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日常で役立つ哲学の教えは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう皆さんこんばんは。今年も哲学の日にブログです。おかげ様で4年連続になります。『今日は哲学の日』これだけはゆずれないこと▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう皆さんこんばんは。今日は哲学の日ということです。私が住んでいる地区で、…ameblo.jp孫が通っていた小学校の学校開放の日に、見学に行った小学校は私も通っていた小学校です。私が通っていた時から玄関近くに
令和6年4月26日(金)晴れ1昨日、西田幾多郎のことを少し書いたが、その記事で読者の方が像の作者が誰なのか知りたいですね、とあったので、今朝ジョギングがてらに昨日の西田幾多郎の胸像の所に行き、裏の方を見ると、作者が「都賀田勇馬」と書かれていたので、この名前何か覚えがあるなと思い調べると、石川県の小松市にある「ハニベ岩窟院」を作られた方で、下記がその「ハニベ岩窟院」を6年前に紹介した記事だが、『ハニベ岩窟院』令和4年11月24日(木)晴れ旧尾小屋鉄道の後は最後の訪問地のハニベ岩窟院に到着す
今日は2024年4月27日(土)です。4月27日は「哲学の日」です。関連記事を振り返って見ました。過去記事↓関連記事↓クリック京都の「哲学の道」を歩いた時の記事を振り返りました。過去記事です。↓==================2013年3月31日(日)の出来事です。永観堂を出たら「哲学の道」です。ここから銀閣寺までの1・8キロの道です。両サイドに桜が咲いています。NHK大河ドラマ「八重のさくら」の主人公新島八重新島襄の
みなさま、こんにちは。とうしんです。春爛漫、気持ちのよい日々ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。暑くもなく寒くもなく、ちょうど良い気温…快適でモチベーションも上がる季節です、春生まれのとうしん的には。お花見の時期の満開の桜も好きですが、とうしんはこの時期に満開するつつじが大好きです。さて、今回のブログ『なかいま自分教ガイド』…先月に引き続いて関西ヌース・メルマガからの抜粋です。メールセミナーの様な濃い内容ですので、ブログ読者の方もぜひご一読ください。※最新のとうしん情報をフォロ
令和6年4月24日(水)雨今朝4時ころに外に出た時は晴れていたので、その後に皆さんのブログを見て5時過ぎにジョギングをやろうと用意をして外に出ると、道路が濡れていて小雨が降っているので、これではと思い傘を差し散歩でもやろうと宇野気中学の通路のところを歩き正門の所に行くと、過去に全国大会で優勝した顕彰碑があったのです。左からバトミントンで優勝した人、真ん中に女子剣道で優勝したメンバー、右にヤクルトスワローズで活躍をしている奥川君を擁して野球で優勝したメンバーで、これらの横に西田幾多郎博士の胸像が
西田幾多郎の云う所の「純粋経験」というものは、主客合一した「空」の境地である。この「純粋経験」の意識現象を唯一の実在として、『善の研究』の認識論は成立している。超越的イデアというものも、意識現象の中に現われる実在精神なのである。神仏というものも、意識現象の中に発見見性されるものである。般若心経に説かれる「色即是空」の「色」とは現象であり、「空」とは実在である。この「空相」は、不生不滅、不垢不浄、不増不減である。龍樹に「八不中道」という哲学があるが、それは、「不」によって否定してゆく
本棚にあった西田幾多郎全集第十四巻をなんとなく引っ張り出して読み始めたらとてもおもしろかった。この本は大昔に拾い読みした。講演集となっていて、長い文章もあれば短い文章もある。エックハルトについての文章、クザーヌスについての文章が比較的わかりやすかったので、その二つの文章だけは昔に読んだ。いま読み直してみると、昔に読んだときよりもだいぶ内容が理解できた。自分も年を重ねて、読書経験も人生経験も少しばかり増えたからだろう。最初にこの本を読んだのは確かもう十年くらい前になる。大昔だ。やはり自
