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高知城を築いた山之内一豊の妻千代は夫が欲しがった名馬をへそくり10両で購入しおかげで主君織田信長の馬揃えで覚えめでたく・・・歴史好きには有名な逸話を題材にした千代と馬の銅像の前で☆☆☆私「えらく重たい馬やったんやろな」妻「そうなん?」私「なにせ重量(10両)級いうくらいやから」愛想笑いする妻💦★★★私「四国で有名な戦国大名の覚え方教えよか?」妻「誰のこと?」私「長曾我部元親・・・超スケベ元チカン😊」完全にスルーす
桂浜を後にして、高知市内に向かってます。ちょうどマジックアワーの時間。途中大きな神社を見つけたけど、若宮八幡宮|高知高知市にあります若宮八幡宮のホームページです。長宗我部元親が初陣戦勝を祈願した出蜻蛉(でとんぼ)の社と定めたことは有名です。wakamiya-kochi.comもう夕暮れだし参拝はやめておこうね。とそのまま通り過ぎようとしたら😳あ!!!パパ!ちょっと寄りたい!!この看板とこの像を見つけて車をUターンさせて来てもらいました。長曾我部元親初陣の像子
天海(119)慶長3年(1598年)11月25日、家康と利家らは明水軍が日本軍の帰路を妨害しているとして、筑前国名島城にいた三成と浅野長政に、高虎と協議するよう指示した。三成らは博多に待機していた高虎を呼び出すと、帰国する朝鮮諸将の護衛のため対馬海域に出撃することを命じたのである。高虎は伊予水軍を率いて、またしても船上にいた。船の舳先に腰かけ、大海原を見ていたのである。今日の対馬海峡は、冬にしては穏やかであった。「殿、ここにおられましたか。」と声を掛けられ、振り向く
天海(89)既に12月27日、毛利勝信(吉成)ら先行隊が太和江の南岸に現れていた。29日には毛利秀元、黒田長政の兵船が太和江の上流に向かって航行しているのを幸長が発見している。年が明けて1月1日、長政、秀元ら1万3千人が蔚山城近くに現れ、さらに長曾我部水軍が太和江北岸に上陸した。明軍はこれを妨害するため別動隊を派遣したが、上陸を阻止できなかったのである。「其夜天兵,且欲攻城,造大炬,四圍而進。始自子夜,天明乃罷,而賊丸如雨,死傷甚衆,無一人抵城者。」
みなさま、こんばんは~西暦2023年12月17日、午前零時過ぎからのブログアップですさて、12月15日(金)公開、新ニッポンヒストリー第101話『もしも、長曾我部元親が二人いたら』で、ダース塩川、元親のパパ、長曾我部国親役で出演しています。芸名;『倉田彰彦』としての登場です~~~長宗我部元親(ちょうそかべ/ちょうすがめもとちか)は、日本の武将、戦国大名。長宗我部氏第21代当主。幼名は弥三郎。土佐国岡豊城主・国親の長男。国司家一
明智秀満(86)「信長公記」『阿波国、神戸三七御拝領の事四月廿一日、安土に御帰陣。さる程、四国阿波国、神戸三七信孝へ参らせられ侯につきて御人数御催なさる。五月十一日、住吉に至りて御参陣。四国へ渡海の舟ども仰せ付けられ、其の御用意半ばに候。』「いやぁ、さすがに疲れたわい。無事に安土に帰れて何よりだ。」と信長は上機嫌で言う。ここは安土城の奥の間、信長、長秀、光秀の三人しかいない。一益は関東御取次となり、厩橋にいるのだ。「左近がなぁ。所領を返上
