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こんにちは👋😃ゴールデンウィークもいよいよ明日までってことなんですが、息子ちゃんはいつもとかわりなく過ごしとりますよ午前中はお買い物に近所のイオンに行って、帰ってきてゆっくりしていたら、消防車🚒の音がして、やじうま母ちゃんは、🪟から覗いたら、何と黒い煙が黙々、今も消防車🚒の音がしておりますわかる人にはわかると思うのですが、もしかすると、夕方のニュースに出たりして何て子とはないかな午前中近くに居たから、午前中じゃなくてよかった明日も母ちゃんと2人の息子ちゃんは、お天気も悪そうだから、最
今日の朝日新聞朝刊に昨年5月から始めた視覚障がい者スポーツ『ブラインドボクシング』の記事が掲載されました。記事の写真はアイマスクをしているので誰か分かりませんが私です(笑)記事の中にも始めたいきさつなども書いてくれています。夏頃には食守族で視覚障がい者の集いのような事をやりたいと東郷町の障がい者支援センターさんと話てます。1人ではなかなか動けないので協力していただける方を募集します。
こんにちは👋😃いつもいいねや訪問、コメントありがとうございますm(__)m母ちゃんはくたばってますが、息子ちゃんは元気過ぎなんです今日は急に暑すぎなのでお買い物から帰ってきて、息子ちゃんは半袖ハーパンに着替えて、窓を開けっぱなしにして過ごしとりますよ🪟息子ちゃんのTシャツとハーパン、、音の本を買ってきたのよね📖Tシャツは白、青、灰色があって、ねずみ色(灰色)を選んで、白、黒、緑、紺、があって、緑ということで緑色にして、太もものところ?にマジックテープのポケットがあるのが気に入ったみ
今朝は久しぶりに愛知池1周8kmをRUN!毎年この時期は躑躅が綺麗で、気候的にも走るが気持ち良い(^o^)視力障がいになってからは、一人で出歩くことが難しくなってしまったことで、身体を動かすことが少なくなってしまった。自宅での筋トレや縄とびはやっているが、歩いたり、走ったりはほとんどできないので、身体はなまるしストレスもたまる。走るのはやっぱりちょっと怖いけど、気分が晴れる。身体を動かすことって肉体的にも、精神的にもやっぱり大だなぁと改めて感じる今日この頃です。
昨日4月27日は、勿忘草(ワスレナグサ)が誕生花でもある4月、「きづ(2)な(7)」と読む語呂合わせから「絆の日」。港南1丁目2番の、品川シーズンテラス前の交差点の、音響式信号機の設置を確認🚥一昨年2022年10月に、盲導犬を利用されている視覚障がいの方から、その方の職場近くの、当該交差点に音響式の要望が🦮当時は、緑信号の延長の装置はついていましたが、音響式は設置されて
こんにちは👋😃いつもいいねや訪問、コメントありがとうございますm(._.)m息子ちゃん、新しい学部、そして授業もガラッと変わって新しいことばかりで、放デイも新しいお友達が増えるなか、毎日頑張って、寒暖差もあって、疲れや緊張などが混ざって、風邪引いちゃいました元気もあるし、うるさいくらいのお喋りもして、イタズラも全開で、ただ、鼻水が、鼻の音が位で今のところすんでるんだけどね土曜日の夕方この前行った近所のクリニックに見てもらいに行ったんだけど、転換の神経内科の先生も近所のクリニックはっていっ
今年にはいってから、天災や政治、様々な分野て問題山積み状態で、これから先どうなっていくのか?未来への不安や焦りなどでいっぱいになっている。また、自分がこれから何をしたらいいのか?夢や希望がもてない人もとても多いような気がする。どうしてそんなに先を見て不安になるのだろうか?私も目のこともあり、先のことは不鮮明だが、あまり不安はない。そんなことを書いているが、癌になったときは夢や希望なんて木っ端みじんに吹き飛び不安や焦り、そして恐怖でいっぱいだった。今日はどうしてそんな私が今のようになった
今日は点訳サークル「竹の子会」の総会でした。総会の後は『ブラインドウォーク』の研修です。小中高の学校に点字とガイドヘルプの講習を行っています。みんながいつでも参加できるように体験しました。会の担当のUさんから説明を受けます。小学校4年生対象です。私達も学習です‼️歩く時の腕の位置狭い所の歩き方椅子の座り方言葉での説明が大切です。階段は呼吸を合わせて見えない恐怖が大きくて今まで担当のUさんにお任せしていたのですが今年度からは全員参加‼️でのぞみます子
「ありのままに♪」アナ雪でブレークしたフレーズだが、私もサラリーマンを辞めてから「ありのままに」生きようと心掛けてきた。「ありのままに」言葉で書くとそんなに難しいことでもいないように感じるが、実際にやってみるとこれが結構ハードルが高い。「ありのままに」とは、他人の目を気にせず〝自分を隠さない“ということ。また、起きた出来事を〝受け入れる“ということでもあると思う。私の最初の「ありのままに」は、癌になったということを隠さず、癌という病にかかった自分を受け入れるということだった。多くの人
