。それが新河原橋で、流れる川の名は、飛鳥川だった。前回、その『飛鳥川・新河原橋』について書いた。◯『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』は、この『飛鳥川・新河原橋』から飛鳥川沿いに東へ行くが、当古代文化研究所は、そのまま、飛騨町の方へ真っ直ぐ北上する。これまで、7回、大和三山を訪れているが、基本、同じルートで歩いている。◯新河原橋から300mほど、北上すると、別所町へ行く道にぶつかる。それをそのまま突きっ
さて…今日は、どんな話をしようかな…🙂オーストリア🇦🇹といえばエーデルワイスエーデルワイスといえばお花💮…ってことでお花の話もしたいし…。先日…次女が、映画『orange〜オレンジ』観てたのでその映画🎥『Orange〜オレンジ』の話もしたい…。はたまた持統天皇といえば中大兄皇子(天智天皇)の娘中大兄皇子といえば大化の改新…ってことで大化の改新辺りの話もしたいけど…とりあえず今日は三角関係😑…の話をしようと思う🌿香具山は畝傍雄雄しと耳梨と相争ひき
◯第四回京都旅行は、2022年12月18日から21日に掛けて行った。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。18日は、錦市場を見学したくらいしかできなかった。◯翌19日は、いよいよ、今回の旅行のメインである大和三山走破になる。朝6時に起きて、準備して、朝食は、ホテルの目の前にある、カフェ・ベローチェでサンドイッチとコーヒーを頂戴した。そのまま京都駅へ向かって、近鉄橿原線で、橿原神宮前駅を目指した。◯したがって、8時21分には、もう橿原神宮前駅に着いていた。今日は、一日掛けて、大和三山を走
◯前回、ブログ『貫之墓と芭蕉墓参詣旅を終えて』を書いて、ようやく、第三回京都旅行の話を終えることが出来た。今回から、2022年12月18日から21日までの、第四回京都旅行の話になる。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。◯2022年12月18日に京都を訪れ、18日は京都の町中を散策し、19日には大和三山へ登り、20日は醍醐山に登り、21日には嵯峨野を歩いて来た。そのメインが大和三山を訪れることであり、上醍醐寺の醍醐山参詣にあったので、「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。○当古代文化研
おととい夜半の雨のせいでしょうか、今日から急に冷え込んでかなりビックリでした。ようやく秋が来たということなのでしょうが、急な気候には戸惑いますね。。。10月31日に藤原宮跡にコスモスを見に行ってきましたので今回と次回で紹介したいと思います。今年はこれまで馬見丘陵公園と神戸総合運動公園でコスモスを見ましたが、あまり満足できませんでした。藤原宮跡のコスモスはどうだったでしょうか???藤原宮跡のコスモス園には北エリアと南エリアがあって南エリアはこの通り見ごろでした。すごい数のコスモスが咲
この写真は令和5年10/22現在の状況です。見事な秋晴れで、藤原宮跡のコスモス見物へ。今回は北側(肩丈/見頃過ぎ)と南側(腰丈/満開)で、きれいに咲き分けしています。↑↓北側は既にやや見頃過ぎ。↑↓秋空に秋桜が映えますね。↑↓遠くから、近くから、満開のコスモス。南側エリアはこの日まさに満開で、誰が、どこからどう見てもTHEコスモス畑といった眺めが素晴らしい。このコスモス畑を見れれば、本当に大満足です。今回は選外となった写真を、もう少しご紹介します。