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次は飛鳥寺へ😊日本最古の大仏様に会って来ました✨✨厳かです✨✨新緑も綺麗です〜✨✨そして、大神神社へ⛩ここは後方にそびえる三輪山を御神体としてる神社だそうです広大ですね✨✨そして、帰り道、柿の葉寿司の山の辺の前を通ったのでお土産に買って帰りました😊#飛鳥寺#最古の大仏#三輪山#大神神社#奈良#柿の葉寿司#山の辺
長谷寺から飛鳥飛鳥宮跡もっかい行ってきた。乙巳の変で、この木の辺りで蘇我入鹿が殺されたらしい。先生言ってた。(と思う)入鹿の首塚も行ったけど、写真はやめました。橘寺。聖徳太子のお寺。ん?聖徳太子でいいの?二面石。人間なんてみんなそうだ。飛鳥寺。飛鳥大仏。こちらは写真OKでしたありがたい日本最古の本格的寺院。しみじみ他に酒船石遺跡と亀形石造物にも行ってきた。奈良って猿石?とか一刀石とか謎石県だ。1日で歩いた歩数は1万5000歩でした
あなたの好きな本は?と言われればナンバー3に入るであろうこちらの本死ぬ、と、生まれる、はどちらの方向からドアを開けるかの違い死ぬ、ということに対して考えさせられそして、それはそんなにこわいことじゃないんだよ、と教えられますこの本の中には美味しそうなご飯達がたくさん出てきます(主におやつです)その中に“ソ”という食べ物が出てきます牛乳を何時間も弱火で煮詰め混ぜつつづけると出来る、と書いてありますどんな食べ物?作れるの?と思っていたところ数年前飛鳥寺に売っていることが分
『食べて飲んで喋って笑ってスタミナつけて♡』昨日は大変暑うございました家族4人で奈良方面へお出掛け🚗💨ホンマの目的は奈良国立博物館《空海KUKAI密教のルーツとマンダラ世界》空海の生誕1…ameblo.jp⬆️奈良国立博物館を大行列のためにパスした後のお話家族全員寺社仏閣で見たい対象物が違う旦那は仏像ラブ息子は建築物愛娘はなし私は景色(ビジュアル)全般ラブ息子はメジャーで柱のサイズ測ったり縁の下覗き込んで見たり建築士の血が騒ぐらしいわ
飛鳥寺から徒歩で酒船石へ風がふくと落ちてくる笹の葉テレビでしか見たことがなかった酒船石上から写真を撮りたいけど無理でした。お酒の醸造に使用されていたというので酒船石と言い伝えられているそうですがいろいろな説があるそうです。すぐ横に有料ですが亀形石造物もありました。ここから周遊バスで岡寺へ
奈良街歩きは元興寺に向かいます。真言律宗のお寺「元興寺」を訪ねます。仏教が中国・朝鮮半島をへて日本に伝来したのは、『日本書紀』によれば欽明天皇13年(552)のこととされます。しかしこの異国の宗教の受容をめぐって、進歩派であった蘇我氏(崇仏派)と保守派であた物部氏(廃仏派)と激しい対立が起こります。用明天皇2年(587)蘇我馬子は厩戸王(後の聖徳太子)とともに軍を起こし物部派を打ち破り、日本仏教に道を開きます。その翌年甥にあたる崇峻天皇が即位したのを機に飛鳥の地に法興寺(飛鳥
明日香村の岡寺へ行きたいというので行って来ましたせっかくの機会なので明日香を巡ろうと思い先ずは甘樫丘へ張り切ってバスをおりましたが展望台へ行く道が通行止めで次へ行くことに数年前は自転車で周ったのですが今回は周遊バスにしました。息子は、自転車が良かったらしいです。徒歩で数分の飛鳥水落遺跡へ古都飛鳥保存財団の説明です。これらの遺構は斉明天皇6年の時、皇太子であった中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡であることが想定されている。「漏刻」台が築かれた背景として、当時の中