先日、相棒の再放送がやってました。「殺人が許されない根拠を教えよ」と鮎川教授が元教え子たちに問いを出し、監禁し、満足な答えが出ない場合には猟銃で殺してしまう、という話がやっていました。なんとも物騒な話ですが、結局、この教授は、優秀な元教え子でさえ、根拠を言い当てることができないことを期待し、「殺人が許されない根拠なんてないんだ」と自分に納得させるためにそのような問いを仕向けたと言う話でした。さて、まず、殺人は絶対的に許されません。それは、大変明確な根拠があります。ちょっとここで
今週はさくらですせっかく京都に戻ってきたんだから桜を楽しみましょうということで哲学の道へ行きました哲学の道銀閣寺は大文字山のふもとにあります西田幾多郎が散歩で思索を深めて歩いていたという道です昔はひっそりとひっそりとしていたのに(ぼくが歩いたのは50年も前!)今は人がいっぱいしかも外国の人の方が多い!歩いてみるといや、風情があります町が、建物がより古くなっているようででも新しい?店がいっぱいあって昔は
令和哲学者Noh先生と5人の侍によって開催されている令和哲学カフェ。昨日は900回記念回、特別テーマ「哲学の完成と日本文明の挑戦」でした。月曜日は私、川名哲人火曜日は森貴司さん水曜日は安田真理さん木曜日は松室佳惠(sherry)さん金曜日は長岡美妃さん900回とは本当にすごいです。コロナパンデミックの時、何かがあったら、早急に情報を発信しなければならない必要性を感じ、平日の夜毎日開催になった令和哲学カフェ。Noh先生の純粋な意志からはじまり、平日
※こちらの記事は、平成18年11月27日に書かれたものです。銀閣寺(ぎんかくじ)を出た後西田幾多郎(にしだきたろう)ゆかりの「哲学の道」の横の道(「哲学の道」は歩きづらいのでw)を行き、法然院(ほうねんいん)に向かいました。銀閣寺についての記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:京都旅行/銀閣寺関連記事:京都/ニシンそば関連記事:京都旅行/八坂の塔・高台寺関連記事:京都旅行/泉涌寺関連記事:京都旅行/東福寺1680年ごろ鹿ケ谷(ししがたに)の法然上人(ほうね
本日より、早いもので新年度に入り心機一転という方も多いと思いますさて、新しいスタートにちなんで日本人による初めての哲学書は西田幾多郎の『善の研究』とのことご本人的にはこのタイトルはあまり気にいってはおらず「純粋経験と実在」というのがどうやら正式な表題のようでしたこれでもかと、打ちのめされるそんな壮絶で不遇な人生の御仁ちなみに京都にある「哲学の道」とは西田の朝の散歩コースが由来新年度にあらたまったのを機に4月のからの「朝の読書会」
宇宙人交流の体験を元にしたIFと解離性障害、DIDとの境界や違いについて書いていましたが↓精神科の主治医にIFと解離性障害の区別について聞いてみて、”気配”ではないか?と問うた所、非常に興味深い返答がありましたよ!A.西田哲学の主客未分の意識状態の存在と西洋的な主客分離の意識状態、それが気配が問題になる事が東洋に多い理由、主客未分の意識状態に存在する何かの存在に気付くのは皮膚だと思う。つまり”気配”とは皮膚で気付く現象の事だろう。ここで”気付く”と言って”感覚する”と言わないのは、通常、感
物を知るには、これを愛さなければならない物を愛するには、これを知らなければならない-西田幾多郎-仰る通りだとは思うのですが、第一印象で嫌な感じを受けて以来知ろうとも思わない人って多いです。その多くは、過去に嫌な目に遭った誰かとよく似ているというだけで、今度の人が同じことをしでかすかどうか付き合ってみなければ分らないけど、嫌な目は一度で充分だし学習して同じ失敗を繰り返さないのは基本的に合理的な態度でしょう?人じゃなくて、物でも同じことですね。しか
世の中が複雑化するにつれて、宗教ではなく、官僚主義的な知的カーストは世界を支配しているのではないか。そのことを鋭く突いたのはシモーヌ・ウェーユの『抑圧と自由』(石川湧訳)である。ウェーユは知的労働と肉体労働の廃止を主張した彼女は、それを批判する立場からレーニンを俎上に載せたのだった。レーニンの『唯物論と経験批判論』は、エンゲルスの唯物論から離れようとしていた労働者の理論家たちに反駁するために書かれた。あまりにも党派的な言説であったがために、彼女は我慢できなかったのだろう。「党の科学」とし
