この美江寺宿は小宿であった。開設時には本陣、旅籠、茶屋もなく道筋の農村に過ぎなかった。通行者の増加により宿場開設から32年後の寛文9年(1669)加納藩による本陣が開設された。宝暦3年(1753)には旅籠9軒、茶屋2軒となってようやく宿場らしくなった。この美江寺宿を西から樽見鉄道の美江寺踏切を越えてきて美江寺の一里塚跡までいきました。このすぐ先に造り酒屋布屋があります。濃尾地震で宿内唯一残った商家になります。前方に美江寺の交差点があり、右手美江神社があります。古代には美江神明と称された産土神。の