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衣紋道高倉流の衣紋はじめの儀へ。「衣紋はじめ」とは、衣紋道高倉流の1年間の有職故実・衣紋道の興隆発展を祈願しつつ一門の研鑽を誓願する式典と儀式のこと。皇族の方もご臨席されます。「衣紋道」とは装束の着装法のこと。装束も衣服のひとつですので、平安時代摂関政治の頃までは装束は緩やかなゆったりしたもの(柔装束)を自分で着用していたと考えられています。平安末期、院政を行った鳥羽上皇は装束に対して並々ならぬこだわりがあり、生地を厚くし糊を利かせて、かっちりした姿を好みました。衣紋道の祖と称され
目次1.衣装体験の概要2.衣装の内容について3.実際に衣装を着付けられて4.メイクの設定5.小道具の設定6.自由撮影7.まとめ衣装体験の概要体験日:2017年12月2日時間:9時40分から10時10分埼玉県立歴史と民俗の博物館さんの特別体験イベントの平安装束の衣装体験の狩衣入場料金:無料エリアにつき無料体験料金:1000円(不課税)衣装の内容について平安時代の貴族の普段着を設定しての狩衣姿。頭飾り:立烏帽子単:緋色狩衣:縹色指貫袴:紫色実際に衣装を着付けら
衣紋道高倉流の端午の節句行事へ端午とは端(はし)の午のこと。元来は月はじめ(端には始まりという意味合いもあり)の午の日のことでしたが、午は五と音が通じることから毎月5日のこととなり、のちに奇数月と同じ日が重なる日を特別な日と考える中国の重日思想と、田植えの前に女性だけが家に籠もり身を清める日本の五月忌みの風習が結びついたのが、端午の節句の始まりといわれています。端午の節句に鎧兜を飾るようになったのは鎌倉時代。端午の節句の頃は五月雨の頃でもあり虫干しをかねて習慣化されたとのこと。今日
衣紋道高倉流の「源氏物語・産湯鳴弦の儀」へ「有職故実」を端的にいってしまうと、宮中にまつわる伝統的な行事、儀式、装束に関する知識というところでしょうか。現在の宮中行事においても衣紋道高倉流と衣紋道山科流の二家が並列して採用されています。現在の皇室では「産湯の儀」は誕生後の御七夜の一度だけの行事となっていますが、平安期は御誕生後の七日間、朝夕二回「産湯の儀」が有り、読書鳴弦の儀があったのだそうです。高倉流の「源氏物語・産湯鳴弦の儀」は、源氏物語「桐壺」より光君のご誕生の場面を再現
衣紋道高倉流宗会頭の仙石宗久先生が所蔵する名香を聞く会へ衣紋道高倉流では、あまり馴染みのない香道を楽しんでいただこうと、さまざまなことにとらわれず、お香の会が開催されています。待ち合いでいただいたのは、桜の練りきりの主菓子香道を嗜んでいたとしても、なかなか聞くことができない「名香」。仙石先生は香木の絶対的な規範の銘木として知られ尊重されている「六十一種名香」をはじめとして、古くからの名香を所蔵されていらっしゃり惜しげなく、聞かせてくださいます。今回は、細川三斎の「末廣」細川三斎とは、戦国
ランチ/25ans×美しいキモノ「シャンパーニュとお花見ランチ」atトゥールダルジャンのつづきです(^_^)/ランチの後は、衣紋道高倉流による十二単(五衣唐衣裳)の装束の着付けデモンストレーション。衣紋道では装束を「お服」といい、装束をお着せすることを「お服をあげる」といいます。装束をお召しになる方は「お方さま」、お服あげする者は「衣紋者」です。お方さまの前で装束を着付けるものが「前衣紋者」、後ろにいてお服あげする者が「後衣紋者」となります。「天子南面に座すという言葉があり
東京は全国に先駆けて桜の開花宣言がでましたが、寒いです^^;「すもうカンタービレ♪」がつづいておりますが、今日の装いを。明治神宮参集殿にて開催された衣紋道高倉流による「産湯•鳴弦の儀」そして文化館でのお食事会へ。レポは後日に。【3月28日の装い】東京◇晴れ(湿度35%)/最低気温3℃最高気温15℃志ま亀の巻絵文様の小紋に桜蝶の染め帯をコーディネート帯〆、帯あげも志ま亀利休バッグは銀座くのや絵羽文様の道行は京都ゑり善明治神宮文化館では「昭憲皇太后〜慈しみの皇后
