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ゴールデンウィーク期間中、天気も良いので、はるばる横浜みなとみらいのワールドポーターズまで行ってきました。予想はしていましたが、駅からゾロゾロと歩いている人の多いこと多いこと。田舎者なので昔から人込みは苦手です。出不精なのも人混みが嫌だからというのが大きく影響しています。混んでいるときに混んでいる所に行ってどうするの?ってね。田舎者なので、みなとみらいの高層建築物を下から見上げて目が回る目が回る。みなとみらい名物の観覧車と帆船日本丸です。帆が上がっていると見映えがしそうですね
森野の苦手は、人のぬくもり。ベンチとか座ったときに前の人のぬくもりが残ってることあるじゃないですか。あの得体の知れないぬくもりが苦手と話す。時と場合によっては、私も苦手かも。暑い日に自分との温度差が違うと苦手。なんで、こんなにホットなのってことがある。ミコにとっては、冬場のベンチのぬくもりは得した気分になるようだ。冬場はね、ヒヤッとする方がいやだからね。私もぬくもりがあると嬉しいかも。ミコさんの苦手なものは、虫。今日は犬の散歩中ずっとついてきて、不快だった。なん
理論や体系を整備すること。ニュートン力学やガロア理論がニュートンやガロア自身の手によって学問的、数学的に整備された訳では無い。興奮と閃きが同居する人の脳内は必ずしも整然としたものではない。僕の理論や、作品などもいずれ誰かに整備されたいと思っている。人は1人では余りにもちっぽけだが錚々たる、才気優れる者たちの集積があれば宮殿は生まれる。僕は命がけで必死に生きた証をこの世に残そうとして実際残した。その重要性には自身があるが、大抵の人々から見れば奇書、奇作の類だろう。僕は時代を先駆けた活動をしてきた
図書館で最後に借りた本は?ディズニーミニチュアドレスと人形とお揃いの子供服の本新作作って着せますよ!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう定番イオン散策のあと内藤記念薬の博物館へ行ってきました内藤記念くすり博物館のご案内(eisai.co.jp)アクアトトからすぐ近く知ってる人は知ってるけど興味ない人は誰も知らないすごい博物館です一昔前のスキー場にありそうな建物ですが中は充実しています昔の薬の作り方や材料、販売方法までい
日本の自殺者は7年連続で減少しているという報道をされていますが、実態はむしろ増えているようです。遺書のない突発的な死を変死体と数えることにすることで自殺者を減少させたように見せただけということですね。変死体の数がここ10年間で5524人から1万819人と2倍に増えています。有効求人倍率も実際は増えているようで中身はパートや派遣が名ばかりの正社員募集にしただけで本当の正社員の求人は3割にも満たないと言われています。正社員募集でオレオレ詐欺の出し子や闇金の募集がありますか
******************自己啓発が大嫌いだった筆者が引き寄せの法則などの「現実創造」でどこまで人生が変わるのかを実験中******************こんにちは、あいです!意識の力を上手く使えば自分の望むものは何でも手に入る感謝すれば人生は上手くいく目の前の現実は全て自分が引き寄せているそんな風に言われたらあなたはどう思いますか?昔の私であれば冷ややかな目を向けていました。は?こいつの頭お花畑なの?そんなことできたら
最近,健康面で不安があるので,これは一種の遺書です.自分が超高速カメラの研究を始めたのは,卒業研究からだったが,卒業研究で,これって本当にシャッタリングできているのか?っていう疑問があって,修士課程で悩みに悩んで,超高速カメラではシャッタリングの同時刻性が重要になり,それを補正する必要があるって結論に至った.(博士論文取得後に,ノーベル賞受賞者のAhmedH.Zewail博士が同じ研究をしていることを知った)一度,メーカーに就職し,博士課程に再度戻って,超高速カメラの同時刻性の研究を
