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認知症両親の介護や妹たちとの関係がうまくいっていなかったとき。なんだかぎくしゃくしてイライラしていたとき。自分の態度や考え方や事実の受け取り方、なかなか尖っていました。ツンツンして余裕がなくて、こうでなくちゃいけなくて、なんでわかってくれないの?!(怒)などと。無駄に力が入って、強力な感情のパワーに振り回され、自分を持て余しているような感じです。それじゃ疲れるでしょ!当時、親世代の落ち着いた方にアドバイスを稀にいただいていましたが、ちっとも私のささくれて尖った心に入ってき
自分を励ましたいとき、あと一息頑張ろう、とかそういうときに食べたくなるラーメン。食べるとホッとして元気になる。いつものお兄さんとお姉さん方がいて、特に何も話さないけど、なんとなく居心地がいい。揚げニンニクや紅しょうがやお漬物、お水お茶なんかは、セルフサービス。替え玉もある。ラーメンがくるまでスマホを見て、ラーメンがきたらまず写真。そのあと一心不乱に味わって食べる。まずはスープを一口。はぁ、美味しい♪麺をすすって、しゃきしゃきのモヤシとスープに浸したチャーシューをかみしめる。
介護をする前に決めておくべき大切なこと、それは介護はあなたの人生にとって優先順位の何番目か?ということです。介護は、介護が必要な人の日常生活全般をサポートします。なのでその人の人生がごっそりついてくるといっても過言ではありません。家族と言えども侮るなかれ!優先順位が決まっていないと割りきれなくて、つい日常的に思考を奪われてしまい、それが案外強いストレスになります。私にとって認知症両親の介護の優先順位を決めていなかったために、私自身がうっかりハマっていた罠→泥沼。人生は何が起きるかわから
現状が嫌なのに変わらないときは、問題と思われることを自分と自分以外とに分けて考えましょう。まず自分。自分の本当の気持ちと向き合って掘り起こしてみるチャンスです。きっと何かネガティブな思い込み、心の傷があるはずです。自分を守るために小さな子どもの頃に自分が決めたマイルール。それを探してマイルールを変えてしまえば、現状は変わります。ただしマイルール探しと変更は、せっかちにバーンっ!といきなり大改革は歪みが出るので、優しく無理せず根気よく徐々にしれっとやってみてください。自分以外。認知
先の見えない在宅介護時代、私の未来設定がリアルに思い描けていたら良かったのに!と気づきがありましたので書いておきます。在宅介護時代、最悪な泥沼状態に陥っていたとき。精神的肉体的金銭的、つまり全部。私の在宅介護の未来像が最悪だったから泥沼だったのかもしれません。在宅介護での自分軸は、「自分を信頼し、人生を切り開く自信を養う。未来を信じる力をつける。」ことだと思います。そのために必要なのが、未来設定。理想的で最高な未来像と最悪の未来像の両方を書き出す。最悪の未来像はいわば防災目的
自分の人生さえままならないのに、認知症の親の介護なんてどうするの?先のまったく見えない認知症両親の介護のことで、不安と恐れで悩みは日々深まりました。そうして緩やかに時に激しく変化する両親の状態に振り回されました。その時、私はどうすれば良かったのか?・とにかく不安、恐れ、悩みは書き出す・振り返りと現状と未来の目標を設定する・行動を起こし記録しながら、出来る出来ないをあぶり出す・根気よく繰り返し改善していく書き出す項目自分と親、家族それぞれの1)人生どう生きていきたいか?2)過
血管性認知症の父。以前水頭症シャント術を受けており、年に1回定期検診を手術を受けた病院でしている。毎回、父の送迎を介護施設に依頼し、病院で父と合流する段取りだ。今回の受診コロナの影響を考慮し、両親の暮らす介護施設と連絡を取り、妹たちと細かく相談し、段取りや準備を進めていた。ところが、寸前になって鹿児島市でコロナ感染者が発生。介護施設からの確認があり、受診をどうするか?再検討となった。病院、介護施設、わたしたち三姉妹。それぞれに事情があり、家族がある。施設のケアマネージャー
