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こんにちは。今回もこのところ続けています令和5年弥生の近江小遠征からになります。前回の長浜より少し南へ下ったところ=彦根からです。どうぞよろしくお願いいたします。井伊直政(彦根駅)このブログではたびたび登場する赤鬼さん。しかし、彦根に来たらご挨拶せねばなりません。一応、駅前銅像なので、駅名がわかるもの↑も載せときます。まあ、何せ、カッコイイですよ。ちなみに左上のホテルに泊まりました。御城印風シールがたくさん販売されていることで有名ですね。続いては、、、井伊直弼(
Gカップグラビアアイドル浅川まりな(あさかわまりな)プロフィール女優グラドル生年月日身長168cmスリーサイズB91W64H97バストカップGカップ赤備え中も赤ビキニ👙©浅川まりなInstagram広告Amazon浅川まりな/青春グラフィティ[DVD]Amazon(アマゾン)1,903〜8,175円${EVENT_LABEL_01_TEXT}浅川まりなむちっとラブ[DVD]Amazon(アマゾン)1,139〜7,962円${EV
「大阪城の梅林」2月4日(日)尼崎のソコココにも“梅の花”が咲き始めた!そんな“気”にまるで背中を押されるような感じで“大阪城の梅林”へ向かった曇天でしたが大阪城公園に到着すると陽がさしてきて青空がみえてくるではありませんか天啓ありがとうございまぁす\(^o^)/大阪城はりりしく!黄色咲きの梅ってあるんですね(^-^)ローソンでこうたコーヒーをすすっておりますと・みみずく使い・六文銭赤備えの真田の武者・たぁくさんのワンちゃんなんかがいててぇ・・・だてひろしはおもいま
皆様!年末お疲れ様でした!にわとりです!m(__)m私、12/31から風邪引いてしまいまして(-ω-;なかなかの年末年始を過ごしております。明日から仕事だと言うのに...。そして「漢気!オレジム祭り2023」に参加された皆様!非常に多くのコメをありがとうございます!まだ回りきれてもないし、コメ返しきれてません!本当にゴメンなさい!m(__)mんで、今回の設定のご紹介をしようかと思いまして。まず「赤備え」戦国時代から江戸時代にかけて行われた軍団編成の一種。構成員が
こんばんは✨🙋♂️また夕方🌦️湿気がすごい🥵家康ギャラリー井伊直政赤備えを着る!きのうの歴史探偵家康コラボで殿は紺で統一💜
ま、分かり易い例へやとシャア専用機が、それに当たるやろし^^vこの赤いバルブさえ無かったら・・・せんかったのに・・・・探してもて・・・それも必死こいて探し見つけてもうたよってやる羽目に成ってしもてんオール赤に・・・・・7/5(水)到着国内購入赤ハウジング2ヶ、7600円也7/8(土)到着、国内購入ポリウレタンチューブ20㍍、2195円也(JIS規格)7/18(火)到着、ちゅ〜国から輸入1/4ハードチューブ4㍍、1047円也色目を見てみるがちゅ〜国からのんわピ
(。・x・)ゞクポ暑さがましになった気がするクポ合戦頑張れそうな気がするクポヽ(´Д`;≡;´Д`)丿北海道の方が暑いクポこの数日、暑い空気が北の方に行ってたのクポ35℃を超えると、油断してると死にそうになるクポヾ(。`Д´。)ノ彡ネッククーラーをつけるクポ【在庫限り】\楽天総合1位☆2023NEW/3時間以上長持ちクールリング熱中症対策最強28℃18℃ネッククーラー冷感子供リングひんやりキッズリングアイス首冷却タオル大人クー
笹尾山の石田三成陣跡近辺の史跡を巡り、関ヶ原戦国甲冑館へ。甲冑を間近に見られると聞いていたので、こちらも是非とも行きたかった場所です。民家の中にありますが、幟が見えるのですぐにわかりました。大一大万大吉の陣幕にテンション爆上がりです。うおおー!心の声です。評定でもされているのかと思いましたが、そうではないようです。真ん中の鎧は革でできているので、おそらく元服で使用したものだろうと館長さん。右のものは鉄製です。比べると厚みが違うのがわかりますね。陣笠これは内側に名前が書いてありました