最近さ知人が亡くなったり倒れたりするケースが増えているもうオレも40代後半だからそういう年齢なんだろうね自分はいつ死んでもいいと思っているし倒れてもどうせ分からないからいいんだけど残された家族にはメッセージを残しておかなくちゃいけないだから遺書を書いておいたまぁ弁護士とかに託したものではないし今後どうすればいいかっていうメモみたいなものだけどまずは金の事ね妻は基本金のことは無頓着だからどこにどういう資産があってオレが死んだらどこに連絡しろとか伝えておかないとダメよ
土本彩香さんっていう34歳の看護師さんがいるんです。彼女は長崎県大村市で働いていて、卵巣がんや肺アスペルギルス症など、本当に大変な病気を何度も乗り越えてきたんですよ。病気が発覚したのは26歳の時で、新しい職場で頑張ろうとしていた矢先のことでした。治療はすごくきつかったみたいですが、土本さんはずっと強い気持ちを持っていたそうです。病室で一人でも、「これからの目標」ばかり考えて、書こうとした遺書には「元気になったら頑張りたい」という言葉が溢れていたんだとか。それからの彼女は、病気と向き合
土本彩香さん、34歳。長崎県大村市の看護師ですが、彼女の話はただの看護師の話じゃないですよ。彼女は卵巣がんや肺の病気を乗り越えて、また仕事に戻ったんです。そう簡単なことじゃありませんよね。2016年、仕事に力を入れようとしていた時に突然の激痛。病院行っても何も見つからなかったけど、病気の真相はもっと重かった。がんって診断されて、すぐに手術。家族もびっくりして、土本さんも怖かったと思います。でも、彼女は遺書を書くことになりながら、未来の目標を考えていたそうです。治療はキツかった。でも土
土本彩香さんは、卵巣がんという大きな病気を乗り越え、再び看護師として働くことができるようになった人です。彼女の話は、多くの人にとって大きな励みになると思います。病気を乗り越えた後、彼女は病室で遺書を書くと決めましたが、書き出したのは「これからの目標」だったそうです。土本さんのケースでは、2016年に突然の激痛を感じてから始まりました。医師からはがんの可能性があると告げられ、その後、急いで手術を行うことになります。病気との戦いは容易ではなく、抗がん剤治療を経てさらに肺アスペルギルス症にも苦し
土本彩香さん、34歳。長崎県大村市の看護師で、がんや重い病気を何度も乗り越えてきました。彼女の話は、本当にすごいですよ。最初は普通に仕事をしていたんですが、ある日突然、激しい腹痛が始まって、それががんのサインだったんです。その後、治療はかなり厳しくて、体はボロボロ、気持ちも落ち込むことが多かったそうです。でも、彼女は「元気になったらまた働きたい」と強く決意。病室で遺書を書こうとした時も、不思議と頭に浮かんだのは「これからやりたいこと」だけだったんだって。なんとか病気を乗り越えて、復職
長崎県大村市の看護師、土本彩香さん(34歳)は、卵巣がんや肺アスペルギルス症という重い病気を何度も乗り越えてきました。彼女が病室で遺書を書くことになった時、不思議と頭に浮かんだのは「これからやりたいこと」ばかり。そんな彼女の話は、多くの人にとって明日への希望になっています。2016年、土本さんは新しい職場での仕事を始めたばかりでしたが、突然の激痛に見舞われます。その後、病院での診断は卵巣がん。手術と長い治療が始まりましたが、その過程でさらに肺アスペルギルス症という別の病気も発覚し、生死の境