人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり。かほく市が生んだ世界の哲学者西田幾多郎先生の言葉です人は人とは他人は他人であって自分ではない。吾はわれ自分は自分である。だから、他人のことを気にせずに自分の道を歩いていこうという理解になるかと思います「とにかくに」と言う言葉が気になりますがそれはさておき。いずれにせよ。という理解がありますが他の事柄は別問題としてという気持ちを表す意味かと考えますまさに自己知自分を知っているか
『科学によって何もかも分かると言うのが傲慢であり知には限界がある。新しい時代の知の方法とは?』と題して前回、以下を書いてみました。『科学によって何もかも分かるというのは傲慢であり知には限界がある。新しい時代の知の方法とは?』今現在は、科学万能主義的な風潮があり、テレビを見ていても、科学によって、あらゆる物事を説明しよう、という傾向が強いと思います。不眠に対して、脳の科学物質がこ…ameblo.jp今現在は、古い時代から新しい時代へと価値が転換している時期であると思います。中世の時代
中井正一という哲学者彼について調べています。中井正一は、京都大学哲学科でカントが専門。その周りというより、当時の京都にはすごい哲学者がわんさかわんんさか居ましたので、中井はその中ではあまり目立たない方かと思います。まあ、色々あって、山代巴も後半で絡んでくるのですが、とても変わった人という印象。文系ですが、ボート部で、野球の応援が好きで、わいわいと煩いおっさん、という感じです。三木清と、戸坂潤と、中井が、1926年頃に、アリストテレスを読みながら、わいわいやってる場面、どんな感じでし
知られる哲学者が散策した事で名付けられたが、それは誰か?「哲学の道」の名称は、西田幾多郎ら哲学者がその道を好んで散歩した事に由来する。西田の著書『善の研究』は、日本初の本格的な哲学書と云われている。道沿いには、「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり」と刻まれた彼の碑が立つ。
cheeseです💕今回ご紹介するのはこちらの一冊📘(櫻井歓『西田幾多郎分断された世界を乗り越える』講談社、2023年)講談社さんの「今を生きる思想」シリーズ好きです☺️難しそうな学者さんの思想を100ページあまりのダイジェスト版で手軽に読めてしまい、なおかつお値段1000円未満というお得感🌸今回は日本の哲学「京都学派」の先生として有名な西田幾多郎先生の本を購入してみました✨📕📕📕興味深かったのは西田の思想が「個の自覚の思想」
LapromenadeduphilosophedeKyoto.----------2023年11月09日撮影。「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり。」と刻まれた日本の大哲学者西田幾多郎先生の石碑。この琵琶湖疏水沿いの道は、歴史的にさまざまな呼ばれ方をしておりましたが、西田幾多郎先生がよく散策していたことから哲学の道と呼ばれるようになりました。正式にこの名前に決まったのは1972年(昭和47年)。この道の保全運動を進めるに際し、地域の方々によって決められた
余はPsychologist、Sociologistにあらず。Iifeの研究者とならん。西田幾多郎心理学者(Psychologist)でもなく、社会学者(Sociologist)でもなく、「lifeの研究者」になろう。生命、生、魂、命、生涯、生活、人生、といった意味をもつlifeという言葉に、西田は自らの研究者のイメージを重ねたのである。人生を問うような学問を目指した彼の姿勢をみることができる。櫻井歓著『今を生きる思想西田幾多郎分断された世界を乗り越える』p29.30より引用
