ブログ記事34件
MiniEVCarひこにゃん号@彦根城【滋賀県旅行備忘録】石山寺~MIHOMUSEUM~多賀大社~彦根城旅行プラン【ドライブルート】大阪伊丹空港(TIMESカーレンタル利用)>>石山寺>>MIHOMUSEUM>>多賀大社>>彦根城>>彦根港(琵琶湖)>>大阪伊丹空港彦根城>>彦根港(琵琶湖)▼総走行距離約3Km以内、~10分位のドライブ+渋滞彦根港(琵琶湖)>>大阪伊丹空港▼総走行距離約120Km、1時間
こんにちは。毎日暑い日が続きますが、来週は雨も降るようで少しは暑さも緩む予報が出ております尾張地方。段々と四季感が薄れていき、「日本にもかつては四季があった」なんて言われる時代もそう遠くはないのかもしれません。サハラ砂漠も草原だったことを思えば無くは無いかと。さてさて彦根城シリーズもいよいよ終わりが見えてまいりました。今回は城の麓の御殿に入ってみたいと思います。藩主が生活していた御殿跡。彦根城博物館として1987年に復元されたようです。こちらは関ケ原で直政公が着用した
入城してまず「彦根城博物館」へ入りました(^.^)昭和62年(1987)に彦根市の市制50周年を記念して建てられた博物館です「井伊の赤備え」の甲冑や井伊家に伝わる美術工芸品や古文書などが展示されていますまた、彦根藩の政庁であった表御殿が復元されており藩主の居間や茶室、庭園などを見て、江戸時代にタイムスリップ(^-^)御殿から天秤櫓を見上げ期待が高まります…
2022寅0102021年10月29日(金)『2021年秋大和路の見仏記』初日法隆寺の参拝の合間に国宝“菩薩半跏像(伝如意輪観音)”祀る旧斑鳩御所中宮寺を参拝御朱印三種を拝受しました聖徳宗中宮寺前回の参拝blogです『05.聖徳宗中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)』2014年11月21日(金)“奈良・世界遺産巡り”つづいては国宝“菩薩半跏像(伝如意輪観音)”祀る旧斑鳩御所“中宮寺”を参拝御朱印を拝受しました【中宮寺】〒6…ameblo.jp約7年ぶりの参拝本堂にご
「彦根城(後篇)」(滋賀県彦根市)です。前編では、「内堀」に開いた「水門」跡まで見てきました。そして「内堀」沿いを進むと「大手御門橋」が見えます。前編↓『<彦根城(前編)>今回は外周から天守、三重櫓、城門跡等を攻めました!』12月10日(金)に、「青春18切符」を使用して、「鎌刃城」(滋賀県米原市)と「彦根城」(滋賀県彦根市)を訪城してきました。本日は「彦根城前編」(滋賀県彦…ameblo.jp「大手御門橋」を渡ると「大手御門」があり大きな桝形を形成していました。橋を渡る
彦根城博物館の木造棟を見ていきます。こちらは江戸時代の表御殿の様子を忠実に再現してあります。これが素晴らしい出来でしてね、お殿様の住まい感むんむん!特に庭が素晴らしく、狭いながらも広く見せる工夫があちこちに隠されています。例えば高低差だったり、石の使い方だったり。庭師の高い技量を感じさせる、見事な庭です。詳しくは→彦根城博物館
前回はこちら丹波市立柏原歴史民俗資料館・田ステ女記念館の後、柏原藩陣屋跡に行きました。柏原藩陣屋跡の表御門(長屋門)です。史跡柏原藩陣屋跡の石碑です。表御殿です。表御殿・表御門(長屋門)と、国指定史跡柏原藩陣屋跡の説明板です。柏原藩陣屋跡の庭園です。柏原藩陣屋跡で、自撮りをしました。その後、柏原駅まで歩いて行き、そこから福知山線普通で石生駅まで乗り、石生駅の撮影の後、国道175号線バイパス沿いのローソンでおやつを買った後、石生駅に戻り、そこから福知山線普通で篠山口駅まで乗り
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿縁側〜こりゃいい感じ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿上段の間〜いいねェここも。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿書院上の間〜住みたくなる御殿だね。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿書院次の間〜あのふすま面白いな。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿使者次の間〜まずここでね。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿玄関〜おっ入れるな。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
城を観る今回は...(撮影2019/07/23)柏原陣屋〜表御殿〜これは...立派な。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
前回からの続きです織田家廟所へ行った後に行ったのは、今回の目的にしていた柏原藩陣屋跡(国指定史跡)住所・兵庫県丹波市柏原町柏原683HP→柏原陣屋跡ただ残念なことに月曜日は休みで、本当なら建物内にも入れるらしいのですが入れない入館するには民俗資料館で支払いしてから入るようでした200円くらいその民俗資料館との共通券もあるようです解説柏原陣屋は織田信休(のぶやす)が正徳4(1714)年に造営文政元(1818)年に全焼2年後に再建それ以降、廃藩【明治4(1871)年】となるま
豊臣大坂城が完成しました。A4L(ほぼB4)結構、表御殿と本丸御殿もそこそこ入りました。
豊臣大坂城はA4であれながら、表御殿と本丸御殿を入れる縄張りに決定しました。
豊臣大坂城A3→A4に変更するとどのパターンが面白いか?❶は表御殿は入るが堀が狭く山里はNG❷❸は山里側から(最もポピュラーな感じ❹は表御殿と山里のほんの一部は入るが。さてどれがオススメ?A3とA4ではかなり違う。