次はいつ会えるの?甘い言葉w恋愛だったらwwwあ、認知症両親に、です(笑)来週父は年に1度の検診があり、それに付き添うので会えるのですが。母には、会えない(残念)母は自分の意思を言葉で伝えることが難しい。周辺症状としてのお喋りはあるけれども。それでも母は心の通じるコミュニケーションを望む人なので、会えない期間が長いと大丈夫かな?と思ってしまう。あぁ母を抱きしめて温もりを伝えたい。会うたびに衰え痩せ細っていく母をみるのは、最近ちょっと辛い。母の好きな水羊羹や季節の生和菓子を食
かく言うわたしがまさに「親が認知症?!信じられない!受け入れられない!」という思いからスタートした認知症両親の在宅介護でした。わたしだけでなく、母が若年性アルツハイマーの症状が出始めた頃は、父も妹たちもそうで、むしろわたしよりその思いはかなり強かったと思います。つまり。「親が認知症?!信じられない!受け入れられない!」と思うのはとても当たり前の反応なのです。ではなぜこのような思いが湧いてくるのでしょう?そしてその思いでなんとなく絶望してしまうと感じるのはなぜでしょうか?それは
タイトル通り、また先週から認知症両親と面会できなくなりました。しばらく様子見な雰囲気。そんななか、母がベッドから落ちたと報告が。いつ何が起こるかわからない。まさかベッドから落ちるなんて!あの運動神経の異様に良い母が!ボケても母の身体能力は素晴らしかった。が、そろそろなのか?心配しても仕方ない。母の笑顔を思い浮かべながら、母の無事を祈るのでした。「会えるときに会いたい人に会う」実践していて良かったなという思いと、会っていても何かあると、もやもやしたり気をもんじゃうものだなとい
強い責任感を躾られた三姉妹長女、松元です(笑)私の本音は逃げ出したくてたまらなかったのに、親の呪縛から逃れられず責任感の重圧に耐え、認知症両親に寄り添い在宅介護を20年ほど頑張ってしまいました。途中何度も原因不明の病気(軽症)や心の深すぎる闇を経験。とてもとてもとても、つらかった。責任感が強すぎると、ストレスも強くなります。そのストレスは責任感自体が原因ではなく、責任感から生まれる感情が原因。そうして責任感が強いとその責任を全うするために、感情を抑圧しがちです。そうして責任感の
親との心の距離感、あなたはどう感じていますか?私の場合親との心の距離感は、今がちょうど良いと感じています。私、親との心の距離感は難しい、自分の思いは届かないと長らく思い込んでいまして。親の心に近づけないならば離れよう、無視しようと決意表明したのは小5か6の鍵つき日記だったかな?いつも「お姉ちゃんらしく!」という親の躾や期待が心底嫌になったのでした。それ以来その決意表明に逆に縛られた私は、お姉ちゃんらしくないと親から愛されないと思い込んでしまったのでした。そしてその思い込みは次第に意識
自分ひとりだけで頑張らない介護をするとき大事なことは、自分の意識を向ける方向。自分、家族(個人個人)、家族全体の雰囲気(空気感)。自分、家族、家族全体の雰囲気(空気感)をコントロールするのではなく、自分の理想のイメージを持ち、近づけていくこと。認知症両親の介護で苦労したのは、ひとりならまだしも二人同時という点。特に、父が水頭症の症状で急激に認知機能が低下し、排泄量が増えた時期。排泄がなんたるかわからない両親のケア。これが想像を絶しました。その時もちろんプロの手を借りられるだ
認知症両親の介護、初期の頃は不安と孤独と混乱などなどネガティブな思いでいっぱいいっぱいでした。わけがわからない初めてのことばかり。ちょうどこの↓カードのイメージです。ひらめくカード17不安自分のいる場所は、険しい山々だったり、底無し沼の縁だったり、はたまた不安定な岩の上だったり。足を滑らせたり、ちょっと踏み外したら命の危険な場所。しかも暗闇のなかで、今にもブラックホールに吸い込まれそうというまるで幻想の世界。どんなに頑張ってもまわりに助けてくれる人はいない。魑魅魍魎に囲まれて
50代で脳卒中で倒れた父。私にとっって父のイメージは、最悪でした。「憎悪」。それもつい4-5年前まで。根深い理由がいろいろあるので省略しまして(笑)どうしてそんなに父が最悪「憎悪」だったのか?父の在り方が、私にとって許せなかったから。私は両親に幼少期から躾として、我慢や責任、あるべき姿を無限に求められました。「三姉妹の長女、お姉ちゃんだから」私には憎悪の呪いの言葉となりました。一方父は5人兄弟の第一子なのに、我慢も責任もなく親に守られ、家ではやりたい放題。父はいつも自分
