ブログ記事335件
神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。麓の境内に社務所が、高い石段を登ったところに社殿がある。日本三代実録には貞観9年(867年)2月に官社に列せられたという記述があり、延喜式神名帳では小社に列している。江戸時代に入ると太平寺村の氏神として信仰され、熊野権現社と称していた。かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天
大阪歴史博物館というところに行ってきました初めての訪問です大阪城の南西に位置しNHK大阪放送局の隣にある大阪の歴史にフォーカスした立派な博物館です7~10階の常設展示と6階の特別展示で構成されています中には、難波宮(なにわのみや)を模した立派な実物に近い神殿模型があり当時の人のように中を歩くことが出来ますビルの中の10階とは思えない不思議な空間とその感覚に圧倒されます更に実際の難波宮跡(なにわのみやあと)の全体を上空から神目線で眺めることができます難波宮って
3月23日、24日に大阪の難波宮で開催される「はじめてフェス」に参加します。風船ぴーちゃんは【はじめてのバルーンアート】体験をしてもらおうと、巨大タコのバルーンアートを用意して待ってます!🌸40以上の体験が勢揃い🌸大阪市難波宮跡で初開催する体験型イベント#はじめてフェス会場にご用意するすべての体験が公式サイトで公開されました!なかには時間や人数など制限がある体験もあるのでご注意を🙏まずはサイトをチェック👇https://t.co/fXq6khKuV2pic.twitt
こんばんワニ~☆今日は昼前から大阪市歴史博物館へ10階から7階へ降りるにつれて時代が進んで行く(?)って構図エレベーターも入場口から10階までノンストップという徹底ぶり笑ちなみに10階は古代、難波宮についての展示でしたこの街中に古代の遺跡が残っている事に驚き今でも発掘調査が続いているとかいないとかちなみに場所柄なのか、大阪城を見ることができますそして降りるにつれて時代が進み、7階は明治以降~現代へ大阪に建設されたビル群をモチーフにした展示もあり~の、心斎橋筋商店街を再
お気に入りの木動画からスクショしたもの2年前の台風の後緑のカーテンが美しくて久し振りに会いに行ったら番号付きの養生テープが難波の宮は教育委員会の管轄?気になったので即問い合わせ樹木の扱いについての要望は大阪市経済戦略局文化部文化課に。と言われ問い合わせたところ【難波の宮古樹の扱いについて】いつも史跡難波宮跡をご利用いただきましてありがとうございます。今回ご要望いただきました柳の木ですが、空洞があることなどから強風による倒木の危険性があるため、樹木医の判断に基づき伐
今日は森ノ宮のロイヤル難波宮ギャラリーで開催の写真展、青灯に×けるを見てきました。以前GalleryKirittaiで展示してくださった、歩さんとあやかさんの二人展です。今日が最終日という事で朝から行って来ました。森ノ宮の駅から少し西に歩いて、ギャラリーに向かいました。スグにギャラリーが見つかり、中をのぞくと、覚えていてくれたお二人が、迎えてくれました。この春からどちらも教育者としての仕事が決まっているという事でした。作品は青シリーズ、以前展示してくださった色合いの写真が、た
つづいて2回目の機会が654年、孝徳天皇が没したときにやってきます。その前年、すでに中大兄皇子と孝徳天皇の政治路線の違いが決定的となっていて、朝廷を揺るがす大事件が起きていました。当時、都は飛鳥(奈良県明日香村)から難波宮(大阪市中央区)へ遷都されていましたが、皇子が飛鳥への還都を進言し、先の皇極天皇や大海人皇子(のちの天武天皇)らの弟たち、孝徳の皇后であるの間人皇女(はしひとのひめみこ)のほか、「公卿大夫・百官」を引き連れ、飛鳥の都にもどってしまったのです。こうして難