現場入りまで少し時間があったので、長野県上田駅前をちょこっと散策♪上田と言えば♪御存知『真田一族』のお膝元♪オイラも昔、芝居やってた頃に何度か「真田十勇士」の「三好清海入道」を演じさせて頂いた事もあり、個人的に縁の有る土地…だと勝手に思い込んでいる場所です。wwwホームから改札に向かうと、先ずは『真田の赤備え』がお出迎え✨戦場で非常に目立つ「赤備え」は勇猛果敢な武士しか着ることは許されなかったそうで…きっとガンダムの「赤い彗星」も、この「赤備え」がヒントになったに違いない?(あくまで
浜松秋葉神社は、「井伊の赤備え」発祥の地。「赤備え」とは、武田信玄が率いた精鋭部隊。井伊直政は、徳川家康にその精鋭部隊を任されました。小牧・長久手の戦いでは、直政が先鋒を命じられ、「井伊の赤備え」70名が秋葉神社に血判状を奉納。武功をあげた「井伊の赤備え」は、その名を天下に轟かせました。浜松秋葉神社
大河ドラマ「どうする家康」放送中ですね〜今回の放送でついに井伊直政に武田の赤備えが与えられましたね。菩提寺である浜松市北区にある龍潭寺の近くにあります地域遺産センターで「戦国の井伊谷」展がおこなわれています。地域遺産センターとは、旧引佐(いなさ)町役場を改装して作られた施設です。現在はなんと以前の大河ドラマ「井伊直虎」のドラマ関連の資料が展示されています。とても懐かしい説明資料ですね〜当時のポスターも見ることができます。当時の撮影資料なども見ることができますよ。期
Amに日曜一番用事あり。そのまま滋賀へ突っ走りました。久々の彦根です。目には琵琶湖は入るが彦根城、多賀大社、新幹線といったところで通りますから彦根港という名詞やイメージってないですね。新鮮な彦根にたどり着きました。ちっこいのが竹生島ですか?ちがいました高いのが比良山系になるようですね。湖西と湖東私の地理感覚では全くつながらない。鉄道や道路ではね。でも琵琶湖跨げば向かいなんだ。長浜と今津から船が出ている
山県昌景(やまがたまさかげ)は、武田氏の侍大将として知られる武将です。綺羅星の如くいる武田氏の武将の中でも、とくに武田四天王と呼ばれた将の一人です。また、武田軍団の代表的な部隊である「赤備え」を率いたことでも有名です。彼は戦場でその名を馳せていますが、実際には奉行や外交においてもその手腕をマルチに発揮し高い評価を得ています。■『どうする家康』での山県昌景大河ドラマ『どうする家康』では、橋本さとしさんが威風堂々な武田の筆頭家老といった姿を披露してくれています。山県昌景は一般的には、豪傑な
NHKの大河ドラマ「どうする家康」またまた出ました~設楽ヶ原の戦いで武田軍の赤備えの騎馬隊が突進するシーン。私はTVゲームはやりませんが、「ゲームの映像だぁ~」と思ってしまいました。初回にも馬を使ったシーンがあって違和感アリアリでしたので、またやるかぁ~と笑ってしまいました。そりゃあ、「馬が集められん、危険性が高い、乗り手がいない、場所を確保出来ない」など理由はたくさんあるでしょう。非難するつもりは毛頭ありません。今の時代に合わせた作り方なんだと思います。でも心の中では、「実写で見たかっ
私、赤が、大好きなんです…この色は落ち着きかつ、テンション上がる!東京に居た時は、窓は真っ赤なブラインドで、ベットは真っ赤だった。当時からパンツも赤。映画『軽蔑』も赤と白、そして青が良かったね…コレも。服も赤が好きで探すのだが…田舎故、近所のユニクロ、イオン、シマムラに行ってみると…「全部、中間色のクスんだダッサイ色の服のセンスばっかりに『心底ウンザリする…』」唖然…心底ガッカリ…仕方がないので、ネットで探すも、赤の無地のTシャツ(長袖)は、私の(簡単に)調べる限り