2023年9月23日--------------------------------------------落としたら恥ずかしい。そのために書く。恥ずかしい思いをしないために。勉強になりました。2022年9月23日--------------------------------------------持ち物をなくしたのを恥じるために書く。深いですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
明智秀満(53)「斎藤利三書状(天正10年(1582)1月11日)第2巻所収」『斎藤利三が実兄石谷頼辰の義父、空然(石谷光政)に出した書状。利三が書いた書状は、現在数通しか残されていません。天正3年(1575)頃、織田信長は長宗我部元親に、四国内は元親の切り取り次第という許可を出していましたが、天正9年の後半頃に、土佐と阿波半国しか領有を認めないと通達しました。元親は承知せず、それを諫めるために利三が、石谷頼辰を使者として派遣したと『長宗我部元親記』(寛永8年(
明智秀満(52)「信長公記」『淡路島申し付けらるるの事十一月十七日、羽柴筑前、池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち越し、岩屋へ取り懸け、攻め寄せしのところ、懇望の筋目侯て、池田勝九郎手へ岩屋を相渡し、別条無く申し付く。十一月廿日、姫路に至りて、羽柴筑前守帰陣。池田勝九郎、これも同時に人数打ち納むるなり。淡路島物主、未だ仰せ付けられず侯なり。』秀吉は因幡の鳥取城を兵糧攻めで落とすと、直ちに伯耆に出兵した。羽衣石城の南条元続は吉川元信の鳥取城救援を妨害して
朝早くに目が覚め、空をにらみながら洗濯を決行したため、朝食前に、坂を独りで上る霊場由布・新四国八十八ヶ所巡拝所今日は第63番八十八ヶ所で唯一の毘沙門天、上杉謙信で有名ですね右手に持っているのは、剣です第63番のご本家は密教山胎蔵院吉祥寺–(一社)四国八十八ヶ所霊場会88shikokuhenro.jp秀吉の四国攻めに巻き込まれ、全山焼失の目にも合っている面白いのが、吉祥寺の名前の由来である寺宝に非公開のマリア観音像があるそうだ土
三宅弥平次(89)「信長公記」『維任日向は、直ちに丹波へ相働き、波多野が館取巻き、四方三里がまはりを、維任、一身の手勢を以て取り巻き、堀をほり、塀・柵、幾れも付けさせ、透間もなく、塀際に諸卒、町屋作りに小屋を懸けさせ、廻番を丈夫に警固を申し付け、誠に獣の通いもなく、在陣候なり。』有岡城の包囲が完成すると光秀は庄兵衛と伝五を残し、丹波へ向かった。八上城攻めでは丹波国衆の小畠永明が黒井城との分断のために砦を築き守っていた。永明は光秀が信頼する国衆で、後年「明智
【夏草の賦】文春文庫【著】司馬遼太郎四国の覇者となった長曾我部元親の物語。臆病者こそ智者の証拠、臆病こそが知恵のもと。自分を臆病者と言い、それゆえ四国の覇者となった男。家督を継いだのち初めて行った戦はとてもそうは思えぬ事をして家を纏めた男。戦国時代、信長同様天下を求めた男の話が熱い。文春文庫『夏草の賦上』司馬遼太郎|文庫四国全土を席巻した風雲児の生涯戦国時代に四国の覇者となった長曾我部元親。攻めるべき時に攻めて成功した深慮遠謀ぶりと、政治に生きた人生を描いた傑作長
高知のパワースポット「土佐神社」写真撮ったらびっくりした。実際は薄曇りもしやパワーを頂いたのか。社殿裏の森が神秘的で、だがとても気持ちがいい。いわゆるマイナスイオンによるものか、これもパワーを頂いたのか。白い猫が順路を案内してくれた。途中で飽きられたけど。足をのばして~四万十町、コロンブスの茶卵のお菓子屋さん。こっこらんど(coccorando.com)でプリンソフト。食べてみたら美味しかった。仕事しよ