まず1回目の機会が大化の改新のクーデターの年。当時、実母の皇極天皇の時代でしたが、蘇我氏専横を許したという理由で退位させられ、その弟の孝徳天皇が即位しました。中大兄皇子にとっては叔父にあたります。皇子が実の母を退けて皇位につくのは憚れるため、叔父を傀儡に立てたともいえそうですが、孝徳は傀儡になるどころか、飛鳥からの遷都(難波宮)を断行し、皇子とは違う政治路線を突っ走しりました。このため、近年では孝徳こそがクーデターの首謀者だとされるようになり、結果、中大兄はその
2024/01/07(日)あほです😅昨日の初山歩で太ももが張って痛くて山登るんは辛いなぁ、で、どないするん?午後から地下鉄片道50円の大阪城公園へ散歩に途中黒い雲が広がり冷たいものが降ったが直ぐに青空が戻った梅林の早咲きの紅白梅とロウバイに癒されて久しぶりに本丸跡から天守閣を見上げたカメラぶら下げてすっかり観光客に溶け込んでいた帰りは難波宮跡からと歩いて迷ってやっと地下鉄に乗れた、GoogleMapを見ながら(笑)
天皇と皇室の歴史を知ると、皇統に生まれたがために悲劇に見舞われた皇子が何人もいます。その中でも有名な皇子の一人が有間皇子です。大化の改新の後は、中大兄皇子(後の天智天皇)、大海人皇子(後の天武天皇)の活躍が目立つ時代となっていきますが、その時代に惜しまれ語り継がれたのが孝徳天皇の皇子、有間皇子でした。孝徳天皇の宮、難波宮跡↓大阪歴史博物館から見える難波宮跡公園『すめらぎのお話・・・乙巳の変、誰もが教科書で最初に習う大事件』歴史をきちんと学びだす中学生の時、最初の印象的な事件
先日(12/3)、大阪市にある難波宮跡に行きました。広大な敷地に宮殿跡がありました。(=^x^=)
大阪へ叔母の墓参りへ行ってきました。仁王像がすごい!大阪の一心寺さん。https://www.isshinji.or.jp/一心寺|お骨佛の寺・納骨とおせがきの寺一心寺一心寺|お骨佛の寺・納骨とおせがきの寺一心寺www.isshinji.or.jp初めて行ったのですが、大きくて沢山の人がお参りに来られているお寺でした!線香を焚いて右下、いつものお花屋さんで頼んだので、仏花らしくないけど💦お参りしてきました。帰り道の池に↓黄金色の鯉がいた!せっかく、大阪来たので
大阪の難読地名~由来は「難波宮」にあり?|千世(ちせ)大阪の有名スポットの地名の由来を見てみると、それぞれにキッカケが、当て字だったり、訛りだったり、意外と単純なものもあります。例えば、有名な繁華街スポットも次の通りなのです。【梅田】時は豊臣政権時代、低湿地帯で度々氾濫をしていたこの土地を秀吉の命で埋め立てたので、ただ単に「埋田」と呼ばれたからという説が有力です。やがて江戸時代になると、この名は…note.com
大阪の文楽劇場に行く前の、ちょっとした時間。天満橋から、大阪城公園を歩きます。大手前の歩道橋から見た眺め。ここから、南に歩いていきます。さっきと同じ東側の眺めでも、雰囲気がちがいます。目の前に大阪府庁。大手門から城内に入ります。きーん、どこ行くねん?(伊丹に決まっとるやろ。)日本庭園の様子。あいにくの天気でも、外国の観光客でいっぱいです。色々なイベントがたのしそう。秋が深まってきましたね。天守閣は、ここから失礼します。豊国神
★第三十六代孝徳天皇は飛鳥時代の天皇、(大化の)改新の詔を発した天皇です。御父は敏達天皇の皇子である押坂人大兄皇子の王子茅渟王、御母は欽明天皇の第六皇子である桜井皇子の王女の吉備姫王の第一王子として誕生。同母の姉は皇極(斉明)天皇です。御名は軽皇子(かるのみこ)。推古天皇四年(596年)生。在位孝徳天皇元年(645年)~白雉五年(654年)。皇極四年(645年)六月、大極殿にて中大兄皇子と中臣鎌子(のちの鎌足)が、蘇我入鹿を誅殺しました。翌日にはその父の蝦夷も自害(乙巳の変)し、翌翌日