飛鳥寺へ子供とおでかけ蘇我馬子が建てた日本初の本格的な寺院飛鳥寺境内の鐘も鳴らしました蘇我入鹿の首塚がすぐ近くにあります。大化の改新蘇我入鹿が暗殺され時代が変わりましたせっかくなので、中も拝観しました飛鳥大仏"の名で親しまれている本尊の釈迦如来飛鳥寺の復元飛鳥寺の横でおみくじサトザクラが綺麗でした🌸明日香野菜のプレミアムカレーキッズのハヤシ日本最古の歌集『万葉集』について学べる奈良県立万葉文化会館へせんとくんがお出迎え
蘇我馬子が発願し推古天皇に創建された本尊の釈迦如来坐像は日本最古の仏像聖徳太子養像阿弥陀如来坐像弘法大師坐像
奈文研飛鳥資料館の『蘇我氏三代』における興味深い点の記載を続ける。・舒明天皇崩御の後、后の宝皇女が皇極天皇に即位したが、皇極の後継者として、蘇我の諸分家は山背皇子、蝦夷・入鹿は古人皇子、旧勢力代表の中臣氏は中大兄皇子をそれぞれ推していた。天皇後継問題に決着をつけようと、入鹿は配下に命じて、斑鳩宮の山背皇子を襲撃し、山背はいったんは宮殿を脱出したが、結局斑鳩に戻り、一族もろとも自殺して滅びた。・中大兄皇子と中臣鎌足は、蘇我諸分家と本宗家は険悪なにらみ合いの状態にあることに気づくと共に、
飛鳥寺に続いて、「石舞台古墳」を訪問した。石舞台古墳は明日香村にある古墳時代後期の7世紀の方墳。元は土で盛り上げて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者として、蘇我馬子が有力視されている。墳丘は現在失われているが、下部は方形で、花崗岩の貼石が約30度の傾斜で積み並べられていた。墳丘の周りには幅5.9~8.4mの空堀がめぐり、幅約7mの外堤が設けられている。外堤を復元すれば、一辺約80m、高さ約1.2mとなり、壮大な方形墳となる。
こんにちは週末の2日間奈良県の明日香村巡りを愛知県の友人達と行ってきましたよ✨まずは1日目石上神宮で待ち合わせてまずは神社参拝から始まりました神馬ではなく神鶏さまここも歴史ある神社で以前訪れた熱田神宮とも深くかかわりのある神社で再び来るべくして来た感じがしましたそして益田磐船に感嘆してやっぱり磐船の発着場だわ〜飛鳥寺では日本最古の大仏さんと初対面、若かりし頃の聖徳太子像とも対面飛鳥坐神社で参拝したところで初日は終了となりました2日目はキトラ古墳からです駐車
壺阪寺観音様に朝1番で手を合わせます壺阪寺大仏様明日香村岡寺徒歩で行きます🚶🚶♀️歩きごたえのある道のりでしたやっと到着やり切った感ありますが、歩きは未だこれからです亀形石造物酒船石遺跡ただの石小屋ではありません歴史的に貴重な石だそうです亀形石造物の向かいには蘇我入鹿が殺害された田園私有地なので近くでは見られませんが、優しい職員さんが丁寧に教えてくださいました飛鳥の宮殿は最初はここだったそうです飛鳥寺最古の大仏様を拝観させていただきました入鹿の首塚飛
ジモトモ(地元のお友)が明日香村に行ってみたいなぁと呟きなさったもんですから、しからばと日程を調整しまして早朝待ち合わせスタート。いやなに、私も4月中に田んぼのレンゲを見に行くつもりだったんです。初めてだという彼女にやさしーーーく、次のトイレまでの所要時間や登り坂下り坂のスケール感とかあの山この山、古墳に神社仏閣この時期の畑の作物野山の植生他ざっくりと、彼女が何に興味を示すか探りを入れつつ・・・いつもはソロ行動ですが、たまにはこんなおしゃべりしながらの道行きも楽しいね。峠の
このところ何故か気になっていた場所へ行ってきた。なんとなくですが、ふと最近の頭の中に浮かぶ風景、それは奈良県明日香村にある石舞台古墳。遠い昔に行った記憶はあるけど、いかんせん地元から向かうこと車で2時間半⏰往復5時間なので、なかなか行こうと思っても行けないのだ。けど行ってみるとやっぱり呼ばれていた気がするよ。暑い日で、強い日差しに汗をかきながら辿り着くと巨石の地下は冷んやり。そして不思議に心が落ち着き、いつまでも籠っていたい。涼しいし。笑まあそれにしても不思議と言えば不思議過ぎません
