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諦めからの復活過去、義父が病気で入院生活が長くなるため、ゆとりがなくなり諦めたチャレンジがありました。私の諦めたチャレンジをやりはじめた投稿を見ていいな~となった2023年終盤。え?!なんでいいな~ってなってるの私!ということで、来年の目標にしようと思いあれこれ考えていて。あれ?なんで来年?!笑ということで(2回目w)わりとすぐ道具を揃えはじめました。それでやりはじめたら、気づきと喜びとなんと癒しまで起きてびっくり仰天!サイコーです❤️それで感じたのは、やればできるのに、やれな
今年2月、このアメブロに書いてきた認知症両親との日々を電子書籍Kindle出版しました。・KindleUnlimitedなら無料で読めます!認知症両親介護生活30年〜認知症両親との葛藤と乗り越え方Amazon(アマゾン)・ブログのピックアップ、編集はかさこさんに依頼『Kindle丸投げプラン&Kindleなんでもプラン!部分的なお手伝いも可能です!』Kindle丸投げプランじゃなくここの部分だけ手伝って欲しい!という要望にもお応えしてます!例・原稿と表紙はすでにあるの
私の介護生活は今年30年。(遠距離→近距離→在宅→施設)若年性アルツハイマーを発症した母は発症から29年昨年亡くなり先日一周忌を終えました。その30年をまとめたまものをAmazonKindle(電子書籍)でリリース。認知症介護生活30年AmazonKindleアンリミテッドなら無料で読めます。表紙はこちら↓多彩なおかっぱみゆきさんにお願いしました。ホーム-おかっぱミユキ公式サイトYouTube「おかっぱミユキチャンネル」を運営しているタレント&ミュージシャン&アーティストの
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施設暮らしの認知症両親との距離感が遠くなった2020年。両親への愛情は変わらないし、深まったように思う。知らず知らずのうちに親への依存が無数にあったことに気づいた一年でもあった。むしろ親に依存されていると思っていたけれども、それと同じくらい、それ以上に自分が親に依存していたのだと思った。このことは強制的に距離が離れたことで、振り返り自己認識を深めたことのひとつ。認知症という病気を患うと、何か特別のような気がするし、実際特別扱いしてしまう。しかし認知症という病気であっても、ひとりの
両親が認知症になって、こんなに両親と会わない一年は初めてでした。そういう意味で、両親と自分の過去から現在、未来を俯瞰した視点でとらえ、冷静に紐解き、深い理解が進みました。「生きる」ことこれまでの関係や経験のもたらしたものその本質への理解が進んだことは、今年の大きな成果というか人生の宝だと感じます。認知症両親の介護では、両親それぞれと、自分自身と、妹たちと、そして夫と、親族と、真摯に向き合ってきました。自分だけの思いもたくさんありますが、そこから一歩も二歩も引いて、それぞれ
長い長い在宅介護期間、自分にも家族にも誠実でありたくて、そのために苦しく辛い思いをしてきました。とはいえ苦しく辛いときでさえ、嬉しく楽しいことはたくさんありました。でもでも。どうしても苦しく辛いことのほうが、心に残り負担になりストレスが強くなりました。それをどうして乗り越えられたのか?を振り返ってみると。自分の半径50センチに・心地よい・大好き・楽しい、嬉しいがたくさんあったから恐怖(怖れ)から行動しなかったからなのかな?!と思います。それぞれに理由は
「私たちは経験から学ぶのではない経験を振り返ることから学ぶのだ」ジョン・デューイ強引かつ簡単に言えば「復習せよ」というこの言葉。実践練習を繰り返すより前にすること、それが経験を振り返り人生に落とし込むこと。学生時代の試験勉強と同じ。新しい問題を次々に解くより、自分の間違った苦手問題を繰り返し復習しマスターしていくことが大事。ここ数年、経験をもとに様々学んでみたものの、何かしっくりこなくて。それぞれに取り組みながら、振り返り落とし込む日々の作業の中から見つけ出した言葉が上記