こんばんは😃🌃いつもいいねや訪問、コメントありがとございますm(__)m息子ちゃんの通う特別支援学校で内部進学して、専攻科になり、お勉強も今までとは違って新しいことが沢山で、毎日楽しみにソワソワしながらの登校で、母ちゃんは一安心息子ちゃんたら、昨日は押し入れにたたんでしまってあったのを引きずり出して、嬉しそうに遊んでたけど、久しぶりに調子がよいみたいで、母ちゃんはお漏らししないでとハラハラしてたよ息子ちゃん、この頃なんの曲かわからないけど同じフレーズを歌ってたんだけど、それがコブクロの
連日の晴れ間が気持ちいいですが、今日は気温もかなり上がりそうなので、しっかり水分補給も忘れずにしたいと思います(^^)昨日は、私の【オレンジカフェ〈認知症の方のためのカフェ)】のボランティアのスタート日でした😌集まられた方は7人(内、お一人は御付き添いのヘルパーさんでした)そして、包括支援センターのスタッフの方2人と私ともう一人ボランティアの方と4人でサポートしてのカフェになりました☀️皆さんはもう顔馴染みのご様子和やかな雰囲気😊そして驚いたのが、皆様お一人お一人が、とてもしっかりされ
ユーザーさんとの歓談の後、プロのカメラマンが記念写真を撮ってくれました。最初にユーザーさんとLoloその後Co-Raiserさんと次は私の番「はい、よく撮れました!」と終わらせようとしたカメラマン「ちょっと待って!」と私「みんなで一緒に撮りたい!」と言うリクエストをしました。Loloが盲導犬になれたのは私達、Raiserだけが頑張ってもなれません。ユーザーさんが盲導犬と歩くことをマスターしなければLoloはまたマッチする人を待たなくてはいけな
人の思考には無意識の領域がある。それを、潜在意識とか習慣という。そして怖いことに、これら無意識の領域のなかに悪い出来事の原因がある場合が多い。人はそれを”不運”というが、ほとんどの場合はそれは不運ではなく自分に原因があると思う。不運とは運命では不成(あらず)自分で招いたものなのだ。しかし、多くの人はそれを不運と言って嘆くだけ。その理由は無意識の領域だから気づかないその方が自分は何も変わらなくていいから気づこうとしない。すべて潜在意識のしわざだ。すなわち求めて不幸になっている。
人にはたくさんの欠点がある。欠点のない人などいない。私なんか欠点だらけ。やることが雑きちんと整理できないせっかち細かいことは嫌いでしようとしない唯我独尊的数えたらきりがないしかし、その欠点を認めない人もたくさんいる。そんな人は、その欠点が更に大きくなっていく。完璧主義者だ。私もかつては完璧を求めた。やるといったことは完璧にやる。手抜きなんてできない。そしてそれができないことに対して自分を責めることも多々あった。自分自身の欠点もある程度分けっていたが、それを隠すため
地元ケーブルテレビのCCネットさんが私を3年半密着取材をして1時間の特別番組「今を生きる地域と病と」を放送してくれました。長いですがご覧いただけたら嬉しいです。
ミニマリストの楽天ROOM【お客さま3423】ヘッド+フェイス40分「今日もメット級に頭カッチカチやよ~☆」とのことでした。後頭部中心がメット以上にダイヤモンド級に硬かったので、放射線状に広げるように緩め、さらにツボ周辺の筋肉を緩めてから頭部全体をほぐしました。お顔全体におきましても、頬筋、顎関節、得に右側に何ヵ所か張りが見受けられたので持続圧で。この日は40分のお時間をいただいたこともあり、終盤にはお顔全体が得にマシュマロ級にほぐれておりました。またリラックスされたおかげで
私はがんになってある時から常識や固定概念といったものを取り払い、さらに知識や情報等の頭で考えるのを止めるようにしてきました。そして一番大切にしてきたことがこの「修養」私の場合、教養はないので精神を練磨して人格を高めるために「修養」を大切にしてきたわけです。(笑)ガンになった当初は、私はサラリーマンだったのでその習性のように知識を得ようと講演会やセミナーに出たりして情報収集や治った人に会いに行ったりをしていました。しかし次第に頭でっかちになり、思考ばかりが先立ち結局自分自身
ほんと?と思われるかもしれないが、以前の私は人とのコミニケーション能力はあまりなく、好きでもなかった。というより、人とどう接していいのか?よくわからなかった。今思い返すと、その頃はずっと「人から良く見られたい」また「どう見られているか?思われているか?」ということばかり考えていたように思う。それなので、人と接することで「自分をどう見ているか?」ということを考える機会が増えるので、あえてコミニケーションを取らないようにしていたような気がする。そう思
