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まあ『変な意味じゃ無く、地球上で究極の純サッカー相思相愛。は、この2人。』だと思ったので、僕は、このイラストは『タダで描いて、『週刊朝日の似顔絵塾』に投稿させて頂きました。
以前にもリブログしているが、再掲と思ったら、つい最近だった。
週刊朝日に、『宣伝目的で、ただで描いてあげた『なでしこジャパン、応援イラスト。』です。
虫プロ商事が不渡手形を出したと言う記事です。この約2ヶ月後には虫プロ本体も倒産して手塚先生は大変な時代になっていきます。商事の時点で記事になったのは珍しいでしょうか?。#手塚治虫http://phoenix.to/asahi/73/2862.html
こんな記事を売り物にしてれば、そりゃ潰れるわなぁ
吉村昭三部作が完結し、それに対する評価かどうかわかりませんが、日本文藝家協会から推薦入会をいただいて、さて、次。取材を始めています。いつもこの時期に「次作に向けてご奮闘を」という激励をくださるのは、文藝春秋元役員で小説家に転身した羽鳥好之さん。有難いお言葉です。わたしの場合、本が出来上がったときというのは、さほどうれしくないのです。文芸の老舗出版社から刊行となった三部作の三作目のときでさえ。できるかどうかわからない。いつもそこから始まる。ハラハラ、ドキドキ。万策尽きたと思っても、なんとか活路
2019年ここ数年で、人気番組が次々と終わってしまったことや、ニュースが偏向報道ばかりしていることもありますが、テレビがつまらないという声をよく聞きます。ジェイムス・ヘイブンスさんのラジオ局「HEARTFM」のように、個人が自分のテレビ局を開局したら、テレビはまだネットと互角に渡り合えるように思います。4月2日は○週刊誌の日。1922年のこの日、『週刊朝日』と『サンデー毎日』が創刊された。それぞれ、今日で102周年です。
週刊誌の日(4月2日記念日)1922年(大正11年)のこの日、「週刊朝日」と「サンデー毎日」が同時に発刊された。「週刊朝日」は旬刊からの切り替え。伝統あるこの2誌は、朝日が「ロンドンタイムス」の日曜版、毎日がアイルランドの「サンデー・トリビューン」にならって編集。朝日は「検閲官が映画を殺すか」、毎日は「産児調整か生み放題、死に放題か」が目玉記事だった。
4月2日火曜日皆様おはようございます。体調はGOODですか?うがい、手洗い、消毒は欠かさずおこなっていますか?今日は「週刊誌の日」「図書館開設記念日」「歯列矯正の日」です。まず「週刊誌の日」から。なぜ4月2日が「週刊誌の日」なのかというと、1922年4月2日に『週刊朝日』と『サンデー毎日』が創刊された事が由来となっています。「週刊朝日」「サンデー毎日」は現在でも刊行が続けられているため、どれだけ日本人に愛読されてきたかがわかります。実は週刊朝日については創刊された当時は週刊ではなく旬
国立大学前期の合格発表とともに賑わうのが、東大を筆頭とする各大学への高校別合格者数ですね。昔は東大や東工大なども後期試験で若干合格者を出していたので、後期試験の結果の後に「おー、この学校後期でこれだけ上澄みしたのかぁ!」なんていう楽しみもあったのですが今は多くの人が注目する大学の合格者数は前期試験までで出揃うので、その辺が盛り上がりのピークですね。とはいえ、サンデー毎日見ると、年中何かしらの大学実績的なものを載せていますし、今回の結果についても6月くらいまでは色々なものさしでずっと
手塚治虫社長が「鉄腕アトム」のアメリカでの残酷場面での倫理規定について談話を出しています。ここではお決まりっぽい発言ですが,後のアトム単行本の前説では漫画家としての本音が語られています。#手塚治虫http://phoenix.to/asahi/64/2379.html
片隅に週刊誌の切り抜きがあったーーー(週刊朝日'97/5p.33)。大手4社+その他(丸三岡三山種勧角など)野村(50兆預り)大和(40)日興(35)山一(30)外債ブームだけど証券は大丈夫?銀行と合併?