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです東院伽藍の奥に北室院(法隆寺塔頭寺院、内部非公開)があり、その門前を通って、さらに東側へ行くと中宮寺があります中宮寺『境内由緒書』『中宮寺公式サイト』『Wikipedia(公式サイトと少し見解が違いますので、公式優先でWikipediaは参考程度にしています)』より聖徳宗の寺院。山号は法興山。本尊は菩薩半跏像(伝如意輪観世音菩薩。国宝、飛鳥時代の作)。聖徳太子御霊跡第十五番札所。神仏霊場第二十七番札所。中部尼寺巡り第十五番札所。由緒書によれ
今日も暖かいみたい気温の乱高下はホントにやめてほしい体がついていけないのよ松前城は最後本丸を見て終わる本当は城下町探索したかったんだけど台風(の残り)がひどくてそれどころではなかったこんな感じか表御殿玄関を見に行くすでに裏は見てしまったわけだけど表は立派な玄関だわね表御殿玄関の説明板1606年に築城されたあと1637年に焼失したが、その2年後修築京都伏見城から表御殿へ一部移築…いろんなところに移築されてるけど
城を観る今回は...(撮影2018/02/16)赤穂城〜本丸表御殿跡〜広そうだな〜こりゃ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村日本の城20号(赤穂城)[分冊百科]607円Amazon
夏休み東京より妹2号家族がやってきました。本当は大垣市で開催中の“セロテープアート展”によってから←午前中はわたしがお仕事でしたのでね(^◇^;)揖斐で合流し、いざ!彦根城!!と、計画していたのですがね…まさかの休館日!!!って事で急遽教室にてセロパンダ工作姪っ子たち上手に作ってました(^^)※ちなみにこれはわたしが作ったものですさぁいざ、彦根城!!ちょうど“ひこにゃん”の登場時間ん〜〜美しい!龍潭寺…小林薫和尚が居てくれそ?博物館表御殿跡次男と写真が
みなさんこんにちは。日本一の職業訓練校を目指すエヌティ・クリエイト@岡山のつぼさんです。「下馬評」という言葉は、スポーツ、競馬、選挙など、様々なシーンで耳にすると思います。「下馬評」は「げばひょう」と読み、「ある事柄に直接関係のない人たちがする評価や噂話」のことです。テレビや新聞などでも「下馬評」と言うときは、当事者ではなく、評論家や一般人の意見を指していますよね。では、どこからこの言葉が生まれたのか?由来は江戸にあります。当時、江戸城の大手門には、大きく「下馬」
城を観る今回は...(撮影2017/8/16)松前城〜本丸表御殿玄関〜こりゃなんとも。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
小説石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~第三話完全版はコチラからご覧いただけます。http://kanno-novel.jp/viewstory/index/466/?guid=ON夫のある身で殿さまに見初められ、期間限定の側妾になった私★あなた以外の男が相手なのに、私の身体はどうしてしまったの。。。?夜ごとに淫らに作り替えられてゆく私の、身体★お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。源治はお民より年下で、お民
昨日の天守閣、櫓、門に引き続き、本日も彦根城内を見て回りましょう。連郭式平山城である彦根城の麓には、彦根城博物館として表御殿が復元されています。最近の、名古屋城、熊本城、佐賀城の御殿復元ブームのずーと前の昭和62年に、井伊家の宝物類を展示する博物館として、江戸時代後期の「表御殿御奥方御絵図」に基づいて外観復元されたものです。政務を行う笹の間、御広間、表御座之間などは資料館として展示がメインになっているようですが、御殿のプライベートの部分である奥方に当たる箇所には、能舞
『紅葉の彦根・竹生島・浜松3日間』(その2)⇒http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/0e025fd50ee5ea6499fc99343fa43d8f【2日目:11月27日(月)】彦根城博物館、多賀大社、竹生島を観光後に浜松へ移動、同地泊。旅の二日目、「ホテルルートイン彦根」で起床したのが、午前6時半。身支度を整え、1Fのレストランに降りて行きました。税・サービス料込みで5,850円の宿泊料に、朝食がサービスで含まれています。レストランの前に
『おもしろ雑学日本史』ー樋口清之●家光は体は丈夫だったがそううつ病✪三代家光の父秀忠には、もう一人男児がいた。幼名を国千代といい、長じて忠長といった。実は、この忠長は家光より利発で見栄えもずっと良かったといわれ、秀忠はこの子を跡継ぎにしようと考えていたらしい。長子相続が制度化されるのは家光以降だから、秀忠が決めればそれで決まりだった。ところが、ここで激しく抵抗したのが春日局である。彼女は大御所(家康)のいる駿府に押しかけ、家康の妾の力を借りて、とうとう家光こそ次代将軍であるというお
龍田神社から国道25号線を東に進んで法隆寺を越えた所にある。中宮寺に行きました。ちなみに法隆寺は行った事ないんですが…JR大和路線法隆寺駅から北へ真っ直ぐ1.5キロ、徒歩20分。または近鉄橿原線近鉄郡山駅から法隆寺前行バスに乗車して、「中宮寺」で下車したところです中宮寺[ちゅうぐうじ]中宮寺は、法隆寺の夢殿に隣接する形で位置しており、一見すると法隆寺の伽藍の一部とも言えます。しかし創建当初は、現在の伽藍よりも東方向へ約400mほど移動した辺りに伽藍があったと云われており、つまりは法
昨日の続きです。今日は彦根城博物館の紹介です。井伊家の家宝展示部門と江戸時代の御殿再建部分から出来ています。左側に玄関があります。玄関を入ると模造の国宝:彦根屏風があります。屏風の右側です。玄関を入った所にあります。室内はストロボなしで撮影可でした。これが江戸時代の面御殿間取り図です。橙色部分が藩主の私用奥御殿です。その他は公務をするところでした。明治になり御殿は撤去されましたが、残された資料を基に再建されています。再建された現在の表御殿です。(館内の写真よ