母に若年性アルツハイマーの症状が出始めたのは、ちょうど今の私と同じ年でした。その時私は25歳、人生の楽しい盛り。大学卒業後念願の一人暮らしを貧乏(笑)ながらも楽しみ、毎日必死で働き遊んでいました。まさに青春♪その時母は孤独に自分の異変に動揺していたのだろうか?こうやって書きながら母と私の当時を振り返るとなんとも言えない気持ちになります。今の私は母の当時とは正反対、自分にわくわくしています。その一方で「人生いつ何があるかわからない」、祖父(母の父)の言葉を思い出します。ああ!本当
今週も!施設暮らしの認知症両親と面会できました(喜び♡)賑やかに笑い転げしゃべり続ける三姉妹と密着する母は、笑顔がいっぱいでご機嫌麗しく反応も良し。今日は午前中の面会。やはり午前中の面会が機嫌よく会えるし笑顔も多く、脳の機能も活発な気がします。表情豊かな両親を見るとホッ。先々週妹三女と両親の夏用長袖シャツを探し歩き購入。先週届けたものを母が着ていました♡顔色が明るく見え、サイズもぴったり、嬉しいな♪「この後両親の実家の納骨堂にお参りに行くよ~」と父に報告したら、「
母方の祖父は、小さな三姉妹に「死」について折に触れ語る人でした。そのおかげで三姉妹は、誰かと「さようなら」の挨拶をするとき、この人と会うのは今日が最後かもしれないからお別れの挨拶はちゃんとしよう!と密かなポリシーになっているような感じです。認知症両親の在宅介護をしているときも、父にとってはタブーな「死」についてずかずかと踏み込む三姉妹となりまして。家族ならではの気安さというか、反発心というか、なんというか(笑)それで感染症、夏は熱中症と、高齢の両親の命は儚いものだいう話を欠かさないようにし
現在介護施設では、面会に制限があります。・面会できない・条件付きで面会可能義父の伯母のグループホームは、基本的には現状面会できません。先日の面会は施設側の要請でした。その際簡単な問診がありマスク着用通常通り入念な手洗いとうがい認知症両親の暮らす介護付有料老人ホームは条件付きです。面会前に簡単な問診検温消毒マスク着用義父の住むサービス付き高齢者向け住宅は、2週間以内に県外に出かけた、または県外の人と会った場合は施設内に入れません。施設内に入る場合は、氏名住所理由を明
義父からの要請で義父の伯母のグループホームに行ってきました。実は義父からの要請というよりは、グループホームからの要請でした。なのでグループホームの面会制限は続行中で、例外的な扱いです。それにしても伯母と会うのは、何ヵ月ぶりかな?!今年2回目?!痛いところはあるようでしたが、緩やかな下り坂を安定走行といった感じ。義父との会話で伯母の状態を把握。いつも通りの二人↓私たち夫婦は、ふたりを見守るスタンス。余計なことは言わない。話しかけられたら答える。ネガティブに話題を振られても、ポジ
今週、ケアマネージャーさんから面会OKの連絡をいただきまして。早速、三姉妹のスケジュールを調整し、今日の午後揃って両親に会いに行ってきました。前回の面会から3カ月以上たっています。両親とこんなに会わなかったのは、まさかの20年ぶり!!!(驚愕・笑)さて、認知症両親は私たち三姉妹を覚えていたのかどうか?ですが。ご覧の通り(笑)笑顔な母妹にハグされ背中トントンを返す母ご機嫌な父なんと嬉しい!お互いに喜びが爆発する感じ。またいつ会えなくなるとも限らない。もしかしたら死に目
昨日は母の誕生日。会えない母の健康と幸せをそっと願いました。さて。両親の暮らす施設は、面会できるようになったとのこと。今週末妹たちと予定を合わせて会いに行くのが目標。両親はわたしたちのことを覚えているのか?親に忘れられて悲しいという方の気持ちがわからなかくはないのですが、忘れられたらそれは仕方ないなと個人的には思っています。なぜ仕方ないのは自分を振り返ってみれば、自ずとわかります。今回長らく会えなかったのは、どうしようもないと私には思えるので。以前、母方の祖母が認知症になり記憶