令和5年11月5日(日)四天王寺から仙福南陽堂に立ち寄った後、生國魂神社に向かう。13:15仙福南陽堂を出発↓徒歩で向かう。谷町筋を北上する。13:35生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)に到着生國魂神社(いくくにたましいじんじゃ)は、大阪市天王寺区生玉町にある神社で、通称「いくたまさん」、別称「難波大社(なにわのおおやしろ)」と呼ばれている。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して大坂本願寺
関西文化の日で入館料無料だったので大阪歴史博物館へ行ってきました。(11月20日)関西文化の日は関西の美術館、博物館などの入館料(原則として常設展)を11月に無料とする取り組みで今年は11月18日〜19日に実施する施設が多かったのですが大阪歴史博物館は20日でした。大阪メトロの谷町4丁目から徒歩5分で着きました。左側が大阪歴史博物館で右側がNHK大阪放送局です。1階アトリウムです。左側の大阪歴史博物館に入ります。10階の古代フロアから見学スタートです。ここは奈良時代の難波
こんばんは!BK大感謝祭の次は、お隣の大阪歴史博物館に入ります。難波宮(なにわのみや)時代奉翳女孺(はとりのにょじゅ)女孺(「めのわらわ」とも読む)は宮廷で実務にあたった女官。高御座(たかみくら)にあらわれた天皇の姿を隠すため、大極殿内の左右に分かれて翳(さしば)をかかげた。本来、左右各9人、計18人が並ぶが、ここでは各6人で、礼服(らいふく)より実用的な朝服(ちょうふく)をまとう姿で復元した。侍従(じじゅう)天皇の近くに仕える中務省(なかつかさしょう)の役人。身にまとっている衣装は
2023年11月の大阪帰省。大阪にいたときはこの時期、毎年いってたイベント。四天王寺ワッソ~友情は1400年の彼方から~古代東アジアの国際交流を雅やかに再現した大阪のお祭りwww.wasso.net今年も行けないと思ってたけど、チラッとだけみてきました~去年は2日間あったみたいやけど、今回はかなり規模が縮小された?船は一台だけ、しかも展示のみ?このあたりもタワマン増えたよね。お店も、野菜とか…韓国には関係ないもんばかり。気になったのは、竹内街道。約半世紀、大阪に住んでたのに
昨日、阪神タイガースが優勝し、関西は大盛り上がり。✨ワタシはスポーツに興味がないので普段はテレビを観ないのですが、昨夜は夫と息子が見ていたテレビを見て、拍手しました。👏やはり、阪神優勝と聞くと嬉しいです。38年ぶりの優勝と見て、おのころ心平さんと同じく、ワタシもすぐに、38という数霊が氣になりました。おのころ心平『「38」という数字の神秘。』おはようございます。おのころ心平です。38年ぶり阪神の日本一に沸く関西。阪神ファンにとっては長く待ちわびた38年だったと思いますが、昨夜は、関西
2019〜2022⬇≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡165cm110kgからスタート54kgになったらダイエット〜維持えっとにしつつ健康を目指します最終的には58kg以下で維持したい(増える前提で54kg迄落とす予定)糖質制限とファスティングで多少ムチャな事も…してたのですがバランス食とユル糖質に移行〜嬉しい事に減って来たので❤️現在、52kg以下で維持えっと目指し中❤️≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡★★2022〜2023現在!!★★大リバウンドにより四苦八苦中
2023-09-24空堀商店街トコトコ〜階段上ります榎木大明神トコトコ〜熊野街道太閤下水見学施設これね、中を覗くと下に水が流れてるのんトコトコ〜ん?こっちに行くか…こっちに行くか…あっちは難波宮まろんは、こちらで休憩しないのでこちらへ行きますNHK高床式の建物があるよちょろっと見に行こうか…
このブログを始めて、1年が経ちました。ブログを始めたきっかけの1つは四天王寺の事をあれこれ書いてみたいと思った事です。でも、多くの方が既にたくさん書かれていますので、書く気も失せてしまっていました。四天王寺については、思うことが多く、なかなか書き出すことができず1年が経ってしまいました。この際、思いつくつくままによもやま話的に気楽に書いていこうと思います。多くの方と、重複するところもあろうかと思いますが、ご容赦ねがいます。_____________第1回目は、四