橿原神宮前駅までこちら側で降りるのは久しぶり剣池相変わらず不気味アカミミガメ(ミドリガメ)レンゲ飛鳥川入鹿供養塔芝桜これを見に来た奥に飛鳥寺久しぶりの対面飛鳥大仏初めてお会いしてから27年飛鳥寺から県立万葉文化館へこのせんとくんとも久しぶり春っていう感じ飛鳥坐神社へ神楽殿おんだ祭りの舞台まず持ち上げられると思う
飛鳥寺の西側には鎌倉時代に建てられたと言われる五輪塔あります中大兄皇子に討ち取られた蘇我入鹿の首がここまで飛んで来たんだって❗️飛鳥寺は蘇我馬子が596年推古天皇の時代に建立した日本初の寺院でした釈迦如来像は日本最古の仏像です酒船石を見てから右側にある道を歩いて行くと飛鳥寺が左手に現れます
622年聖徳太子(厩戸皇子)が死去した後天皇以上に権力を持ったのが蘇我馬子です626年に馬子が死去すると息子の蝦夷が大臣を継承します628年に推古天皇が皇位継承者を指名せずに亡くなり豪族間で継承者争いが始まりました蝦夷は聖徳太子の子、山背大兄王が皇位に就かぬよう田村皇子(後の舒明天皇)の即位を進めましたが舒明天皇(じょめいてんのう)も641年に継承者を指名せずに亡くなり舒明天皇の皇后「宝皇女」を一時的に皇極天皇として即位させますその後、入鹿は舒明天皇の第一皇子古人大兄皇
鳥形山:飛鳥寺親西国第九番霊場:聖徳太子御遺跡第十一番霊場奈良県高市郡明日香村飛鳥682崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子が発願し推古天皇4年(596)に創建された、わが国最初の本格的大寺院です。発掘調査(昭和31年)の結果では、束西約200m、南北約300mの寺域をもち、その西南に塔を中心として三金堂を置く大寺院であったことが判明しています。蹴鞠(けまり)の会で中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が出会った運命の場本堂
お釈迦様のお誕生日である4月8日...お釈迦様の像に甘茶をおかけしてきました!京都旅に次いで今回は奈良~飛鳥旅に行ってきました!暫くは飛鳥ネタです(笑)
昨日、奈良県明日香村にある真言宗のお寺、飛鳥寺に、お詣りさせてもらいましたこちらは609年に日本で一番最初に花まつりが執り行われたお寺と考えられています。毎年、4月8日には法要と記念講演を開催されています。こちらの御本尊の釈迦如来は609年に開眼法要が執り行われた由緒正しい仏様ですが鎌倉時代の火災で頭部と右手を残して焼失してその後、その他の部分は作り直されたために国宝には指定されず重要文化財指定なのは残念な事です。昨日は境内の桜の花が満開で楽しめました。
乙巳の変(3)蘇我本宗家の滅亡と大化の改新古人大兄皇子は、私宮へ逃げ帰った(この時皇子は「韓人(からひと)、鞍作(入鹿)を殺しつ。吾が心痛し」(「韓人殺鞍作臣吾心痛矣」)と述べたという)。これは古来から難解な言葉とされており、対朝鮮政策をめぐる路線対立故に出た言葉であるとされることもあ...nyabecch.blogspot.com乙巳の変(3)-日本史nyabecch.blog47.fc2.com
こちらも聖徳太子ゆかりの飛鳥寺見終わると同時に止んだ雨。YES雨女漫画:日出処の天使に唯一(?)癒しキャラとして出てくるトリ君が造った飛鳥大仏がいらっしゃる。そーいや、この漫画に出てくる人たち、誰も幸せになってねーな唯一、トリ君の未来だけは明るそう。飛鳥大仏は今は国宝ではないので写真撮り放題📷なんだけど。。。仏様の写真って、ね。その後どーして良いか分からないからアルカイックスマイルやらアーモンドアイやら左右で異なって見える表情とか目に焼き付