コロナがまたじわじわ高齢者の感染割合が増えているので、認知症両親との面会はドキドキいつ面会制限がかかるのか?一瞬でも母に会うと、母の微笑みを私は引き出せる母と私の心の交流つまり愛を感じる瞬間だ母との過去の様々な出来事すべてをようやく俯瞰し経験として感謝できる施設で暮らすようになった両親母は面会に行くといつも寂しそうだその事を必死に訴えかけてくる今、母を抱きしめられないことは切ないけれどそんな母父が一緒に居るから生き続けているんだと思った父のもとで死ぬまで生きるそれが母
ようやく制限付きながらも介護施設での面会が許されまして、久しぶりに両親会いました!ただ純粋に嬉しかった!私は県外に旅行に行ったので2週間の待機後です。今回両親に会ったのは、三姉妹と妹次女の息子(大学生)計4人。「両親は私たちのことを覚えているのか?」なんと!覚えていてくれました!!!父は私たちを見るなり、満面の笑み。「来てくれてありがとう」と言いながら私たちを拝む(笑)母は私の声かけで、強ばった表情が一瞬でゆるみ、いつもの母の安心した穏やかな表情で時折笑顔も!両親と握手をし
認知症両親の在宅介護中排泄ケアで挫折し、極度の介護ストレスにやられました。それでも続く在宅介護、どうにかしてストレス解消したいとストレス解消法を追求。在宅介護から卒業し認知症両親が施設暮らしになっても、このテーマは追求し続けています。興味深くて。いろいろな本、ブログ、メルマガを読み漁り、自己啓発、心理療法、スピリチュアル、占いなど、一通りやりました。素敵な執着心(笑)そのなかで本質が気に入って今も学び続けるもの多数。学んでは簡単に出来そうなものから実践し、取捨選択と深めるを繰り返
三姉妹、お互い日常生活に制約が多く会うことに気を使うそれでも一瞬会えたのは誕生月の私のためだった「ありがとう❤️」嬉しくて嬉しくてじんわり他にも日常を楽しむプレゼント思いやりをたくさん受け取ったしあわせは心の内にたくさんあるそれに気づける感性ますます豊かになるように日々大切に生きていこう妹たちの笑顔とおしゃべりを聞きながらニヤニヤ嬉しさがこみ上げるありがとう~~~~~~~~~~・お問い合わせ・松元佳子セルフマガジン「ハーモニカを聴きた
父の代理業、少しサボるとまあまあな負担です。主に、手続きとそれにともない郵送されてくる書類の整理など。面倒そうだな~というのは、締め切り日を確認して放置しがち。今日はそのひとつにとりかかりました。えんやこら!笑手続きの代理は、本人確認や身分証明にはじまって、代理人の本人確認や身分証明などから、証書の原本や印鑑を揃えて記入して。提出先に出かけるその前に、1度先方に電話確認。(←コレ超重要)用意する書類や証明に不備がないよう。1回不備があると、連鎖反応みたいにその後の諸々がややこしく
認知症介護に限らず、相手のことをどうこうしようと思う前に、相手と自分の現状を隅々まで知ること。それが早いし近道。とても遠回りに思えるかもしれませんが。相手と自分の現状の長所短所を知っていれば、どうやったら合わせやすいか、苦手な部分をカバーするか、長所をいかして短所を補うか、などとメリハリをつけやすいバランスをとりやすいのですよね。介護は日常生活。その今や将来に不安や恐れが多くては、スムーズにまわらないものです。自分と相手の現状を細かく知ること。どうするかというと、・
母が認知症の症状がまだ浅かったころ。母は花が大好きで、たくさんのプランターや大きな鉢がありました。父も母もやたら花を育てまくる(笑)そうして母の症状が進行し、父までも。お花を育てる余力なし。繊細な植物は淘汰され。残骸が積もりました。それを処分するのは本当に大変でした。プランターや鉢と土でトラック何往復?!(深刻)その時、両親のためにわずかに残した鉢植え。世話もできないのに、お金をかけた鉢やプランターを処分することに両親とも抵抗がありました。そのため片付けや処分は両親が日