2~3日前から帰宅時に横切る難波宮跡でテントの設営して夜中までガサガサしていた。今日、ランニングしながら出勤途中に横切ると「中秋明月祭」なる看板で沢山の人だった。出典:http://www.moon-osaka.mixh.jp/wp/入り口でネイティブな「ニィハオ〜」と私に挨拶してくれるおじさん。遅い出勤だったのでちょうどお昼時お腹が空いてたので中に入ってみた。ちょうど開会式してた!(焼きトウモロコシってこういう漢字って感じ)色々中国各地のブースがあり、各地の中
縄文から飛鳥、奈良時代までの古代の出土品を見るのが大好き!ときめきます✨本日は、近つ飛鳥博物館にて開催最終日の☆ええもん並べまし展☆へ。大阪府所蔵品の古墳時代から飛鳥時代までの出土品の蔵出し展示です。非常に見応えがありました。☆撮影許可のあるものだけ載せております☆先ず目に留まったのは常設展示されている原物の可愛い耳飾り✨キラキラ✨です。おそらく純金の深い色合。金は時を経てもこんなに美しく輝くのですね。素晴らしい。金の価値をしみじみ感じます。上の飾りも太刀のハンドル部分も原物
(旧)葉月一日国見する君がかまどの三千の煙の今をいかにか見ゆか雲端註1:国見する君=高津宮の祭神である仁徳天皇註2:三千=ここでは数えきれないくらい多数の意。高津宮の西の端に絵馬堂があってトップの絵はここに掲げられている。仁徳天皇は難波高津宮から国見をし、家々のかまどから煙がたっていないことに気づかれた。天皇は「民が貧しさに苦しんでいるのだ」と思われ3年もの間、税を免除されたという。。。。今の政治家には、頭の痛い
大阪歴史博物館とNHK大阪放送局の建物の下に、飛鳥時代の遺構が残っています大阪歴史博物館(以下、歴博と略します)の入口1階のガラス床の下に見えますここは無料でだれでも見学できます歴博の学芸員さんによる遺構見学ツアーガイドがあり、初参加させてもらいました説明を聞きながら、遺構を見学でき、大変わかりやすいツアーガイドでしたガラス床をのぞくと、柱の跡があります飛鳥時代(7世紀中頃~後半)の掘立柱の跡だそうで、発掘当時の状態で残しているそうです。柱穴
大和国添下郡新城神社◆「真の持統女帝」顕彰~反骨と苦悩の生涯~(14)少々体調を崩したり、負荷の大きいテーマ記事を起こしていることもあり、ちょっぴり間隔が空いてしまいました。歳のせいでしょうかね…。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事(序)(1)…プロフィール1(2)…プロフィール2(3)…出生~父天智天皇崩御(4)…壬申の乱1(5)…壬申の乱2(6)…壬申の乱3(7)…天武天皇即位(8)…泊瀬斎宮と
難波宮へタイムスリップ縄文土器土偶龍自在置物大阪歴史博物館へ受付前の床の一部が、ガラス張りになってます。覗くと、難波宮の建物の柱跡。入る前から、ワクワクします博物館は、階ごとに、テーマがあります。古代、中世、近世、近代等受付を終えると10階行きのエレベーターに乗り込みます。扉が開けば、視界に広がる難波宮の世界。タイムスリップ感が味わえて、大人も子どもも、テンション上がります特集展示があり、縄文土器や土偶、古墳時代のアクセサリーなど様々な展示品を見る
難波宮跡の様子「日々勉強!結果に責任!」を掲げ、「国づくり、地域づくりは、人づくりから」を信条とする参議院議員赤池誠章(あかいけまさあき・比例代表全国区)です。本年は、癸卯年。「国難を乗り越え、“跳躍”の年に」したいと存じます。6月29日(木)、大阪出張でした。わが国第二の大都市、商都大阪は、古代首都でした。645年中大兄皇子と中臣鎌足がが、蘇我入鹿ら一族を滅ぼしました(乙巳の変、大化の改新)を起こしました。天智・天武両天皇の母である第35代皇極天皇から譲位された同