「善の研究」の中核をなす純粋経験を結晶させ、「西田哲学」と呼ばれる独創的思想体系の樹立者:西田幾多郎の若き日の住居が、残されています。明治30年から32年にかけての僅か2年弱の短い期間ですが、此処に住んでいました。金沢の四高を内紛問題で追われ、父親との折り合いも悪く、妻とは離縁状態という最悪の時期でした。ときの山口高校の校長は、北條時敬(四高時代の西田の恩師)で、招かれて単身での山口入りでした。この期間、西田は、精神修養のために参禅に打ち込んでいたといわれています。明治3
1日の終わりに哲学で精神を深めるひと時。令和哲学者Noh先生と5人の侍で開催している第833回令和哲学カフェ。テーマ「精神とは」人間の尊厳危機であるAI時代。自分の考えで考えたい、核個人時代を生きる心の時代。アジアの精神とは?岡倉天心と出会う。アジア精神の中で熟成された日本。月曜日:小林隆人さん火曜日:大場龍夫さん水曜日:池田健吾さん木曜日:一龍飛さん金曜日:長岡美妃さん昨日は金曜日の担当者である長岡さんが、「岡倉天心」に焦点を当て
☆プログラムより↓↓↓☆オーケストラ・アンサンブル金沢オペラ「禅」~ZEN~Vol.2.0(字幕付き:日本語・英語)2023年11月23日(木祝)14時~金沢歌劇座(金沢市下本多町)■作曲:渡辺俊幸■台本:松田章一■演出:三浦安浩■指揮:ミヒャエル・バルケ■管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢■合唱:金沢オペラ合唱団■鈴木大拙:伊藤達人(テノール)■西田幾多郎:宮本益光(バリトン)■ビアトリス:コロンえりか(ソプラノ)■エマ:谷口睦美(メゾソプラノ)■釈宗演:
午後の歌劇座に合わせていつもより早めに起床ごみ出しも昨夜遅くにすぐ出せるようにまとめておきましたアパスパ金沢中央(片町)でまったり片町きらら前のクリスマスツリーさあて行きましょ!給水器設置されてました噴水器だったので不満でしたがこれでよしよし!露天1&内湯4&サウナ1今日は地元民2人と会話しましたよ2人とも気さくな方でした11時半に上がりましたランチはジャーマンベーカリー
現在津軽にいるのですが、旅の途中に読んだ本「共感革命」を読み終わりました。先日、富山で後輩と食事をした時、誰かが口にした「共感」という言葉が引っかかっていて、なんとなく買った一冊でしたが、買って正解でした。霊長類の研究者が、今西錦司や西田幾多郎の思想を元に、元来ヒトは抗戦的ではないと主張しています。しかし、言葉を持つようになり共感力が暴走して、所有の概念も加わった結果、自然を客体化してから、攻撃的になっていったという説。確かに生物学的な人間は自然の一部だから、主体も
令和5年11月6日(月)晴れ前回の続きインフルエンザの予防接種をした後に家に帰ると家内が連休だし天気もいいのでどこかへドライブでもというので、能登のほうへドライブに行くことにして、看護大インターの所から「のと里山海道」へ入ると以前に新聞に載っていたモニュメントが見えたので車を止め写真を撮ったが、このモニュメントは金沢学院大学の生徒たちがかほく市の大地に、共生しながら幸せに存在しうる様子を、さまざまな個性あるオブジエを設置することで表現し、オブジエは、かほく市の特産品や地元出身の世界的哲学者西
https://ptsd.red/2016/02/20/尾崎紅葉「金色夜叉」デートdv加害者のptsd克服物語/#comment-32726つまり…筑波式[政治弾圧]に気づく程度の[内面の自由]=[良心の自由]がアレば、何も言わずに突然、シッカリ者の子どもが[不登校]なる[無意識の病]表現を取ることは稀なのでは⁉️と推察します。広告:https://youtu.be/Ekf8YNGLcTs?s=20岸田総理が見るべき1枚の写真〜シリコンバレーで現地カメラが収めたスタートアップ成功の秘密↓
だれが言ったか忘れたけれど、「人はだれかのためとか立派な大義や理念のために動くものではない。」では、人を動かすものはなにか。それは、たいてい、「最低ね」といわれるようなげすい欲望から来ているといえる。でも、その欲望のエネルギーたるや、一番人を動かすに一番の強大さではなかろうか。なので、やる気のない人には金か、異性か肩書を目の前にぶら下げてみてはどうだろうか。ちなみに、今の私の場合は、金だと思う。