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#日本人オーバーキル側も#PTSD解離現象(←#社会現象)が止まらない悲劇が続きます。
息子は、床に這い蹲り、“ママ、気持ち悪い。助けて!何で僕ばっかりこんな目に…”そう言い、涙を流しながら激しい吐き気に気を失った時。急に頭を抱え込み、“ママ、頭にガラスが突き刺さった!痛い。助けて!”そう叫び、痛みに悶えていた時。“胸に太鼓がある!胸が痛い!”苦しそうに息を切らしうずくまっていた時。毎回見る悪夢に泣きながら目覚める時。階段の踊り場で突然気を失い、目覚めると息子はパニック状態の中、“今Aにおもいっきり背中を殴られた!”私は、息子を抱きしめ、“Aはいないよ!もう大丈夫だ
H30/1/10は、学校との話し合いであった。次は、明日、H30/1/18である。もう、そんな生活を、約1年10ヶ月。何度学校や教育委員会との話し合いを行っただろうか。数えきれない回数になる。何故、こんなに前に進めないのか?校長はここに来て、また保身と隠蔽に走り出す。それは、もう悪あがき以外何者でもない。教育委員会の高橋課長や、吉野部長は、話し合いの場ですら、調査会があるから…と現れず逃げる始末。教育長に関しては話した事すらない。果たして、教育長は茅ヶ崎市に存在するのか?ハンコを押すだけが仕
私達と同じ対応…。学校や教育委員会は、法律違反をしてもよい組織なのでしょうか?人を傷つけたり、苦しめたりしてもよい組織なのでしょうか?嘘や誤魔化し、隠蔽をしてもよい組織なのでしょうか?人の命を奪ったり、危険に晒してもよい組織なのでしょうか?少なからず、私達や、こちらのお父様達には、平気で当たり前に、それを行なっております。現在進行形で…。この現実を被害者だけが受け入れなければならない。不利でしかなく、理不尽でしかありません。被害者は、声を大にして学校や教育委員会の実情を伝えていく必要
ある日息子は、帰宅し、私にこう言った。“Dに誕生日会に誘われた…”時期は正確には分からないが、とても寒い日だった。冬である。何も知らない私は、“良かったね〜。いつなの?何かプレゼント用意しないとね。Dは何が好きなの?それともみんなで食べるお菓子とかがいいかな?”浮かれる私とは裏腹に、息子は重たい表情でこう言った。“危険なにおいがする…”私は聞き直した。“何?!”息子は変わらず同じ返答だった。私の中で、また物凄い不安が襲いかかった。危険なにおいって…。何?何?何?それと同時に、息
今日は、臨床心理の治療でした。この治療は、頭の中にある、恐ろしいトラウマ記憶を一つ一つ破壊する治療。記憶を呼び覚ますという事は、PTSD患者にとって、当時の恐ろしい恐怖を再び呼び覚ます為、とても辛い治療法です。ただ、息子は治療をしたいと、積極的に申し出ます。今日も、また一つ、解離現象の内容が出た。彼は、毎日の集団暴行の中、頭を抱えながら、小さくうずくまり、暴行が終わる迄耐えていたようだ。勿論担任の目の前である。彼は、暴行が終わっても、恐怖と解離でずっとうずくまり、担任が◯◯(息子)さん、早
酷い体罰の被害にあわれたご家族です。心から応援させて頂きます。
今日、新校長に、息子の対応をしないとハッキリ言われた。対応はしないけど、ご家族で何とか学校に来る様にしてくれ…と。加害児童が学校に通い、息子の件で傷ついてる。表情を見て分かる。息子の件でこれ以上苦しめられない。だから、これ以上出来ない…と。何も息子の件で話しかけていないのに、息子の件で傷ついてる顔らしい…。何を聞いたのか?聞いてくれたのか?加害児童は、まだ認める事すらなく、2回の聞き取りのみ。聞き取り内容も、直接関与した内容ではなかった為、加害両親ですら、いじめを疑うし、加害児童が嘘をつく
朝起きたら息子が書いた紙が置いてあった。4/17に第三者委員会3回目の息子の聞き取りがある。息子はどうしても伝えたいと、症状がある中努力して書いたようだ。少し前、ある方に手紙を書こうと必死になっていたが、激しい腹痛に襲われ断念していたのに…。とても頑張ったようだ。ただ、内容が…。悲しくて朝から張り裂けそうな気持ちになった。彼は自分の存在を出来るだけ消す為、小さく、小さく体育座りをしていたと言う。どれだけの恐怖の中にいたのか…計り知れない。今、次男の入学や、三男の入園で、私も症状と戦いながらバ