認知症両親の代理、両親に会えないと張り合いが出ない感じです。認知症両親の実家は、認知症両親の暮らす介護施設のすぐ近くの道路を通っていくのです。会えないので、その辺りを行き帰り通るときに車中から両親それぞれに元気玉を投げます(笑)元気玉とは、両親に送る願いをこめたエネルギーみたいなもの、雰囲気です(笑)両親の、・身体の痛みが和らぎますように・楽しい嬉しいことが何かしらありますように・笑顔になれますようにそんな願いをこめてボールを作って両親の胸の辺りに飛ばすイメージです(笑)私が
叔父が亡くなった。認知症両親に報告できていない。これまで親族の死は、必ずすぐ両親に報告してきた。認知症とはいえ両親はその事を一瞬ではあっても理解しているように感じていたから。しかしこのコロナ禍。もはや認知症両親には会えない。残念。悲しい。切ない。と嘆いたところで現実は現実。私は認知症両親の代理という役割からそろそろ精神的に卒業し、主体的に動く覚悟が据わってきた。今年になって世の中の状況は確実に変化している。そのなかで今私が強く感じるのは、人がどうこうというより(他人軸)、私がど
あちらこちらで目にする自分軸キョロキョロしては写真を撮る私私の自分軸は、写真を撮るようになってこういうこと?!とわかってきた。今の私、写真を撮ることはただ楽しいワクワクするちょっと悩む攻める諦める新しいものを探すチャレンジする失敗する工夫するやり直すなどなどどうしたって面白くてしょうがない(笑)下の写真は自撮り自撮りするから笑顔なのではなくこんな笑顔でいつも写真を撮っている(らしい)最近夫によく聞かれる「そんなに(写真撮るの)楽しい?にやけてるで!」確
認知症の家族を介護する家族のつらさそれでもその先に希望を持って一歩踏み出したいと思っていた私。「なぜそんなに苦しくて辛くていっぱいいっぱいだと愚痴ばかり言うのに、それでもなお家族の役に立とうとするの?バカ?!」と言われたことがありました。「でもね」と思います。その苦しく辛い時にしかわからないことがあり、その後「ああそうだったのか!」とわかったり、腑に落ちることがたくさんある。自分が納得しないことは、手放せない。厄介な自分。(真面目で一本気という言い方もあるw)
コロナ禍で認知症両親との面会はしばらく絶望的。両親の暮らす介護施設から、先月、今月書類とともに両親の写真が送られてくる。これはありがたい。今月の両親介護施設では施設内のイベント(これは夏祭り)を入居者のために工夫してくださっている様子。父の笑顔の写真と氷を頬張る様子、相変わらずで安心しました。母は、なんだかまた一回り小さくなっている。施設内ではいつもの様子の母ではあるけれど、さすがに心配。母のズボンがどんどんぶかぶかになっている。さみしいな。母もさみし
4年前のブログ。『認知症両親の老い(現状)を受け入れる介護家族の心理段階のこと』ある日突然、親の老いを感じて戸惑うことがあります。人としてごく自然なことです。一般的に、親の介護をする子どもだけでなく、お仕事としてする方々にも、介護する人の…ameblo.jpこのブログを読み返して感じたこと。心理段階はスパイラルに発展していく。どんどん先を目指そう。心に浮かぶことは、肯定的に捉える。否定しなければ大丈夫。認知症両親を在宅介護していたとき。「私なんで生きているんだろう?」「私の
わたしのブログ「認知症両親とともに」で常に読者検索される上位4ブログを紹介。第1位認知症両親のスケジュール管理~ホワイトボード脳血管性認知症の父本人と家族のスケジュール管理変遷。症状の進行に合わせたスケジュール管理の進め方を紹介しています。第2位認知症両親の介護ガスレンジか?IHクッキングヒーターか?使い手側の状況を考えながら検討されている方には特におすすめ。第3位親の通院に付き添うときの心得5つただ親についていくだけでいい?親を車送迎するだけで十分?ち
「ピザを食べに行こう!」と夫に誘われたのがこちら↓鹿児島大学稲盛記念館確かにピザを食べましたwごちそうさまでした。このピザ500円でドリンクが300円でした(1Fフードコート)学生時代にはありえなかったおしゃれな空間で、学生時代にも夫とデートした学内で、こんな日を迎えるとは実に感慨深いもの。過去から現在を語り合う夫婦(笑)行ってよかった!この後、階段の稲盛ライブラリーと3Fの京都賞ライブラリーをじっくり見学。学生時代に見たかったwww(今見ても遅くは