サンデー毎日の発売日ですね。ネットの情報も含めて、2024年の理三合格者の出身高校データが揃ってきました。私は理三出身でも何でもありませんが毎年気になります。各媒体のデータをまとめると、灘、開成、桜蔭12筑波大附駒場8東海5愛光3聖光3渋渋、洛南2あとは1名の高校です。そのうち公立は山形東東葛飾西新潟高志甲陵岡崎洛北茨木米子東大分上野丘です。公立高出身ということは、中学で数学の先取りをしていない可能性もあり、そこから3-4年で理三
丸かじりシリーズ(47)カレーライスの丸かじりAmazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}「週刊朝日」の休刊に伴い、これで最後になってしまった名シリーズ。同じ雑誌で36年間も連載を続けたという事実に驚愕。よくぞまぁ、そんなにもネタがあるなと思うが、最終回では「まだまだある」とのこと。さすがの一言に尽きる。
漫画家絵本の会15周年で出版した「10人の漫画家の10の旅」出版記念パーティのレポートが掲載。同本のカバー裏には最晩年の自画像も。でも手塚先生って大柄な方だった印象ですけど,他の方々もみんな大きい方ばかりでビックリ。#手塚治虫http://phoenix.to/asahi/88/01-22.html
SnowMan渡辺翔太くんが表紙「週刊朝日」amzn.to/3sZU1CC#SnowMan#岩本照#深澤辰哉#ラウール#渡辺翔太#向井康二#阿部亮平#目黒蓮#宮舘涼太#佐久間大介#adにゃー@konkon77310:11
朝の新聞の週刊詩広告、コメディアン松本人志の名前が大きく、写真付きで、、。事実はどうあれ、彼の言動は、今、何かと週刊誌やマスコミを賑わせてます。この本を書いたのは、その松本人志です。「けんさん、おはよう」、ナント、びっくり、松本人志の本が本棚の隅っこに、。「けんさんが買ったんですね」、側に好きな中国批判の本も並んでいましたよ、。遺書松本人志著朝日新聞社1000円彼が若いころ、「週刊朝日」にエッセイを書いていました。30年ほど前です。「週刊朝日」、
著者はコメディアン、松本人志です。今話題の人ですね。事実はどうあれ、その言動が週刊誌やマスコミをにぎわしています。松本人志が若いころ、「週間朝日」にエッセイの連載を書いていました。1993年7月16日号~1994年7月22号です。遺書松本人志著朝日新聞社1000円著者はコメディアンだからかな、彼の書くエッセイにも、彼らしいドッキリ表現があったり、「おやまあ、、」との書き方もあるけれども、、そこは、「週刊朝日」の連載です。笑ってスイスイと読み進めていきました。
週刊朝日は無くなったが、古賀茂明って人は今も反アベ芸人らしい
2024年1月27日これが最後の「丸かじり」になるのではないか、と思っていました。シリーズ第47弾です。「いました」と過去形になっているワケは、後で分かります。今回のタイトルは、表紙を見れば分かりますが、この本の帯に載っていたコピーを、そのまんま拝借しました。そのまんまで思い出しましたが、東国原英夫氏は、以前週刊文春の記事について名誉毀損で提訴して裁判で勝訴したそうですね。あの正義と真実を謳う週刊文春でも敗訴することが、過去にあったとは知りませんでした。
モーリ隊員素晴らしいです❗️ミッションより嬉しいです❗️このインタビュー記事探していたんです‼️『1965年の週刊誌より』1965年4月の梅田コマ劇場でのミュージカル「王様と私」は大変好評で、当時11才の岡崎友紀さんは雑誌のインタビューを受けました。週刊朝日1965年5月7日号の…ameblo.jp1965年4月梅田コマ劇場ミュージカル「王様と私」に出演中に内海重典さんにインタビューされた週刊朝日の記事です初めて取材を受けた記念すべき記事なのです私は11歳の時から
第43巻「濃尾三州」の桶狭間、三方ヶ原で絶筆になったのを知る。昭和46ねん1月1日から平成83月15日(1146回)の週刊朝日に25年という長期間連載された大作である。正確には読み終えたのではなく聞き終えたのである。連載期間は私は一度も読んでいない。仕事に忙しい年代だったから緑内障で視覚障害になって、点字図書館のおかげで、全巻を聞きとおすことができたのです。日本の歴史をこんなに興味深く勉強出来て大変幸せです。司馬さん有難うございます。そんな新春でした。写真です。白馬から昨日送られ