本日は明治神宮まで私のお客様からご招待頂きまして衣紋道高倉流の十二単のイベントに行って参りました。光源氏の誕生に伴う「産湯・鳴弦の儀」を拝見いたしました。中々見ることの出来ない沢山の十二単姿眩しいくらいに鮮やかなお着物そして十二単を着付けるS様。S様〜!と叫びたい気持ちを抑え綺麗なお着物にうっとりして楽しい時間を過ごさせて頂きました。帰りは一緒に行った元同僚とも久々に会えたので話に花が咲き出店の直前なのに暗くなるまで楽しんで来ちゃいました帰って夜中からまた出店に
衣紋道高倉流たかくら会の上巳の節句小袖が着物となったように、十二単(五衣唐衣裳)も時代によって着る人も用途も着装方法も変化しています。高倉流宗会頭の仙石宗久先生の教えは明瞭でわかりやすい♪左は江戸時代の十二単、右は現代の宮中での十二単の着装です。十二単というとお雛様が思い浮かぶかと思いますが、平安時代に十二単を着ていたのは、中宮(皇后)や女御へお仕えした侍女である、清少納言や紫式部のような女房です。ゆえに女房装束といわれます。高貴な方に仕えるものは身分の高い方と同席をする場合、
「ボンボニエール」とは、フランス語でボンボン(砂糖菓子)を入れる小さな器のこと。宮中では明治時代から慶事の祝宴の記念品として招待された人々への贈り物となっています。中身は金平糖。なぜフランス語なのかというと、明治時代の宮中での外国語はフランス語が公用語だったからのようです。衣紋道高倉流の上巳の節句で公開くださった、仙石宗久宗会頭が所有されている皇室からご下賜されたボンボニエールのコレクション♪戦前のものは、特にとても精巧なつくりで驚きます。1922年(大正11年)昭和天皇が大正
セルリアンタワー東急ホテルボールルームにて開催された、学校法人国際文化学園(国際文化理容美容専門学校)の新年会へ♪衣紋道高倉流の東京道場が国際文化学園にあるご縁からお招きいただきました。いつもお世話になっておりますm(__)m美容業界関係者が一斉に集う新年会は、一年で最も忙しい成人式の翌日もしくは翌々日に行なわれます。美容業界は女性よりも男性が多め、着物業界に似ています。女性はほとんどの方が訪問着の装いです。私はあえて華やかな小紋を選びました。髪型は後ろにボリューム感をだして襟足は
●新年から衣紋道を見せていただき、身が引き締まる思いでした。いつも見ていただき、ありがとうございます。平野恵未(めぐみ)です。皆さん、衣紋道(えもんどう)はご存知ですか?お茶は、茶道お花は、花道着物は、衣紋道”道”という言葉がつく世界は、奥が深いです心を落ち着かせ、前衣紋者と後衣紋者の生きを合わせ全て一手で着付けていくこれが難しいんですよね同じところを2回触らない見ているだけで身が引き締まる思いでした無駄のない動き、それこそ綺麗で感動するんですね十二単のだけでな
衣紋道高倉流の銘香席へ(レポは後日)哀惜の念から、先週よりこの数日間は黒色系の装いです。【11月8日の装い】東京◇晴れ(湿度72%)/最低気温6℃最高気温14℃やまだ織の黒地石畳模様の本塩沢に瓢箪に雀の刺繍帯帯あげは染めもの中野、帯〆は中村正帯あげには翼のある豚が友禅で描かれています。気分的に華やかなものを装う気持ちになれないのですが…、孝先生には「できるだけ明るい色のものを着なさい」といわれたことを思いだします。珍しくシックなものを着ていると「そんな地味なも
目次1.衣装体験の概要2.衣装の内容について3.実際に衣装を着付けられて4.メイクの設定5.小道具の設定6.自由撮影7.まとめ衣装体験の概要体験日:2015年3月7日時間:9時40分から10時10分埼玉県立歴史と民俗の博物館さんの特別体験イベントの平安装束の衣装体験の直衣入場料金:無料エリアにつき無料体験料金:500円(不課税)衣装の内容について平安時代の貴族の常装を設定しての直衣姿。頭飾り:立烏帽子単:緋色直衣:縹色指貫袴:薄紫色実際に衣装を着付けられて