2年なんてあっという間。今に集中することも、ときには立ち止まって振り返ることも、未来に希望を持ち続けることも、どれもこれからも大切にしていこう。ここから先は今の私(笑)これからの2年もあっという間だろうか?今は一か月先の自分を想像できない気がする(笑)やりたいことが次々に見つかってしようがない(笑)引きこもり生活は肌に合う。あれもこれも片っ端からチャレンジしている。認知症両親の在宅介護は、限界を超えて自分を押し殺していた。心に深く馴染んでしまった両親や家族最優先の日々は、そ
母の日と母の誕生日を迎える5月。家族の祝い事を揃って迎えることができないというのは、そういう日こそを大切にしてきた私にとって寂しいこと。家族の祝い事を大切にすることは、母が若年性アルツハイマーを発症したときから、私の中の誓いだった。母がそれまで人生をかけて大切にしてきたものが家族だったのかもしれないと気づいたから。私は両親に対して「お姉ちゃんの呪縛」があったから家族にイライラしてきた。そのお姉ちゃんの呪縛のイライラのせいで家族の中で浮いたような存在だった時期もある。けれども本質的なこと
身体拘束に私は何を感じているのだろう?とてもざわざわして、抗いたい気持ちもあり、諦めているような気もする。以前、祖母を病室に見舞ったときの話。ベッドに固定され、寝たまま何かを必死に訴える祖母。エレベーターを降りたら声が聞こえてきた。わかっていたけれど、やはりそれは衝撃だった。その声だけで十分衝撃だった。あの声、今でも覚えている。病室の祖母を見たときは、なんとも言えない気持ちに襲われた。心がひどく動揺し、嫌な汗とグレーのスライムみたいなネガティブな感情の塊が自分の中にある底無し沼に
親子関係に悩みすぎ、占いも学びました(笑)「宿曜占星術」です。これからは「宿曜占星術」についてもちょこちょこ書いていこうと思っています。その学んだ宿曜占星術は奥が深く、今だ学び中といったところ。それはさておき。両親と私の相性です。宿曜占星術でみると、両親同士はソウルメイトの関係。縁の深い二人。とても納得。両親それぞれの宿をみると、まさにその通りの性質がでていて驚きです。両親と私の関係は、「衰(すい)」。両親に対して「衰弱、愛情」を表し、立場が弱い。まーさーにー
自粛生活が長くなってきました。そこで高齢者の健康サポート「フレイル予防」について。高齢者の健康サポートと書きましたが高齢者以外の大人にも言えることですので、ぜひ読んでみてください。フレイルって何?わたしも知らなかったのですが(笑)カタカナにめっぽう弱くいつも検索しています(笑)以下を検索してください。(面倒でゴメンナサイ)【検索】日本老年医学会「新型コロナウイルス感染症」日本老年医学会の「新型コロナウイルス感染症」高齢者として気をつけたいポイントの文末※フレイル
認知症両親の介護悩みのほとんどは親との関係が原因だった~「お姉ちゃん」の呪縛からの続き家族と介護の悩みが「お姉ちゃん」の呪縛が因だったとは?それはたまたま最近学んだことでやっと理解でき腑に落ちた。「お姉ちゃん」の呪縛はわかっていたものの、その奥をまだ見ていなかった私。そのことも含めて私生活に支障が出ていると気づいていたものの見ないフリをしていて。(怖かったからw)昨年永瀬一代さんの『家族の心理学講座「自分編」』を受講してから、自分の内側に溢れる思いが眠っているとついにギブア
コロナの便りを聞いてから、認知症両親との面会を控えています。すでに2か月半がたちました。父のことはそれほど心配しませんが(あきらめと受け入れの早い性格なのでw)、母のことはとても気になっています。芯の強い母ですが、実はとても寂しがり屋なのです。私たち姉妹に会えなくて、気落ちしていないか?私たちを忘れてしまったのではないか?などと。月末になると認知症両親が暮らす介護付有料老人ホームから、先月分の領収書と今月分の請求書や近況や行事予定を伝える封書が届きます。そこに今回両親の写真が同封され
認知症両親の介護で悩みが絶えなかった。今思えば、その悩みのほとんどは親との関係が原因。さらに今だから言えるのは、私が本当の私を知らず、知らず知らずのうちに母親が望む私を生きてきた部分が大きかった。そのことに気づいておらず、母のようになれない自分が苦しくて、どうしたらいいのかわからなくて悩んでいたのだ。三姉妹の長女「お姉ちゃん」の私という呪縛妹ができた時から、わたしは「お姉ちゃん」として育てらた。私は三姉妹の長女「お姉ちゃん」。妹たちの面倒を見ながら、母の手伝いをし、母がいなくても日