日本文藝家協会前理事長で、直木賞作家の出久根達郎さんより、新刊のご著書をいただきました。商業出版ではない背景があるようです。出久根さんとは、四半世紀ほど前「週刊朝日」の夫婦のインタビューが出会い。その後、『食と酒吉村昭の流儀』(小学館文庫)刊行の折、解説と帯の推薦文をいただきました。さらに、昨年冨士霊園にある「文学者の墓」の墓前祭に伺った際、出久根さんが委員長をされていることを知りました。出会いがあってもその場限りになることが多い中、ご縁が続いていくのは有難いことです。作家デビューを果たして
週刊朝日でやっていた篠山紀信さんの女子大生シリーズに父が私の写真を勝手に送り応募した事がありました😅するとなんと週刊朝日さんから連絡が。。。私と母はなんのこと?と言う状態で、よく聞いてみると篠山紀信さんが写真を撮ってくださるというお話でも短大も当時は芸能活動とかNGでしたので残念ながらお断りをそしてこの仕事を始めて、篠山紀信さんに撮影をして頂ける機会があり、そのお話もさせて頂きました撮影しながら色々お話をしていて、その頃よく黒木瞳さんに似ていると言って頂く事があり😅そんな話もしたら
篠山紀信さんの訃報。ショックでした。私は週刊朝日の表紙『紀信の表紙写真館』に出たことから特撮ヒロインになりました。普通の女子大生だった私が面接で朝日新聞本社にドキドキしながら行って初めて紀信さんに会った時のこと、はっきり覚えてます。撮影の日は薄曇り。青山墓地でした。ど素人だったのに、撮影始まったら紀信さんの声だけが聞こえて別世界にいるような高揚感。写真撮られるってこんなに興奮するものなんだ、、って思いました。コラム用のインタビューは六本木のキャンティでパス
篠山紀信さんは僕らの青春時代の憧れの人でした。GOROのグラビアは今号は誰だろう?と楽しみでした。そして時代はヘアヌード時代へ突入。思春期のぼくらの神様でしたねえ。この写真は、熊本大学に通学していた宮崎美子さんが篠山紀信さんの撮影で週刊朝日だったかなあ?表紙を飾った写真ですね。衝撃でしたね。一般の女子大生が表紙を飾ったシリーズはのちに斉藤慶子さんに繋がり。。篠山紀信さん、ありがとうございました。
三島由紀夫さんやジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、山口百恵さんら、60年以上にわたって時代を象徴する人物やものごとを撮影し、「激写」シリーズなどで知られる写真家・篠山紀信(しのやま・きしん、本名・紀信=みちのぶ)さんが4日、亡くなった。83歳だった。妻は元歌手の南沙織さん、次男はタレントの篠山輝信(あきのぶ)さん。写真家・篠山紀信さん死去、83歳「週刊朝日」や「激写」シリーズ(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース三島由紀夫さんやジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、山口
今年の読書目標だったショージくんの「丸かじり」シリーズの全巻読破。最新刊の「丼めしの丸かじり」でいったん成就しました(^^♪国鉄分割民営化の翌年の1988(昭和63)年に第1巻が刊行されて以来35年間。「丼めし~」まで46巻です。1編が10分ほどで読める食のエッセイ。全編傑作とまではいいませんが、よくもまあ、こんな発想が浮かんでくるものだなぁと感心して、ニヤニヤしたり爆笑したり・・・。連載していた「週刊朝日」が休刊したため、来年1月に最後の1巻が刊行されればおしまいになるのかな。
はがき値上げでラジオ界にも打撃文化作ってきた“ハガキ職人”という存在(オリコン)-Yahoo!ニュースたまにラジオも聞くけどちょっと信じがたいないまだにハガキで投稿してるって(もちろん、番組の趣やリスナー層の違いにもよるけれど、それにしたって多くはないだろ)。ケータイ持ってない俺からしても信じられないwハガキの値上げにかこつけた牽強付会の疑いあり😒「今回の値上げはラジオ界にとって打撃となるといっても過言ではないだろう」いや、過言だと思う(苦笑)。もともとメールの方が金かから