翻訳機って色々なの出てるけど。皆持っているのかな?SNS仮想テーマパークだけどオトネリアレッサーしぃスキルシェアランドで。外国人観光客も楽しめるようなテーマパークに?スマホのアプリもある。視覚障がい者や聴覚障がい者、車椅子の方も楽しめるの作れるかな?😅😅😅視覚障がい者の方の手で見る動画はないし。手で見る写真や絵はあるけど。アニメだったら手で見るスマホありかな?SNS仮想テーマパーク、オトネリアレッサーしぃスキルシェアランドでは無理そうかな。。。音声ガイドか。やるとしたら?テレ
私はサラリーマン時代、そしてがんになってからも数年は、ずっとめいっぱい走り続けてきたような気がする。その理由は、立ち止まるのがこわかったから・・・・それは今でも多少は残っているが、以前に比べたら雲泥の差がある。まあ、普通の人に比べたら止まってないとおもうが、これでも過去と比べれは随分、止まれるようになった。ここ1.2年は食守族を始めたことで止まれないこともあったが、目のこともあって止まらなければいけない状況を与えられた。これも有り難いめぐみだと、捉えている。ではどうして走り続け
今朝は久しぶりに三好池をラニング。土曜日にカフエの営業を始めたので、なかなか走れてなかったのですが、やっぱり身体を動かすのは気持ち良いですね✨ちょうど桜も咲き始めていました。目のこともあり、この桜がいつまで見れるのかなぁ?なんて想いながら走りました。ガンになったときも同じことを想いながら走っていましたが、17年後の今でも見ることができています。何をしてきかた?というとただ毎日、できること、やりたいことをやってきただけ。だから同じようにこれからもできること、やりたいことを繰り返し続ける
がんになる前の私は、「使い慣れた道」ばかりを歩んでいた様な気がする。使い慣れた道を歩んでいれば、行き先を間違えることはないし、障害もあまりない。その道を歩んでいた理由は、安心感があったからだった。行き先もきちんと見えていた。しかし、あるとき行き先が見えなくなった。すると、何の刺激もない「使い慣れた道」を歩むのが苦痛になった。「なんの為にこの道を歩んでいるのか?」が分からなくなり鬱になった。それでも、「使い慣れた道」を歩んでいた結果、行き倒れ・・・・癌だった。そして癌が解ってから
いらっしゃいませ杉くんの駄菓子屋ブログへようこそ今日は、前回の店長杉くんの取材に続き、『メ~テレ『ドデスカプラス』放送!』ご覧頂きありがとうございました!無事、放送されました📺️難病と闘う駄菓子屋さん、車いすでスイスイ動く姿は「翼があるみたい」地域の人々の居場所に「難病と闘う駄菓…ameblo.jp今度は、視覚障がいスタッフ、ともちゃんをメインにメ~テレさんの撮影が始まりました。今日を含め、何日かまだ撮影が続きます🎬️何だか周りは緊張してしまってますが、当の本人ともちゃんは、いつ
やほ!!ゆなっぴです🍉🍉3/23(土)はスマーク伊勢崎でLIVE!!私はこの日が本当のラスト🥹ぜひみなさんお待ちしています✨最後の最後まで見てて欲しいなあ、、!!あと私スマーク立つの初な気がする実は立ったことないのよ確か、、それも含めて最後思いっきり弾けます🍀*゜pic.twitter.com/a9bx5PEYey—🌼宮本優凪🌼あかぎ団《ゆなっぴ🐥💛》(@yuna_akagidan)March19,2024というわけでゆなちゃんの”あかぎ団ラストステ
おはようございます。一昨日3月21日は春分の日、冬と春の「節目」となる日でした。節目とは人生の流れを変える、もしくは流れの変わる大きな転機。私たちの人生は節目の連続です。しかし、毎日が忙しすぎてその節目を節目として捉えられなくなってきているような気がします。一日の節目の就寝と目覚め。季節の節目の節句一年の節目の年末年始そして冠婚葬祭など人生の節目そんな節目を迎えられることは決して当たり前ではありません。しかし以前の私を含めて多くの人はそれを当たり前どころか、無意識に時を過
来月15日に開校する「オルタナティヴスクール東郷ゆめなみ」の学舎内をブログで初公開しました❣
こんばんは😃🌃いつもいいねや訪問ありがとうございますm(._.)m今日は息子ちゃんの特別支援学校の卒業修了式でした。息子ちゃんも高等部本科を無事卒業しました子の学校に来て6年、あっという間でしたが、息子ちゃんも大きくなって、そして、お友達のなかに入って、学生らしい事がやっと出来るようになって、母ちゃんは嬉しいよ大好きな先生と最後まで頑張ったね本当によく頑張りましたこれからも沢山色んな事があると思うけど、ゆっくりでいいから歩いて行こうね18年間ありがとうこれからもよろしくね
おはようございます。私は現在、失明にむかって進んでいるが、この先来るであろう未来に今までとはまた違う、新たな夢を持っている。それは視覚障がい者になって得た、新しい夢であり未来だ。そんなふうに思えるのは、17年前に一度は未来を失い、そこから新たな夢を持ち、幸せな未来を積み上げてきた経験があるから。そんな経験ができた要因は、失ったと思った未来への覚悟を決めたからだ。それは、自分の人生を生き抜くという決断でもあった。「がん」になったことを資源として受け入れたうえで、新しい人生を描くと