「若年性アルツハイマーの母を何とかしたい!」「家族で協力してなんとかしなければ!」「家族が無理なら自分だけでも頑張らなくては!」と思った20代後半から40代前半くらいまでの私。介護に関することを「正しい」「間違い」「勝ち」「負け」というような力みすぎな人生を歩んでいました(笑)介護に関することは二者択一ではありません。ほかにも、好き、嫌い、やる、やらない、スパッとどちらかに分けられるものではありません。いろいろ不条理があります。落としどころが分からなくなって悩みます。もちろ
私、三姉妹の長女。祖母や親から役割の圧(お姉ちゃんなんだから&女の子なんだから)を強烈にかけられながら育ちました。役割とは妹やいとこたちの面倒をみるとか、家事を手伝うとか、生活全般を完璧にこなすとかそういうこと。それを求められたのは、土地柄、両親ともきょうだい多めの第一子、とかなんやかや。なので子どもの頃から「お盆は楽しいけど忙しい」というのが刻まれている。家を出て社会人になってもサービス業のためお盆は出勤、人手不足で長時間勤務ゆえに多忙。結婚してからは、夫の実家に。
お盆前ではありますが、認知症両親の実家のお墓参りへ。お盆中は休みが不確定、今日は休みの夫に連れて行ってもらいました。私が子どものころは家の近くを通るバス1本で帰省できた両親の実家も、今や公共交通機関のルートが年々遠回りかつ乗り換えが増え、便数がそれぞれ少なくなる地方の田舎。マイカーなしの私にはお墓参りもつらいので、夫のサポートはとても有難い。祖父たちがそれぞれ場所の離れた海の近くにあったお墓をお寺の敷地にある納骨堂にまとめてくれていたおかげでお墓参りはかなり楽。両親の実家双方とも同じ納
親が認知症かな?!と思ったら。まずは、「現状を知るために主治医に相談する」。次に「親の住む市町村役場の介護保険担当に相談する」。でも親が、「そんなことは認めない!」「何言ってるの?」という感じなら。まずは、健康診断的に、または、通常の検診に付き添う形で、一緒に主治医に会う段取りをしましょう。親の通院に付き添う理由は超重要です。親の現状を知りたい理由。親を理由にするのではなく、自分を理由にしましょう。それは親への配慮であり、自分への配慮でもあります。わたしの持病が不安
親子だからこそお互いを尊重する謙虚な気持ちを持つことが大切です。と今なら思うし、自信をもって伝えたいことでもあります。必要以上に・相手に認めてもらいたい・わかってほしい・私の正しさを証明したいなどと相手とぶつかると、何も生まれてきません。失うものが多い。時間とか時間とか時間とか優しさとかw「親と自分は違う正解を持っている」と捉える。尊重する価値あるもの、尊いものとして、大切に扱うこと。親にイライラするときは親を尊重して、・そっとしておく・距離をあける
脳血管性認知症の父アルツハイマー型認知症の母両親とも病状が悪化した場合、命の判断を任されている三姉妹の長女です。今日は広島の原爆の日ということで、命について考えてみようと思います。認知症の親の命の判断つまり延命治療について、現時点での私の信念を書きます。「両親の延命治療はしない」と姉妹と話し合って決めています。両親ともすでに後期高齢者、いつ亡くなってもおかしくない年齢です。認知症になった両親ですが、「二人とも充分頑張って今も生きている」と子どもとしては思います。けれど
コロナ禍の現状、介護施設で暮らす認知症両親とは相変わらず会えません。私はこのまま両親が死ぬまで会えない、というか死んでも会えるのか?という状況はしばらく続きそうです。こんなこと想像したこともありませんし、そもそも想像できるものではありませんでした。さて、このような状況は介護施設側にとってもとてもリスキーで働く方々もストレスが増える一方だと思います。では現状、私たち家族は今後どうしていけばいいのでしょう?改めて思うのは、日ごろの心構えと知識。無知や無責任な思い込みほど混乱と不安