二学期に入り、クラスが異常な状態なのは、息子から感じ取っていた。そんな中、この先、息子が悪魔と称する加害児童Aと、息子が仲良くなってしまう…。私が不安に思っていたCが、やはりキッカケとなった。Cの悪口は留まる事を知らなかった。どんどんエスカレートした。通りすがる子、座っている子、ただ、そこにいる、何もしていない、ありとあらゆるクラスメイト達に手当たり次第、悪口を吐き捨てていた。それは、担任に対してもだ。息子に毎日どうすれば良いか相談されていた。◯◯君も泣いていた、◯◯君は怒っていた、本当に酷
個人面談…。私は、担任に、Cの事を相談した。7月の事である。夏休み目前。再度5月のトイレの集団暴行の件、近所のお子様からの被害内容、CとBがまた羽交い締めにし、弟に水筒で長男を殴らせた事、普段から勝手に家に入っては、いろんな事をする事、Cの父親が酷く殴る事、Cの母親が子供を見ない事…。とりあえず、一通りあった事を説明し、このままでは大変な事になるかもしれないと伝えた。本当にそう思ったから。担任は、「Cはみんなに悪口言って楽しむ様な子なんで…。」そう、笑顔で当然の様に私に言った。サラっと
学校や、教育委員会の人間程、間違っている人間はおらず、非常識である。早く気づいて欲しい。何故日本は、義務教育があるのか?国で決まっている。つまり、既に義務教育の教師達は守られている存在。だから、小学校・中学校を見て頂きたい…。ニュースに出るいじめの内容は、義務教育の小・中学校が多い。教師達は狭い世界でしか生きていない。小学→中学→高校→大学→教師になりまた学校にもどる…。つまり学校一色。社会に出ていない。世間を知らない。そうでない教師がいるかもしれないが、学校の狭い世界、いつしか汚染され
息子の9人の集団暴行…。それから暫くして、Cの母親からメールが来た。息子の親が怒っている、Cに連絡してと言われたと。そう、メールが来た。主人と私が、次やったらもう許せないと息子に言っていたからであろう。私は、グッとこらえ、Cが何をしたか、ちゃんと確認して下さい。…そう伝えた。そしてCは暴行を認めた。ただ、Cも、やらないとAに顔面を殴られ、友達やめるぞと脅かされ、友達がいなくなるのは嫌だからやってしまったと…。Cが母親に告げた。その事情を聞くと、私は少し同情した。ただ、これはいじめ、どちらの
雨の日…。息子が小2の5月か6月の事であった。私は、体調が悪く2階の寝室で次男くん、三男くんと横になってウトウトしていた。いつもはただいま〜!と、元気いっぱいに帰って来る長男。なのに、この日は違っていた。無言で寝室へ来て、わぁ〜っと泣き叫んだ。何?何?どうしたの?異常な感じをすぐ察した。あいつらとは二度と遊ばない!!!そう泣き叫んぶ長男を、落ち着く迄待ち、ゆっくり事情を聞く形になった。泣きながら息子は話してくれた。Aが(主犯)変なポーズをした。僕は面白かったから笑った。そしたらまた
暴行の際手加減なく殴る蹴るをしていたという加害児童B。息子は、今となっては、Bは心がない人間だと話す。暴行の際、無表情。他の4人の加害児童は笑いながら、楽しそうに暴行するも、Bだけは無だったと言う。そして一番痛かったと。首を絞めたり、ズボンとパンツを脱がす行為も行っている。Bは2番目に息子が恨んでいる児童だ。最初に我が家にBが遊びに来た時、Bの母親と電話で話す事となる。私が、息子の母です。どうぞ1年間宜しくお願い致します…と、普通の挨拶をしたが、最後迄話をさせては貰えず、あぁ〜ハイハイ、宜しく
何も変わっていない。あの日、何もかも変わったのに、それ以降何も変わらない…。今日はいじめ発覚から丁度一年…。そして祖母(曾祖母)の1回忌である。沢山泣いて、もがいて、苦しんで、戦った一年…。深く傷となり刻み込まれている。私達は、教育委員会課長に、直接校長と連絡を取るなと言われている。弁護士を介してにしろと。何故…意味が分からない。悔しさと、怒りでいっぱいの中、なんとか対応して欲しい一心で要望を飲んでしまう。なのに、最近校長から主人や私の携帯に何度も何度も連絡が来る。次男の就学の件であろう。