本能寺の変②「信長公記」『中国備中へ羽柴筑前相働き、すくも塚の城、あらあらと取り寄せ、攻め落とし、数多討ち捕り、並びに、えつたか城へ、又、取り懸け候ところ、降参申し、罷り退く。高松の城へ一所に盾籠るなり。(中略)芸州より、毛利・吉川・小早川、人数引率し、対陣なり。信長公、此等の趣聞こしめし及ばれ、今度間近く寄り合い候事、天の与うるところに候間、御動座なされ中国の歴々討ち果たし、九州まで一篇に仰せつけられるべきの旨、上意にて、堀久太郎御使いとして羽柴筑前かた、条々仰せ遣わさ
『四国八十八箇所霊場三十三番札所雪蹊寺』先日、ブルーシャトル(劇団ひまわり)さんによる舞台「織田信長」を拝見致しました。同舞台でとっくん(土倉有貴さん)の演じられていた斎藤利三が、長宗(曾)我部氏…ameblo.jpこちらのブログに記載した...55円の件...疑わしい…そうですよね。このご円(縁)が大塚雅史さんと裏方様...つまり【織田信長の舞台】だったのでしょうか...科学的に証明は、できません。単なる、私の感に過ぎないでしょう。そして
前回のブログの続きです...よろしければ、お付き合いくださいませ...雪蹊寺を後にし秦神社にも、参拝しました。推察ですが...羽田氏、波多氏だけではなく、秦氏も武内宿禰なのカモしれませんね...武内宿禰は役職名...但し先生と秦氏が仲良しだったのかは?不明です...秦氏...弓月...つまり、弓の形をした月?!三日月?!弓張月ね。半月なのか…上弦の月…下弦の月…とも…きっと、月信仰の一族なのでしょうね...
先日、ブルーシャトル(劇団ひまわり)さんによる舞台「織田信長」を拝見致しました。同舞台でとっくん(土倉有貴さん)の演じられていた斎藤利三が、長宗(曾)我部氏と関係のあることを知りました。実は、2020.11の高知旅で長曾我部家のお墓参りをしていたのですよね。ふと、思い出したので2020.11.28のブログを改訂し未公開写真と共に、アップします。よろしければ、お付き合いくださいませ...---雪蹊寺は、臨済宗妙心寺派です。因みに、同派は八十八
明けましておめでとうございます。昨年は中々遠出ができなくて近場に頼りがちになりましたが、今年は日帰りで行ける範囲で羽を伸ばしますのでどうぞ宜しくお願い致します。昨年からの続きにて高知城になります。例のごとく、上への移動よりも横への移動を優先させて三之丸の石垣を舐めるように観てから周囲から攻めます。変態目線は今年も健在です。石垣の出っ張り「横矢掛かり」も健在。苔むした感じがたまらないです。角が好きです。上から指でなぞりたいです。城の北側にあたりますがここは小
こんにちは、philosophiaです創刊から『歴史人』を購読していて前回の初当選以来、今回2回目の読者プレゼントに当選しました!当選のお知らせ応募したのは、<長曾我部元親の扇子>「一芸に熟達せよ多芸を欲ばる者は巧みならず」challenge→change→chanceの精神で!アメブロのペタの代わりに下のボタン「読書備忘録」をクリック応援していただけると嬉しいです。ジャンル別ランキングに参加しています。今日の記
ついに語る時が来ましたかというのも私は幼い時から大の歴史好きだったんですよ。そんな私が一番好きな日本史の時代はなんと安土・桃山時代!!!これは語るしかないでしょうズバリ、わたしが一番好きな戦国武将は長曾我部元親!!!理由は...戦国BASARAでのキャラデザインが一番好きだから!!!_(┐「ε:)_ズコーッ長曾我部元親が好きな人、私だけじゃないですよね!!!