24.03/28thu.12:40-17:30近鉄飛鳥駅から南東に、高松塚古墳北に下り、上りなおして中尾山古墳西に県道に下り、北東に天武天皇持統天皇檜隈大内陵(野口王墓古墳)を過ぎ亀石から東へ北側に、川原寺跡弘福寺南に、橘寺に向かう橘寺西門から左回りに東門南に、いちごハウス沿いに東飛鳥川左岸に並行していて南東玉藻橋を渡って北東に、石舞台古墳西から右回りに、東側南から石室内も覆う土が無いので明るく北側の県道を右に標識に従い、北側上り道に折れて緩
甘樫丘に続いて、「飛鳥寺」を訪問した。飛鳥寺は、蘇我馬子が588年に創建した日本最古の本格的寺院。当時の寺域は東西約200m、南北約300mあり、西南に塔を中心として三金堂を置く大寺院であった(現在の寺域は大幅に縮小)。造営には百済の工人があたり、伽藍配置や瓦の文様などにも、当時の朝鮮の仏教文化の影響が大きい。本尊の飛鳥大仏(釈迦如来)は、推古天皇の詔を踏まえて、609年に仏師の鞍作鳥(くらつくりのとり)が造ったもの。年代のわかる現存の仏像では日本最古。面長な顔や、目の形などに法隆寺
🌸飛鳥寺に行きました🌸両親とです🌸🎀こんな近くで見れたヾ(*´∀`*)ノ🌸お庭も素敵😊遺影様にどうかしらこの写真エフェクトかけたこの写真。⇧と⇩39歳で加工無しと整形無しでは頑張ってる方やと思う💦⇩は加工無しꉂ(*ノ∀`)ʱªʱªʱª🌸🎀🌸現実こんな感じ(´,_ゝ`)プッ🌸🎀
#フレッシャーズの可能性#飛鳥寺日本初の仏教寺院ここから日本仏教の歴史が始まる厳かな雰囲気が周囲の集落からも漂い悠久の時を刻む新年度が始まりフレッシャーズにはこれから大いに活躍を願う4月の予定#坐禅会.4/6.15:00〜#寺子屋カフェアット法源寺#歴史に学ぶ!日本史.4/6.16:30〜#写経会.4/13.15:00〜#結びヨガ.4/13.19:30〜
奈文研飛鳥資料館に関する説明を続ける。・わが国に、仏教が公式に伝えられたのは538年(欽明天皇7年)、百済の聖明王が朝廷に仏像と経典を贈った時とされる。当時の有力豪族、蘇我氏は積極的に仏教を支持し、しだいに皇室や豪族の間に行き渡っていった。仏教伝来から半世紀を経た588年(崇峻天皇元年)には、物部氏を倒して勢力を確立した蘇我氏によって、我が国最初の本格的寺院、飛鳥寺の造営が始められた。・仏教伝来の直後は、豪族の邸宅などで仏像がまつられていたが、やがて、天皇家や豪族によって本格的な寺院
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月17日(日)奈良観光4ヶ所め。お天気が下り坂なので、駆け足で観光します。飛鳥寺奈良県高市郡明日香村飛鳥682588年、蘇我馬子が建てたと伝わる日本最古の本格的仏教寺院。大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったのも飛鳥寺で行われた蹴鞠の会であったといわれています。通称「飛鳥大仏」の銅造釈迦如来坐像。(仏師鞍作鳥作)飛鳥大仏は609年には完成したとされ、鋳造年が絞れる仏像としては日本で最古級。
ぐずついたお天気が続きなかなか春を感じる事が出来ませんがそろそろ桜の便りも届く頃奈良はいつになるのかな?ウェザーニュースの開花情報によると奈良は3/28日もうすぐやんその前に撮りっばなしになっている最近の写真を整理しておかなくちゃ少し日にちが過ぎてしまいましたが記録の為にupしておきます。2024/03/07晴れた日にもう一度撮りたくて明日香河津桜の丘へ行きました二上山の所には雲があるけどやっばり日差しがあると綺麗です。