☆前回のオーダーグラブ紹介はこちらより☆『【ZETT196型今宮モデル】お客様のオーダーグラブをご紹介vol.324』☆前回のオーダーグラブ紹介はこちらより☆『【ミズノタティスJr.モデル】お客様のオーダーグラブをご紹介vol.323』☆前回のオーダーグラブ紹介はこちらより…ameblo.jpどうも皆さん、おはようございます☀️ツボイスポーツの後藤です⚾️MizunoミズノMizunoProミズノプロ軟式用OPオーダーグラブ一塁手用クロスウェブモデル本体カラーレ
こんにちは。一気に夏がやってきたような暑さになってきましたね。昨年も書いたかもしれませんが春と秋が短く感じられるようになってやしませんかネ。戦国時代は寒冷期だったようですが、現在は温暖期なのでしょうか?さてさて大坂城界隈も終わりが見えてまいりました。大坂城の南側をテクテク歩きます。大坂城と真田丸の間にあった空堀跡は町名になって残っているのですね。かつて真田丸のあたりは真田山というそうです。宰相とは誰のことでしょうか?真田さん?こちらも真田丸の一部とされてい
イメージ画像です。スポニチ5/18(木)14:27新しい兜の詳細はエ軍がまだ使っていないことから「現時点では非公表」としているが、桐田社長は以前、スポニチ本紙の取材に対し「現在の兜は色がチームカラーと違うので、次は赤色の兜を提供できれば」と語っている。“ニュー兜”はいつ、どんな形でお披露目されるのか。最初にかぶるのは大谷翔平か。ますます話題になりそうだ。大谷翔平擁するエンゼルスに“ニュー兜”が!「安全面への不安を解消するため」新しい兜を提供(スポニチアネックス)
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。NHK大河ドラマ「どうする家康」では進軍する武田軍の軍隊を赤一色で表し、わかりやすく表現されていました。これが戦国時代に生まれた「赤備え」甲州武田軍から始まったと伝わるものです。ドラマの中では武田軍=全体が赤の軍隊のように表されていましたが、戦国時代当時の「赤備え」は武田軍の中の一部の精鋭部隊のみが身につけたものと伝わっています。この武田が用いた「赤」の色につ
「メタル製ストラップホールストラッパー」と「広島ジビエレザー×カープユニフォーム型スマホクリーナー」を勝手に合わせて、赤備え!!以前広島東洋カープ・ファン俱楽部にて頂いたネックストラップを再利用出来ます!
真田家の家紋と言えば、六文銭(ろくもんせん)。六連銭(むつれんせん)、真田銭、真田六文銭とも呼ばれる。由来は、死後にあの世でお金に困らないようにとか、三途の川を渡るための料金のための副葬品。これが家紋になったもの。真田信繁(幸村)の胸にあります。上田城内、眞田神社のジャンボ兜にも。真田信繁の兜にもあります。展示台にも。眞田昌幸の鎧の下の方兜の下、首のあたりにもあります。武具、真田氏関係の展示に六文銭があるのは当然ですが、それ以外にも街中に多く
3月13日、北陸新幹線上田駅へ。上田駅で早くも赤備えがお出迎え。駅前ロータリーには真田信繁(真田幸村)真田信繁が本来の名で、幸村は後世に付けられて広く認知されたもの。後ろから見ると迫力が減りますね。笑住宅や商店がある中を進むと、城壁っぽい場所へ。堀の向こうには城門長野県上田高等学校旧武家屋敷の跡地をそのまま学校にしています。土塁と堀に囲まれた難攻不落の学校上田市役所や上田市立第二中学校の横を西へ進む。向こうに見える木々が上田城。
2020年に発売された、ニッポン城めぐりオリジナルのブックカバー。「日本100名城」や「厳選24城スタンプラリー」のスタンプ帳、各種ガイドブックのブックカバーとして、おかげさまで多くの方に様々な用途で活用頂いています。このブックカバーに、このたび新色が登場します!その色とは、“赤備えと黒備え”です!!すでに城の日のブログで先出ししてるから既視感は満載なわけですが、半透明だったこれまでのブックカバーとは、またひと味もふた味も違うカッコ良さが溢れています。もちろん、金色