土本彩香さん、34歳、長崎県大村市の看護師さんは、卵巣がんや肺アスペルギルス症など、本当にきつい病気を何回も乗り越えてきました。2016年に突然、激痛が腹部に走ったことから始まりました。その後、がんの診断を受け、生きるか死ぬかの境界線で戦いました。治療は想像以上にきつかったですが、土本さんはずっと強い決意を持ち続けていました。特に印象的だったのは、病気と向き合う中で、これから何を成し遂げたいか、という目標が明確になったことです。病室で遺書を書こうとした時、彼女の頭に浮かんだのは死ぬこ
土本彩香さん、34歳、長崎県大村市出身の看護師さんの話だよ。彼女は卵巣がんと肺アスペルギルス症、それにギラン・バレー症候群という重い病気を何度も乗り越えて、看護師として働き続けているんだ。2016年に病気が発覚してから、彼女は何度も命の危機に直面しながらも、いつも前向きに、病気と闘ってきた。特に印象深いのは、死を覚悟した夜、病室で遺書を書こうとしたけど、書き出したのは「これからの目標」だったこと。彼女は、患者としての経験を生かして、他の患者さんにもっと寄り添える看護師になりたいと強く思った
土本彩香さん、34歳。彼女の話は、ただすごいって言うだけじゃ足りないよ。卵巣がんや肺アスペルギルス症など、次から次へと襲ってくる大変な病気を乗り越えて、看護師としてまた働いてるんだ。土本さんが長崎新聞に投稿した体験談は、多くの人に影響を与えているよ。2016年、仕事を頑張ろうとしていた時に突然、激痛が彼女を襲ったんだ。それががんの始まりだった。手術やキツい抗がん剤治療を耐え抜いて、一時は歩けなくなるほどまでになった。でも、彼女は諦めなかった。病院のベッドで、死を覚悟しながらも彼女が書いた遺
土本彩香さんは、卵巣がんや肺アスペルギルス症など、重い病気を何度も乗り越えた34歳の看護師です。彼女の話は、病気と向き合う人々にとって大きな励みになっています。土本さんは、2016年に突然の激痛を感じて病院に行き、卵巣がんと診断されました。その後、長い治療を経て、一時は歩けなくなるほど体力を消耗しましたが、諦めることなく闘病生活を続けました。彼女の物語は、どんな困難な状況でも前向きに生きる姿勢を私たちに教えてくれます。特に、遺書を書くと決めた時に、彼女が思い浮かべたのは死ではなく、これから
土本彩香さんは、がんや肺の病気を乗り越え、再び看護師として働くことができるようになったすごい人だよ。彼女の話を聞いて、どんな困難も乗り越えられるって感じた。土本さんが最初に病気になったとき、ただの腹痛かと思ってたけど、実は卵巣がんだったんだって。そこから、手術や治療を経て、一時は本当に歩けなくなっちゃうほど弱ったんだけど、彼女はめげなかったんだ。看護師として復帰した後も、体には色々問題が残ったけど、土本さんは患者さんに寄り添うことをやめなかった。病室で遺書を書くはずが、不思議と目標ば
あの人(元夫)の実家に入って数年後、ある日私は突然強い股関節の痛みに襲われた。すぐに総合病院の整形外科にかかり、レントゲンを撮ったら、骨盤が曲がっていたようだった。とりあえず痛み止めの内服薬と湿布をもらい、それから痛みに耐えて、やっと歩いていた。この事がきっかけで私は酷いうつ病になり、精神科で、かなり強い抗うつ薬を出され飲んでいた。自分で起き上がる事もできず、あの人と新婚の頃以来、2人並んで寝る事になった。あの時あの人は、とても優しかった。寝る時は手を握ってくれたり、朝は手を添えて起
本日まで世田谷『うめとぴあ』で開催中のイタコト展と介護・終活・障がい福祉展へ🚶♀️誰しもの心の中にきっと存在する心のこり覗いて触れて感情移入してきました💞素晴らしい取り組みをされている株式会社itakoto社長の伊賀都音さんと😊【日時】4/21(日)10時〜17時【場所】世田谷区松原6-37-10入場無料です。お近くの方はぜひ🌈https://note.com/itakoto_life/n/n33cafa655ad8【お知らせ💡】東京都世田谷区にてイタコト展開催決