全身14カ所が可動する「キンケシ」発売キン肉バスターやタワーブリッジを再現可能ニコニコニュース-ニコニコ動画キン肉マン、テリーマン、ロビンマスク、悪魔将軍の計4体、それぞれペールオレンジ、シルバーの各2色がラインナップされている。信仰者と不信仰者さとうまさこの漫画コラム(48)-クリスチャントゥデイクリスチャントゥデイそれに対してマリアは、イエス・キリストの葬りの時のために、大切に取っておいた自分の嫁入り道具である貴重な香油をイエスにささげました。天眼-中世・
夏草の賦戦国時代から安土桃山時代の大名長曾我部元親が主人公の作品です。本のタイトル夏草ですが、松尾芭蕉の『夏草や兵どもが夢の跡』になぞらえ、元親をはじめとする英雄たちの栄耀栄華の儚さを表しているのでは?ともみられているよう。織田信長…明智光秀…豊臣秀吉…島津家久…石田光成…武田信玄…上杉謙信…登場人物の名前をみても、すごい時代だと思う。松尾芭蕉の詠んだ歌は、平泉で奥州藤原氏の栄華やこの地に散った義経公を思い書いたものだとは知ってはいても、元親の生きた
お昼休憩きょうは、12時頃の昼休憩そして、ゆとりがあったので事務所にてまったりランチ。もらったみかんもデザートに甘酸っぱくて美味しかったですみかんの美味しい季節、楽しみがまた1つ写真は、なんか慌てて撮ってお弁当の蓋を取り忘れるというそして、読書の秋で休憩中にちびちび読んでます家とかでガッツリ読みたいけど…そうすると目が…頭が…ぎゃぁ~・・・。と、なってしまうので休憩中のちびちび読みがちょうどよい今の休憩のお供は司馬遼太郎さんの
「持ち物に名を書くのは、戦場での緊張を求めるからだ」持ち物をなくしたのを恥じるために書く。深いですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
一斉休暇のない会社で働いてる私。今年の夏休みも夫の休みが流動的だったのもあり、ふたりで休める日が確定したのがお休みの3日前。コロナも気になるけど、息子も来年は中学だし、何かと忙しくなるだろうと慌てて宿探しをしました。で、高知と高松でお手頃価格のホテルが空いていたので予約しました。初日はまず高知まで行きました。高速道路も混んでるところはなくて快適。やや早めのお昼は、「土佐たたき道場」。自分でカツオを焼いて食べられるお店にしました。土佐たたき道場(桟橋通五丁目/魚介料理
男性自衛官との婚活のツボさんのブログです。
みんなこんにちわ(*^。^*)今日はうちのお店のユニークなライターを紹介するね❣色んなネーミングが面白いでしょ~♫リョウマの休日♪坂本龍馬!カツオ🐟長曾我部元親☆龍馬命💛💛💛お土産にも良いし☺自分用に買うのもどれにしようか迷っちゃう😂よね是非一度遊びに来てゆっくり見てみてね(*´▽`*)みんなが見に来てくれるのを待ってるからね~。※高知県須崎市にお越しの際はぜひお立ち寄り下さい(^∀^)ノ♪
Instagramに投稿しました画像と記事も併せて読んでいただけると嬉しいです5月15日は長宗我部盛親殿の没日であります皆さんはこの武将は知っているでしょうか?実は好きな作家さんの作品に長宗我部盛親の作画があるのですが、その前立てが気に入ってて作っていました兜には武将の想いを乗せるのですが【夢】を選ぶあたりが凄いです2014年の話ですこの年に姫路の歴史博物館とのイベントがありました甲冑隊になろう!というスタンプラリーを与えられましたあれから呼ばれることもないのですが、よ
南国市岡豊町に歴史民俗資料館へ行きたいですね(о´∀`о)桜が綺麗なんですよ(о´∀`о)桜が咲く頃に合わせてイベントもやっていますし(*´-`)戦国BASARAAmazon(アマゾン)1〜9,800円それに、戦国バサラシリーズにも登場している長曾我部元親に関する資料も閲覧できますしね(*´∀`)♪まぁ、コロナ云々でイベント開催しているかどうかは定かでないですが、今年は桜が咲いている頃に合わせて久し振りに見に行こうかと思います(о´∀`о)