アンコンシャスバイアスは、無意識の思い込み、偏見と訳される。日本って国は、かなりこれが強く、多様性の障害となっていると思う。身近な例だと赤とかピンクは、女の子の色。青は男の子の色とか花を飾るのは女の子らしいとか。私の会社にフランスのソフトウェア会社の社長が訪れた事があった。彼は、真っ赤なジャケットを着ていた。(写真は例です)本当は、もっと派手な赤でした(笑)勇ましい例だと"赤備え"なんてのもある赤は血の色でもある。ピンクのブ
テーマ:普通の城・歴史高崎城二回目の攻略です今回は御城印入手のため攻略しました2022年11月25日14:39見所はこの二枚で充分か・・・文開堂書店高崎城の御城印は公的な機関は関与しておらず、個人の方が観光課へ一報を入れたうえでご自由にどうぞということで販売しているそうです。なので色々なバージョンがあるのも納得ですね2023年1月8日時点の登録枚数は27種類です。(攻城団より)14:50滞在時間は10分ほどでした。
彦根城の中にある彦根城博物館に行きました。たまたまお邪魔した時期が井伊家の刀剣の展示をやっていたので見学しました。入場料は天守の入場料とセットだったのでお得です。ちょうどNHKの趣味どきっで刀剣を特集していたのを視聴していたのでタイムリーでした。井伊家は徳川の譜代大名でも名門なので様々な名刀を保有していましたが、関東大震災の際に被災し、刀が焼けてしまったり、終戦後米軍に接取されたりしたので400振り以上あった刀剣が完全な姿で残っているのは60振りとの事。そのうちの30振りを公開
週末は長野県上田市に行ってきました納税してるんでね、しっかり全国旅行支援を使います土曜日の夕方、生島足島神社に立ち寄り七五三、紅葉、まっさかり真田幸村の菊人形…夕方でまぁまぁ寒い…ヤバい💦今夜の飲み歩き凍えるかも上田飲みスタート鳥友倭らく、ここは予約して訪問広い店なのにこの日はすべて予約で満席お通しが3品も出てきた韓国方式か?上田と言えば、美味だれ文化なんですおいだれと読みますお値段やすっ!おまかせ盛合せレバーとか大きいぞ!こちらが美味だれここは漬けるタイ
お疲れ様です〜いやいや、、お疲れ様でした、一週間‼️今月は、法改正で色々と忙しい月でした💦なんとか落ち着きましたが、、別件で、来週一杯忙しいです(T.T)さてさて、、実は、コソコソとガンプラ進めてました(笑)武者ガンダムですね^_^確か、このプラモは、ガンダム無双というゲームで出てくるガンダムだったと思いますが??とりあえず、デフォルトのカラーを多少変えまして、、我が家の御先祖のお館様、、武田勝頼公をイメージしております^_^赤備えをこれでもかって
こんにちは。毎日暑い日が続きますが、来週は雨も降るようで少しは暑さも緩む予報が出ております尾張地方。段々と四季感が薄れていき、「日本にもかつては四季があった」なんて言われる時代もそう遠くはないのかもしれません。サハラ砂漠も草原だったことを思えば無くは無いかと。さてさて彦根城シリーズもいよいよ終わりが見えてまいりました。今回は城の麓の御殿に入ってみたいと思います。藩主が生活していた御殿跡。彦根城博物館として1987年に復元されたようです。こちらは関ケ原で直政公が着用した
関ヶ原駅の北には、関ヶ原合戦で東軍に参加した井伊直政・松平忠吉の陣跡があります。井伊直政戦国時代から安土桃山時代の武将・大名。井伊氏第20代当主。彦根藩初代藩主。徳川四天王の一人。井伊氏は井伊谷の国人領主。永禄4年(1561年)井伊直親の嫡男として生まれる。幼名は虎松。*大河ドラマおんな城主直虎で井伊氏と徳川家康の関係が放送されたので割愛。徳川家康に見出され、小姓に取り立てられる。元服して直政と名乗る。天正10年(1582年)本能寺の変で家康と堺に帯同。伊賀越えから本国三