介護が終わって、少し気が楽になったと思ったら、また地獄のような毎日。深い深い沼に落ちてしまった。父のように遺書にいい人生だったとは書けない。
こんにちは、ワナオです昨日までのポカポカ陽気は一旦お休みに入り、ここ暫くぐずついた天気が続く様です。(天気が良いのと悪いのとでは何となく気持ちが違いますね)昨日は父の葬儀で帰省していた弟夫婦一家も帰路に着き、超快晴の青空の下、空港✈️へ見送りに。機内からも撮られて居るとは気付かず、妻と可笑しなダンスをしてました笑笑。その後、父の遺産の相続の件で、行政書士さんの所へ。一応、遺言は書いてあり、母にそのまま財産を譲るという文言もあったそうですが、名前、日付は添えてあったけども肝心なハン
言葉の審問官です。「置き手紙」です。ある人の遺書を連想してしまいます。部屋はきれいに片付けられていて何通かの封筒があったそうです。ダムに重しを抱いて飛び込んだということです。飛び込む前に警察に電話を入れて「後はよろしくお願いします」と言っていたとか。お母さんがなくなって、その後追い自殺だったようです。死ぬほどの覚悟があったら何でもできそうな気がしますが…。鬱だったのでしょうか。次回更新は、4月25日です。またのぞいてみてください。
45歳になるとアメリカでは大腸癌の内視鏡検査が保険でカバーされるようで、内視鏡検査をすることにしました。大腸癌はかなり増えてきている癌のようですし、大腸癌で天国に行った知人も二人おりますし、検査はできる時にしておいた方が良いと思いました。金曜に検査を控え、数日前に病院から電話がありました。検査の流れとか、準備の仕方とかの説明。糖尿病はあるか、甲状腺の病気はあるか、基礎疾患はあるか、アレルギーはあるか、今まで全身麻酔で手術したことがあるか、送迎は誰がするのか、送迎する人の連絡先など聞かれ
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me新学期となり、教鞭をとる獨協大学経済学部でのゼミがスタート。「体が動くうちに、ゼミ生たちにモリタクイズムを叩き込みたい」と熱く燃えている。「教え子のために少なくとも半年、理想は2年後まで生きたい」と本音をもらす森永氏。病と闘いながら“遺書”となる覚悟で書き上げた新刊『書いてはいけない』も大反響を呼んでいる。3つのタブーに斬り込んだという内容に、読者からはどんな声が届いてい
棺桶に入り、写真を撮り、自分の死をみつめる...Z世代の起業家が、終わりをテーマに事業を展開してるらし。彼の会社は、むじょうと言い、漢字で書くと、無常になると。無常とは、仏教の考えで、すべてのものは、絶えず変わり続け、常に同じ状態にあるものはない。それを受け入れるという思想なんやって。で、この無常観。死が日常の中に、当たり前にある。それを体感してもらいたいと、ある試みを始めたと。それが、棺桶写真館なんやそうな。生きている人が、遺書を書いた後に、真っ白な棺桶に入り、その姿を撮影す
こんばんは!!やっと書き終えました!!あとは遺書だけです。いつ亡くなるか分からないので生きているうちに書きます!!
父親の遺書の中に、死んでも誰にも知らせないようにと書かれていたので、会社くらいにしか言わなかった。葬儀が終わってから、仲よのかった友人にだけメールしたら、友人の父も生命維持装置をつけている状態らしく、お互い香典なしねと話をしたら、それから2週間後、友人の子供から亡くなったとLINEがきた。今の自分に慰めの言葉なんかかけてあげることができないので、少し時間がたってから、お線香をあげに行こうと思う。
怒涛の新学期やっとブログ書けますいやあ記憶がない誰の顔みても余裕ないでも特攻隊の人の遺書や出来事を読んでこんなの比じゃないしあわせだって思う